014 査定

 道の先に少し大きめの建物が見えてくる。もちろん、この建物も木製だ。どうやらリンゴはその建物を目指しているようだ。


 道を歩いている人たちを見ながら荷車を押していく。何か書かれた看板も見える。絵だろうか。面白いなぁ。

「あまりキョロキョロしない方が良いのだ」

 前を歩いていたリンゴがそんなことを言ってくる。前を見て、こちらを見ていないのに俺がキョロキョロと周囲を見回していたことに気付くとは、なかなか凄いことだ。これも魔獣を狩っている経験からくるものなのだろうか。でも、このリンゴさん、草狼にたかられて逃げていたような人だしなぁ。


 そして、建物に辿り着く。その建物の中に入るのかと思ったら、リンゴは荷車を引っ張り、その裏へとまわっていく。


 裏側?


 建物の裏には、木の柵で区切られた広場があった。そこに一匹の二本の足で立って動いている猫が居た。いや、一人と呼ぶべきなのだろうか。

 黒い色の猫が服を着て何かの作業を行っている。猫が二本足で立っている。以前に流行った狩猟ゲームの相棒を思い出させる姿だ。

 何の作業を行っているのかと思ってよく見てみれば、見たことのない四つ足の魔獣の死骸をより分けているようだった。


 ……腑分け? ちょっとグロい。


「査定をお願いしたいのだ」

 リンゴがその猫人に声をかける。

「五番に置いときな」

 猫人が答える。低い声だ。意外と声が渋い。見た目は立ち上がって服を着ている猫なのに、歴戦の傭兵みたいな声だ。

「分かったのだ」

 リンゴが荷車を引っ張っていく。五番と呼ばれた場所へ運ぶのだろう。


 柵で区切られた場所へ荷車を入れる。そして、リンゴが、そこに置かれていた札を拾っていた。

「査定はすぐに終わると思うのだがな。ここには水桶もあるのだ。良ければ体を拭くのだ」

 査定、か。さっきの猫人が鑑定でもするのかな。まぁ、まずは、だ。


 リンゴは水桶があると言っていた。お言葉に甘えるとしよう。


 だがッ!


 聞かねばならぬ。


 これは聞かねばならぬ。


 ……。


「無料ですか?」

 それを聞いたリンゴが兜を傾げる。


 傾げている。


「えーっと、水とかって貴重なんじゃないですか?」

 いや、だってさ、ここまでまともに水を見ていないぞ。見かけたのは泥水や水たまりだけだ。町があるくらいだから、何処かに水源はあるはずだけど、それも見つからない。見つからなかった。


「ああ、ここにあるのは汚れ水だから大丈夫なのだ」

 汚れ水?

「汚れ水とは何でしょうか?」

「ああ、忘れているのだな。いや、元から知らないのかもしれない可能性もあるのだな」

 間違いなく元から知りません。まぁ、今の俺は記憶喪失の可愛そうな獣人の少女だからな。それっぽく振る舞わないと……。

「えーっと、良く分かりません。教えてください」

「魔法協会が精製に失敗した水だから、いくら使っても大丈夫なのだ」

 精製に失敗した水?

「魔法で水を生み出しているってことですか?」

「魔法協会の仕事の一つらしいのだ。すまぬが、それほど魔法協会に詳しいワケでもないので、そういうものだとしか分からぬのだ」

 ……なるほど。分かったような、分からないような、まぁ、気にしないのが一番か。


 ま、まぁ、体は綺麗にしよう。体中にくっついた草狼の血が乾燥してカピカピになっている。体中の体毛とくっついて削り落とすのも難しそうだ。これは体を洗うのが大変そうだ。


 リンゴの案内で柵に区切られた広場を歩く。その一角に木樽が並んでいた。これが汚れ水かもしれない。

「この水は好きに使っても大丈夫なのだ」

 これが汚れ水で間違いないようだ。


 木樽はちょっと大きい。自分の背丈と同じくらいの大きさがある。この中にたっぷりの水が入っているのだとしたら、体を洗うのには充分過ぎるくらいだろう。


 木樽の縁に手をのせ、体を持ち上げ、樽の中を覗く。樽の中には……水があった。


 青や緑、白や黄色、様々な色が詰まっている。濁っているというレベルではない、完全に染まっている。

「えーっと、色が凄いです」

 凄いです。

「気にする必要は無いのだ。精製の失敗で色が付いただけの水なのだ。体に色が付くことはないのだからな」

「飲むのは止めた方が良さそうな色ですね」

「飲むなら、飲む用の水をオススメするのだ」

 あー、うん。飲むのは止めた方が良さそうだ。しかし、何で色が付いているのだろうか。


 木樽の中に手を入れてみる。少し冷たい。水だ。確かに水だ。色の付いた水の中から手を抜く。ざばあっとな。うん、水だ。


 ……。


 手に色は付いていない。確かに水だ。不純物がないってことだろうか? なのに、水には色が付いている? 良く分からない。異世界的な謎原理なのだろうか。魔法協会とやらが作ってるくらいだから、魔法的な何かなのだろう。


 とりあえず体を洗おう。と言っても、こんな広場的な場所で全裸になって体を洗うのは抵抗がある。


 仕方ないな。


 木樽を持ち上げる。そして、そのまま逆さにして頭から水をかぶる。


 だばぁ。


 ふぅ、さっぱりした。


 これでもまだ体に血がこびりついている気がする。腕に、体に、鼻を近づけて匂いを嗅いでみる。うっすらと血の臭いがする。


 新しい木樽の縁に手をつけ、飛び上がる。そのまま木樽の中にイン。ドボンと浸かるぜ。木樽の中に入って、そのまま体を洗う。ああ、綺麗になった気がする。色水に草狼の血が流れ落ち、混ざり、汚れている。

 生き返った気分だ。


 木樽からよいっしょっと抜け出す。


「そろそろ査定が終わっていると思うのだ。終わったら食事にするのだ」

 そうだった、そうだった。ここには、ご飯を食べに来たのだった。


 必死になって沢山集めた草狼の死骸だ。良い金額になると嬉しいな。


 荷車のレンタル料として、すでに銀貨一枚を取られているから――うん、それ以上にはなるんだろうけどさ、どんなものなんだろう。よく考えたら銀貨の価値も分からないしなぁ。


 リンゴと一緒に先ほどの猫人のところへと戻る。相変わらずのふらふら歩きだ。尻尾がゆられてバランスが悪い。水を浴びたからか尻尾が重くなって、さらに歩くのが難しくなった気がする。

 ホント、この尻尾、邪魔すぎる。


 ああ、もうッ!


 ……いや、そうだな。うん、駄目だ。頑張って慣れよう。慣れるって決めたことだった。頑張るしかないよなぁ。


 荷車を置いた場所に戻ると先ほどの猫人が待っていた。

「査定、終わってるぜ」

 そして、肉球の付いた手をこちらへ広げている。猫だな。

「札なのだ」

 リンゴが猫人に拾っていた札を渡す。


「それで査定金額はどうなったのだ?」

「グラスウルフ、八匹、半壊が四匹、魔石込みで辺境銀貨三枚だ。大陸貨でなら銀貨一枚だぜ」

 猫姿なのに凄く渋い声だ。


 って、銀貨三枚? たった三枚? あれだけの数でそんなものなの? 荷車のレンタル料が銀貨一枚だから、二枚の儲けにしかなっていない!? これなら荷車を借りない方がよかったじゃん。


 良かったじゃんッ!


「な、なんだと! おかしいのだ! いくらグラスウルフが低級な魔獣だとしても辺境銀貨三枚は少なすぎるのだ! 何かの間違いなのだ」

 リンゴが叫んでいる。それを聞いた猫人が肩を竦めている。猫のなで肩で器用なものだ。

「文句があるなら直接市場に持っていくんだな」

「なっ! しかし……」

 猫人が大きなため息を吐き出す。

「最近は何故か魔獣の数が増えているからよ、こんな寂れた町でも持ち込みが多いんだよ。正直、買い取る必要が無いくらい飽和状態なんだよ」

 増えている、か。


 草狼が昼間に現れたのも数が増えているから、なのか? まぁ、それほど草狼の生態を知っている訳じゃないけどさ。


 ……。


 って、あ、そうだ。


 俺は懐に隠していた草狼の魔石を取り出す。あのリーダークラスから手に入れた魔石だ。これならどうだろう。

「えーっと、これはいくらになりますか?」

「お、おい、こいつは何だ!」

 渋い声の猫人が俺を指差している。こいつとは失礼な。


「騎士くずれ、お前の奴隷なのか!」

 何だか猫人は驚いているようだ。

「違うのだ。草原で出会った記憶喪失の少女なのだ」

「そうなのだ! 俺はタマなのだ!」

「おいおい、しかも大陸語で喋れるのかよ。どうなっているんだよ」

 無視された。大陸語って共通語のことだよな。それを言ったら、リンゴも、門番も、それに、この猫人本人も共通語を喋っているじゃないか。


「いや、それを言ったら、そっちも喋っているじゃないか」

「いやいや、そりゃあ、大陸語が使えなかったら仕事にならないだろうがよ」

 うーん。共通語ってのは職にありつくために必要な言語ってことなのか? 何だか、そんな感じのような気がする。でも、この地で主に使われているのは辺境語って感じか。


「それで査定額はどうでしょう。高く売れるなら待ちますよ」

 これも渡してから待たないと駄目かな。まぁ、お腹いっぱい食べるためには待つくらいいくらでもするぜ。

「いや、待つ必要はないぜ。そいつなら辺境銀貨で十枚だな」

 お、おー、高い。

「それとも大陸貨にするか? それなら銀貨五枚だ」

 辺境銀貨と大陸貨? 何だ?


 どう違うのだろう。

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