004 転
戻ろう。
この肉は食べられない。こんなグロいものに、生で齧り付く気にはなれない。お腹は空いている。でも、生でなんて食べられない。それに、だ。血で体毛がべっとりとしていて……見るのもキツい。
履いている靴にこびりついた毛と血を地面にこすりつけ拭い取る。気持ち悪い。ああ、折れた枝でも突き刺せば良かった。
それに、だ。これだけやったのにレベルが上がっていない。こんなにも頑張ったのに報われない。
……お腹が空いた。
駄目だ。頭が回らなくなっている。
もう、お腹が空いたことしか考えられない。集中力が――切れる。
食べ物。
肉。
肉は……不要だ。いや、肉は食べたい。食べたいけど! けど、だ。足元にある、目を背けたくなるグロいものを見ていると肉を食べたいという気持ちが消えていく。吐きそうな気分になる。当分、肉は要らない――なのに、それでもお腹は空いている。肉以外のものが食べたい。
甘いものが良いな。
そうだ、あれだ。
あの木に実っていた果実だ。鑑定の結果が食用となっていた果実。中毒性はあるのかもしれないが、大量に食べなければ大丈夫だ。そうだ、きっと大丈夫だ。
あの木があった場所は分かる。
来た道を戻れば良い。何も無い草原だが、目印になりそうな塔は見えている。ちゃんと帰ることは出来るはずだ。
果実。
果実だ。
甘いのだろうか。それとも酸っぱいのだろうか。ほんのり硬そうだったけど、どうだろう。噛みしめれば、その果汁が口の中に広がるのだろうか。きっと広がるだろう。
それはきっと甘くて……。
もう、頭の中が、あの梨とリンゴを混ぜたような果物を食べることでいっぱいになっている。
空腹で限界だ。
それでも歩く。
来た道を戻る。
こんなことなら、何個かもぎ取っておけば良かった。その場では必要ないと思っても、後で使うかもしれないのに! それで、今、こんなにも後悔しているのに。
次は後悔しないようにしよう。
『とりあえず』『念のため』この二つを忘れないようにしよう。
ゲームでも良くあることだ。不要だと思って捨てていたものが後で必要になったり、ゴミだと思っていたものがアップデートで需要が増えてなかなか手に入らなくなったり、それで後悔したり……。
こんな、お荷物にしかなっていない寒天が落としたぶよぶよ球体よりも食べ物を優先するべきだったんだ。
後悔しながら歩く。
歩く。
歩いている自分の影が――空を見る。
そして、空が赤らみ始めたことに気付く。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
夕焼け……?
赤い。
ま、まさか夜が近いのか? 何故かゲームの中に居るような感覚で夜は来ないと思っていたけど――思い込んでいたけれど!
夜になるのか?
こんな良く分からない場所で夜を過ごすのか!?
見れば陽はどんどんと傾いている。夜が来る。
不味い。
あの木があった場所までは、まだまだ距離がある。
多分、三十分? いや、一時間? 正確な時間は分からないけど、まだまだ辿り着けないはずだ。走っても間に合いそうにない。
……いや、走ろう。
それでも走ろう。
木を目指して走る。
空腹で倒れそうだが、気合いと根性で耐えて走る。息が切れそうだ。それでも走る。とにかく走る。
そして――陽が落ちた。
周囲が暗闇に包まれる。目印代わりの塔は見えない。
明りが、無い。
何も見えない。
真っ暗だ。
想像していたよりも――何倍も何倍も真っ暗だ。
あの果実が実っていた木に向かうどころじゃない。今、動けば迷子になってしまう。
太陽が昇るまでこの場にとどまるべきだ。動くのは不味い。
……でも、空腹だ。果物を食べることだけを考えていたから、それが手に入らないのは本当にキツい。
……キツい。
……。
そうだ。寝よう。こういう時は眠って誤魔化すのが一番だ。
こんな草原で――ゴツゴツとした地面の上でしっかりと眠れるか不安だけど、もうそれしかない。寝て誤魔化そう。そして、起きたら、あの木を目指して歩こう。
もう、今日は疲れた。
こんな良く分からない場所に投げ出されて……いや、それでも俺は頑張ったよな。頑張った方だよな。
寝よう。
横になる。ゴツゴツとした地面が体に当たり、かなり痛い。目を閉じる。こんな状況で眠るなんて無理だ。そう思った。
だけど、疲れていたからか、すぐに眠気はやって来た。
眠りに落ちる。
……。
闇。
……。
ん!?
何かの唸り声に目が覚める。
うるさい。
周囲は未だ闇に閉ざされている。
夜。
そして、目が覚める。
一瞬にして目が覚めた。
夜の暗闇の中に光り輝くものが浮いている。一個や二個じゃない。無数だ。それが唸り声を上げながら、こちらを取り囲んでいる。
俺はそれが何かに気付いた。
獣だ!
う、嘘だろう?
取り囲まれている。
俺は何か唸り声を上げている動物に取り囲まれていた。どうにも穏やかじゃない。
な、何か武器になるようなものは……?
何も無い。
ここには何も無い。
いや、タブレットだ。あのタブレットがある。
暗闇の中でタブレットを触る。もしかしたら明り代わりになるかと思ったが、タブレットは光らなかった。光らない。だけど、そのタブレットに書かれている文字は分かった。どういう原理か分からないが、暗くて見えないのに、タブレットに表示されている文字は分かる。
何だ、これ?
いや、今はそれどころじゃない。
タブレットを適当に操作する。魔法とかスキルが手に入れば何とかなるかもしれない。この状況を打破するための奇跡が……。
と、そこで、こちらを囲んでいたものたちが動いた。
暗闇の中、何かが飛びかかってくる。それをとっさに躱す。
次々と何かが襲いかかってくる。躱す、躱す、躱す。
……。
躱せている!
そうだ、反射神経は悪くないんだ。この暗闇でも、囲まれていても何とかなっている! ゲームで鍛えた反応速度! 俺は凄いぞ!
その次の瞬間だった。
タブレットを持っていた手に激痛が走る。
痛い、痛い、痛い、痛い!
痛みにタブレットを落とす。
痛い、痛い!
油断した。どうなった? 何が! 何が!
暗闇で分からない。
手が!
手が!
手がどうなっているのかを見るために、顔に近づける。何かが顔にかかる。液体?
手が……?
手を顔に近づけるが、その手が見えない。いや、暗いからじゃない。こんなにも近づけているのに……。
あれ? 指が動かない。指が、感覚が……。
白い塊だけしか……あ、ああああああああっ!
痛い、痛い、痛い。
痛みを我慢できずに手を抱えて――先っぽがなくなった手を抱えて転がる。
痛い、痛い、痛い。
そこに次々と何かが飛びかかってくる。噛みつかれる。
噛みつかれている。
獣から漏れ出た臭い息が顔にかかる。
臭い。
それに嫌な血の臭い。
血が、痛い、肉が、痛い、痛い、痛い。
喰われている。
ああ、喰われている。
俺が、生きたまま喰われている。
嫌だ。こんなのは嫌だ。
痛い。
何で、こんな目に。
俺が何で、こんな目に!
痛い。
ここはゲームじゃないのかよ。
痛い、痛い。
だ、誰か助け……、
「たうけて……」
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