186 朱き狼

 燃えるような赤毛の体毛を持った巨大な狼。その手のひらだけで今の自分と同じくらいの大きさがある。燃えるような? いや、実際に燃えてないか、これ。


 にしても、ホント、巨大化が好きだよな。そこの耳の穴をほじっている優男も巨大な蒼い竜に変わるし、蟲人のウェイも何かそれっぽい変身を隠してそうなんだよなぁ。はじまりの町に居た頃は、そんな人たちを見なかったのにな。そりゃあ、こんな力を当たり前に持っているなら人と敵対するよなぁ。


『殺す』

 炎の狼が巨大な爪を振るう。速い。だが、さっきまでの槍の一撃のような、見えない、追えない……速さじゃあない!


 とっさに草紋の槍に魔力を纏わせ、迫る爪を防ぐ。防いだ草紋の槍ごと吹き飛ばされる。肌がひりつくほどの冷たい大地の上を俺の体がバウンドするように転がる。


 重たい一撃だ。さっきまでの人型の時には無かった一撃の重さが宿っている。


 起き上がろうとした俺の目の前に炎の狼の巨体があった。爪が迫る。転がり、爪を躱す。だが、その転がった先に次の一撃が迫る。先ほどと同じように草紋の槍に魔力を纏わせ爪を防ぐ。同じように吹き飛ばされる。


 無様に地面を転がる。


 きっつぃなぁ。


 俺は片手をつき、起き上がり、蟲人のウェイと天人族のアヴィオールの方を見る。余裕の表情だ。俺は何も出来ずに転がされているってぇのにさぁ。ホント、嫌になるよ。


『どうした、この程度か! 帝だと! 無様に転がっている、このもどきが今代の帝だと! ふざけるな!』

 赤い狼が吠えている。


 俺は自分から帝だと名乗ったことは無いぜ。いや、あったか。まぁ、それはいいや。俺が認めているワケじゃあなく、周りがそう言っているだけってのは変わらないからな。


 はぁ、ため息が出る。


 にしても、こちらが立ち上がるのを待っているなんて赤い狼は随分と余裕だな。


 ……いや、違うのか?


 俺はウェイとアヴィオールを見て、次に周囲の獣人たちを見る。


 襲ってきているのは赤毛の少女だけで周囲の獣人たちは動かなかった。最初はリーダー的な存在の赤毛の少女を立てているのかと思ったが、違うのか。


 怯えているの、か。


 余裕の表情のウェイとアヴィオール……そういうことか。


 それだけ力の差があるということか。


 多分、ウェイやアヴィオールに対抗できるレベルに達しているのが赤髪の少女だけなのだろう。それでも差がありそうだがな。だから、俺、か。三人の中で一番弱そうな俺に力を見せることで撤退――帰って欲しいのか。


 追い返したいんだな。


 だから、今も叫んでいるだけで襲ってこないのか。殺さない程度にしているのか。


 舐められているよなぁ。


 赤髪の少女が必死なのは分かる。分かったぜ。


 でもさ、それで俺が舐められるのはどうなんだ。


 俺は改めて蟲人のウェイと天人族のアヴィオールを見る。助けてくれといったら、一瞬で何とかしてくれるだろうな。状況がひっくり返るだろうな。


 でもさ、俺も、一応、帝とか言ってさ、持ち上げられている存在だからなぁ。期待をかけられたなら応えたくなるのが――うん、そういうのがさ、粋ってもんだよなぁ。


 草紋の槍を構える。


『力の差も分からないヤツが! とっととコイツを連れて帰れよ!』

 赤い狼が吠える。


 俺は眼中になし、か。


 これは挑発するべきだよなぁ。


「えーっと、弱い犬ほど良く吠えるって言葉知ってます?」

 俺は小さく首を傾げてみる。


『殺す』

 言葉と同時に爪が上から下に落とされる。魔力を纏わせた草紋の槍を上に掲げ、それを防ぐ。重い。体が地面に沈み込みそうなほどの一撃だ。


 だが、それだけだ。


 竜化したアヴィオールの一撃は常に魔力を循環させているこの体に、さらに魔力を循環させなければ防げないほどの重さだった。


 だが、この一撃は防げる。魔力をさらに循環させなくても、通常の――普段から循環している魔力だけで防げる。


「軽い!」

 草紋の槍を振り払う。


『舐めるな!』

 巨大な爪が振るわれる。ワンパターンなんだよ! 大ぶりな一撃を回避する。次々と空気を斬り裂くような一撃が迫る。その一撃を回避していく。反射神経には自信があるんだよ!


 来ると分かっている一撃なら、何とか回避出来るぜ!


 どうしても回避出来ない一撃は魔力を纏わせた草紋の槍を盾のようにし、全身で体当たりするような勢いで受け止める。


『くそ! 急に!』

 赤い狼が叫ぶ。


 慣れてきたんだよ! いくら速くても動きは大きく――大ぶりだからな。慣れれば回避は余裕だ。まぁ、喰らえばヤバいんだろうけどさ。こういうのは得意なんだよ!


 実際、初見殺しな人型の方がヤバかった。最初の一撃で殺されていた可能性もあるし、防ぐ度に頭が痛くなるようなヴィジョンの魔法が必要だったし、魔力をさらに循環させるから体の自由が奪われていくし、あのまま続けていたら負けていた可能性は……大きかった。


 だが、もう負けはない。


 読み切った。


 迫る爪にタイミングを合わせ、草紋の槍で弾く。巨大な爪が大きく弾かれ跳ね返る。それを赤毛の狼が驚いた顔で見ていた。


 ゲームだったらパリィが成功した瞬間だな。俺、ゲームで得意だったんだよ。チートを使っている野郎をぶちのめすくらい得意だったんだよ。


『があぁぁぁぁッ!』

 赤毛の狼が吠え、何度も爪を振るう。それらを全て弾き返していく。タイミングさえ間違えなければ、力を跳ね返すのは容易だった。


『くそ! 後悔するなよ。この力だけは使わないつもりだったんだぞ!』

 赤毛の狼が眼前に両手の爪を交差させる。


 奥の手か?


 くそ、奥の手を隠し持っていたのかよ。くそ、出し惜しみするとか、ホント、嫌になるぜ。こっちは普通の人なのにさ、ホント、コイツら何なの。変身はするし、奥の手を出すし、はぁ、ホント、はぁ。


 赤毛の狼の爪に炎が灯る。真っ赤に燃える。火の魔力が爪に宿っていくのが分かる。魔力の流れが見える。


 これは……ヤバいか。


 覚悟を決めろ。


 草紋の槍を持った右手に魔力を循環させる。細部の血管に行き渡るように魔力を流し込む。


 火の魔力を纏った爪が振るわれる。炎の渦が舞う。俺には耐性がある、少しは持つはずだ。


 魔力を纏わせた草紋の槍で炎の渦を振り払い、爪を受け止める。炎が体を焼く。だが、耐える。

『なんだ……と』

 赤毛の狼が驚きの声を上げる。だが、その顔がすぐに笑みへと変わる。


 ピシッ。


 小さな音とともに俺が持っていた草紋の槍にヒビが入る。


『あんたは耐えても、槍は耐えられなかったね!』


 草紋の槍に次々とヒビが入っていく。


 草紋の槍が保たない。


 だが、俺は確信を持っていた。


 草紋の槍のヒビが広がっていく。


 鍛冶士のミルファクは言っていた。


 魔力が馴染めば武具は生まれ変わる、と。


 今が誕生の時だ。


 魔力によって増した右手の力で炎の爪を振り払う。俺はそのまま左足の親指に魔力を循環させ、その勢いで飛び上がる。


 突き。


 そう、突きだ。


 単純な力による突き。


 狙うのは赤毛の狼の首元に輝いている人型の時には胸当てだった首飾りだ。


 草紋の槍が弾ける。その中から細く伸びた蕾と茨が絡み合った槍が生まれる。これが草紋の槍の生まれ変わった姿だッ!


 赤毛の狼の首飾りが弾け、その巨体が大きくのけぞる。


 蕾と茨の槍を持ち着地する。だが、魔力を循環させた後遺症か上手く着地出来ず、転ける。格好つかないな。


 そして、倒れたまま……見る。


 赤毛の狼は、元の赤髪の少女の姿に戻り、倒れていた。毛皮のような服を身に纏っている。元に戻っても裸じゃあないんだな。いや、別にがっかりしているワケじゃあないから。


 って、そうじゃない、そうじゃあない。やったのか? やったよな? いや、でも殺していないよな?


 むくりと赤髪の少女が起き上がる。怪我はないようだ。


 その赤毛の少女がこちらへと駆けてくる。勝った俺よりもよっぽど元気じゃん。って、これ、勝ったって言えるのか。まさか、このまま続行か。不味くないか。こっちはほぼ全力を出した後だし、普通に負けそうだぞ。


 どうする、どうする。


 どうすれば……。


「お、お姉様!」

 うっとりしたような表情の赤毛の少女が俺の手を取る。


 ん?


 んんん?

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