050 勇者でも英雄でも無くても
マントのオークが青く輝く直剣を縦に振るう。圧が凄い。だが、見切れない速度じゃない。
体を横に滑らせ回避する。
だが、振り下ろされた剣がVの字を描き、切り替えされる。避けたこちらへと迫る。手に持った草紋の槍を回し、短く持つ。そして、そのまま下から迫る剣を受け流す。弾かれる。だが、その弾かれた勢いのまま、後方へと跳ぶ。
逃げる。
距離を取る。近接は剣の間合いで槍の間合いじゃない。
だが、距離を取った俺を追うようにマントのオークが迫る。斬り上げた姿のままスライドでもしているかのように動いている。早いッ! 斬り上げた姿のまま、そこからどうやって間合いを詰めるように動けるんだよッ!
ヤツの振り上げた剣が、そのまま振り下ろされる。
慌てて草紋の槍の柄で振り下ろされた剣を受ける。受け止める。重い。だけど、力なら負けていないッ!
このままでは切り崩せないと思ったのかマントのオークが剣を引く。判断が速い。そして、次の瞬間には、その剣が横へと薙ぎ払われている。俺は慌てて屈み、それを回避する。地面に這いつくばる。格好なんて気にしない、とにかく生き延びる。
周囲のオークたちの野次が聞こえる。うるさいくらいだ。
俺は、今、槍を持っている。槍で戦っている。だけど、俺は槍の使い手だったわけじゃあない。槍の扱い方を知っている訳じゃない。槍なんて、この世界に来て初めて握ったくらいだよ。ただ、距離を取って安全に使えるから、と選んだだけだ。
だから、こんな強者には通じない。当たり前だ。分かっている。
だから、無様でも、それでも必死に生き延びて――そして、戦うだけだ。
地面を転がり、そのまま地面を蹴って跳ぶ。跳びながら体勢を整える。
着地する。
だが、その俺を待ち構えていたようにマントのオークの大きな体があった。背の低い俺からすると見上げることでしか――マントのオークが青く輝く直剣を両手で持ち振り上げている。
ヤバい、ヤバい。
ゆっくりと剣が迫る。ゆっくり? いや、違う。周りの動きも遅い。空気が重い。もしかして、死ぬ瞬間に世界がゆっくりになるとか、そういう――、
不味い、不味い、不味い。
生き延びる。生き延びる。生きる。
見えているのに、来ると分かっているのにッ!
動けない。体が重い。どうにかしようと動かしている自分の体もゆっくりだ。
見えている速度に体が追いつかない。
ヤバい、ヤバい、不味い、不味い。こんなゆっくりとした動きでは何も出来ない。迫る剣を体で受けるしか無い。受けたらどうなる? 鎧も無い、布を纏っただけの俺では防ぐコトなんて出来ない。出来る訳がない。
それならば、どうする?
こうするッ!
――[サモンヴァイン]――
魔法によって草を生み出す。生み出すのは、このマントのオークの体だッ!
そう、魔法なら一瞬で発動する。動けない、今のような思考だけが加速しているような状況でも、いや、そういう状況だからこそ、これで何とかなるッ!
生の体に草を生やされたマントのオークの動きが一瞬だけ止まる。動きが止まったのは一瞬だ。そう、一瞬しか稼げていない。だが、それで充分だ。
攻撃する? いや、違う、離れるんだ。
槍の間合いじゃない。
距離を取り、すぐに草紋の槍で突く。驚いた顔のマントのオーク。だが、その一撃はあっさりと青く輝く直剣に防がれる。だが、諦めない。何度も突く、突く、突く。突きを放ちながら距離を取っていく。マントのオークから離れていく。稼いだ距離を詰められたら終わりだ。
素早く、連続で突きを放つ。だが、その突きの全てが青く輝く直剣によって防がれている。こいつ、こいつ、何なんだよッ!
草魔法で直接体に草を植え付けた。体に根っこが張って、チクリとした痛みが走っただろうに、止まったのは一瞬だ。痛みで止まったというよりは不意打ちに驚いて止まったという感じだ。次は、その一瞬すら稼げないかもしれない。
周囲のオークたちが騒いでいる。うるさい。
どうする、どうする。どうすれば……。
投げ捨てられたリンゴの方を見る。死んでいないはずだ。あのリンゴが死ぬはずがない。折れた骨だって、傷だって、すぐに治るほどの再生力を持ったリンゴだ。俺が頑張れば助けられる。
幸い、このマントのオークは自分の力に自信があるのか、一騎打ちにこだわってくれている。周囲のオークたちが動き始めたら俺は負ける。だが、一騎打ちなら何とかなるはずだ。それが、一人だけで、ここに集まっている野次馬のオーク十人よりも強い相手であろうとも、だ。
一対一なら、何とかなる。
そう、俺なら何とか出来るッ!
俺は突きを放ち、距離を取りながら移動する。ゆっくりと移動する。目的の場所へ。
……。
もしかすると、このマントのオークは俺が何かを狙って移動していることに気付いているのかもしれない。だが、それを強者の余裕か、あえて見逃してくれているような気がする。
このマントのオーク、俺が草魔法を放ってから表情が変わった。
楽しんでいる。
くそがっ。
次に何をするつもりだ? やって見せろ、って感じか。余裕だなぁ。余裕だよなぁ。くそッ! こっちは必死だってぇのにさあッ!
俺が狙っていたもの。
リンゴと一緒に転がっている、それ。
それはリンゴが持っていた盾だった。この盾は大猪の突進にも耐えた。そして、多分、このオークたちとの戦いでも、マントのオークの攻撃をも防ぎきったのだろう。もし、リンゴが扱っている武器が不慣れな斧ではなければ、勝っていたのはリンゴだったはずだ。何故、リンゴが不慣れな斧を使っているのかは分からない。こんな命がかかっている時でも変えないのだから、それは絶対に譲れない何かがあるのだろう。
でも、俺は、俺には、そんな誇りは無い。
勝てるなら、生き延びるためなら何だってするつもりだ。
足元に当たる。盾だ。
俺は盾を蹴り上げ、それを片手で持つ。片方の手には草紋の槍を、もう片方の手にはリンゴの盾を。
良し。
良し、だ。
これで負けは無くなった。今の俺なら、この怪力少女の体なら出来るはず。必ず出来る。
出来る、出来る、出来る、きっと、いや、必ず出来る。
俺は盾を構える。だが、これは貝殻のように閉じこもるためじゃあない。次に繋げるためだ。
マントのオークが迫る。青く輝く直剣の振り下ろし。ああ、それは一度見せてくれたよな。タイミングは分かっている。こいつは、優れた剣士なのだろう。剣の軌跡が技となるほど、同じ速度、同じタイミングで攻撃出来るほど、何度も何度も修練し、鍛え上げてきたのだろう。ああ、分かる、分かるよ。
戦う為の修練を何も行っていない俺が偉そうに言えることじゃあ無いのだろうが、言わせて貰うぜ。
「それが徒になったなッ!」
俺はタイミングを合わせる。分かっている、これはゲームじゃあ無い。ゲームで出来たことが、こちらで出来るとは限らない。だけど、俺の体は分かっている。それが出来ると言っている。
迫る剣。
俺は、それを――弾いた。
パリィ。
パリング? 名前は何だって良い。これは盾で相手の攻撃を防ぎ、受け流し、そして相手の体勢を、体幹を崩すための防御術だ。
出来た。出来たぞ。
単純な話だ。要はタイミングだ。盾にかかる力を、一瞬の間を――相手の攻撃が盾に触れる瞬間に、力の方向を変える。
だが、それには、そのタイミングを見極める『感』と目――集中力が必要になる。勘では無い、感じる力だ。
剣を弾かれたマントのオークが驚きの表情のまま固まっている。
チャンスだ。
俺は草紋の槍で突く。無防備な体を目掛けて突く。
だが、その突きはマントのオークが身につけた鎧によって弾かれてしまう。手が痺れるほどの硬さだ。今朝、ぶっ壊した岩よりも硬いんじゃあないだろうか。
くそッ!
だけど諦めない。
一度出来たんだ。もう一度、いや、何度でも繰り返すだけだ。
体勢を整え、構え直したマントのオークが、もう一度、青く輝く直剣を振り下ろす。
集中ッ!
俺はその間を見極め、盾で攻撃を弾く。そして、突きを放つ。だが、鎧に弾かれる。こいつを倒すには草紋の槍では足りないのか、無理なのか? 鎧を身につけていない場所を、そう顔とかを攻撃すれば……。
いや、それには草紋の槍の長さが足りない。本来の槍の長さなら余裕があったのだろうが、この草紋の槍は短槍だ。二メートルを越す、このオークの顔に届かせるには足りない。力の入っていない一撃になってしまうか、間合いに入りすぎて掴まえられてしまうか、どちらにせよ、最悪の結果にしかならないだろう。
鎧は、急所や足部分も覆っている。体の可動部分は開いているが、そこを攻撃するなら裏に回る必要がある。正面からでは無理だ。こいつが上半身裸になっているようなオークだったら――いや、考えても仕方ない。
一撃で駄目なら繰り返すだけだ。
マントのオークが剣を横に薙ぐ。その攻撃も見た。
集中ッ!
俺は間を合わせ、弾く。突く。
迫る剣、弾く、突く。
何度も何度も繰り返す。やがて、周囲の雑音が消えていた。野次を飛ばしていたオークたちの声が聞こえない。
目の前のマントのオークの表情には余裕が無くなっている。焦りすら見える。
弾く、突く。弾く、突く。
繰り返す。
良い盾だ。いくら力がかからないように防いでいると言っても、限界があるはずだ。耐えているのは、この盾が優れているからだ。
それに比べて草紋の槍の不甲斐ないコトよ。ああ、武器のせいにしては駄目だな。単純に俺が槍の扱いの素人だってだけだろう。熟練の槍使いなら――、
弾く、突く。弾く、弾く、突く。弾く、突く。
やがて世界が灰色に、ゆっくりとした時の流れる世界へと変わっていく。
弾く、突く。
マントのオークがタイミングをずらしたり、フェイントを入れたりするようになるが、今の俺には、それが全て見えていた。ゆっくりと時が流れている。
こんなスローモーションのような世界なら、それを見極めるのも簡単だ。
弾く、突く。
繰り返す。勝てない。勝てないが、足止めは出来る。時間を稼ぐことは出来る。他の連中が集まってくれば、逆転出来るかもしれない。例えば、あの魔法使いの集団とか、さ。
耐える。
ただ、耐える。
どれくらいそうしていただろうか。
「しょ、将軍、時間です」
と、そこに一人のオークの声が――戦いを中断させた。
マントのオークの剣が止まる。
「名前は」
マントのオークが口を開く。
名前?
あ、ああ。俺の名前を聞いているのか。
「タマ、だ」
獣人で猫ぽいからと安易に付けた偽名だ。こんな場面では、ちょっと恥ずかしい名前だったかもしれない。もう少し、考えれば良かった。まぁ、それも良いさ。今更だ。
「タマ、か。名残惜しいが時間だ。最後に我の戦技を受けていけ」
マントのオークが青く輝く直剣を構える。正面に、眼前に、垂直に構える。
その青く輝く直剣に光が集まる。青い輝きが増していく。
何をするつもりだ? 何が……。
いや、不味い。これは不味い。不味い予感しか無い。
コイツがやろうとしている攻撃も弾く? いや、駄目だ。受けたり、弾いたら駄目だ。
となれば、出来ることはッ!
「誰が受けるか、死ねッ!」
俺は叫ぶ。
叫んで、走って逃げる。
そうだ。コイツの攻撃、どうも溜めが必要なようだ。だから、その隙に逃げる。俺は戦士でも武人でも無い。わざわざ受けてやる義理は無い。この隙に攻撃しようにも、攻撃が通じるとは思えない。だったら、どうする?
逃げるんだよッ!
走って逃げる。距離を取るんだ。
マントのオークの輝く直剣が振り下ろされる。普通では届くはずが無い距離。だが、それでもお構いなしに振り下ろす。
振り下ろされた地面が削れ、吹き上がり、そして衝撃が走る。走って逃げている俺を追うように衝撃波が飛ぶ。逃げられない。
俺はとっさに盾を構える。
盾で受け止める。だが、受け止めた体ごと吹き飛ばされる。俺の体が宙を舞う。無茶苦茶だ。こんなの、こんな技を至近距離で受けていたら、弾こうとしていたら――俺は死んでいた。
近くの建物に突っ込む。燃え尽き、脆くなっていたのか、壁が壊れ、突き抜け、建物の中を転がる。
「くはぁ」
痛みと打ち身に体の中のものがこぼれる。さっき食べたばかりの骨付き肉たちだ。
はー、ひー、ふぅふぅ。
だが、生きている。生き延びた。
オークたちの声が聞こえる。
「将軍、とどめは?」
「良い。撤退を優先する」
俺は、そんな声を聞きながら意識を手放した。
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