4 福島県について④浜通り
問題の福島第一原発があったのは浜通りで、太平洋側にあります。気候は穏やかで、雪は滅多に降りません。『スパリゾートハワイアンズ』というレジャー施設が出来たのもこの気候が関係しているでしょう。他のエリアとは政治などで気が合わないことが多々あります。選挙結果を見てみたら、会津・中通りと浜通りで分かれていたこともありました。
さらにここからいくつかの地域に分けられますが、今回は
以下は、現在の避難指示区域に関する説明です。過去の状況につきましては『ふくしま復興ステーション』内にあります「避難区域の変遷について-解説-」(2018)をご覧ください。
帰還困難区域:放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理
的な防護措置を実施し、避難を求めている区域。
居住制限区域:将来的に住民の方が帰還し、コミュニティを再建することを目指し て、除染を計画的に実施するとともに、早期の復旧が不可欠な基盤施設の復旧を
目指す区域。
避難指示解除準備区域:復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の方が帰
還できるための環境整備を目指す区域。
相馬郡
浜通り北部に位置し、よく原発関連の話題で挙がりやすい飯舘村も含まれています。相馬
最北の新地町は1876年(明治9)に福島県となるまでは宮城県であり、方言などで富岡以南と異なります。
現在は南相馬市と飯舘村の一部が『帰還困難区域区域』とされています。
3.11では9.3メートル以上の津波を観測。観測不可が多いため断定はできませんが、データ上は3.11で観測した津波の中で最大となります(宮古が8.5メートル以上、大船渡が8.0メートル以上、石巻市鮎川が8.6メートル以上)。
【名産品】
・日本甲冑
・相馬駒焼
「相馬駒焼は、独特のひび焼と走り駒の絵が描かれているのが特徴です。
登り窯は元禄時代以前の築窯といわれ、日本最古の古窯で、福島県の有形民俗文化財にも指定されています。風雅さと実用の美を兼ね備えた相馬駒焼は、国内はもとより海外でも珍重されています。※現在、相馬駒焼の製作は行っておりません」(相馬市公式ホームページより)
双葉郡
3.11以降は原発事故でネガティブなイメージが広まりますが、沿岸部は津波被害も酷かった地域です。次に挙げるいわき市に移る人々が多いため「双葉群VSいわき」と揶揄されがちですが、実際は相馬地区も関係する上双葉群ですら原発補償を貰えていない住民がいるため、対立させるとしても「原発補償を貰った人々VS貰えていない人々(津波被災者含む)」が正しい認識です。
【双葉群に属する地域】
名前は聞くけど、どこがどこだかわからないという方のために、双葉群のみ、それぞれの地域を北から順に紹介していきます。避難区域に関しては2019年3月時点。
葛尾村
中通り側、浪江町の西側に位置する村。2016年6月12日に避難指示解除準備区域および居住制限区域が解除。
浪江町
福島DASH村のある地域で、なみえ焼そばが有名。2017年3月31日に避難指示解除準備区域および居住制限区域が解除されましたが、一部地域はまだ帰還困難区域。 福島第一原子力発電所から浪江町までの距離は最も近いところで約4km、浪江町役場までは約8km。
特産品は大堀相馬焼。
双葉町
大熊町との境に福島第一原子力発電所があり、現在は町の大部分が帰還困難区域、一部地域が避難指示解除準備区域。
大熊町
双葉町との境に福島第一原子力発電所があり、現在は町の大部分が帰還困難区域、一部地域が居住制限区域と避難指示解除準備区域。
川内村
いわき市出身の詩人草野心平が川内村名誉村民となった際に、蔵書三千冊を寄贈したことで建設された天山文庫があり、中通り側に位置する地域。2014年10月1日に避難指示解除準備区域を解除、居住制限区域を避難指示解除準備区域にしたのち、2016年6月14日に解除。
富岡町
夜ノ森公園桜並木があり、大熊町の南に位置する地域。現在は一部地域が帰還困難区域であるが、大部分の居住制限区域と避難指示解除準備区域は2017年4月1日に解除。楢葉町との境に福島第二原子力発電所を有しています。
楢葉町
富岡町との境に福島第二原子力発電所を有しています。避難指示解除準備区域とされていましたが、2015年9月5日に解除。
広野町
広野町との境が福島第一原子力発電所から20km地点。
『万葉集』第十四の相聞歌「沼二つ
緊急時避難準備区域指定されたが、2011年9月30日に解除。以降は区域指定から外されています。
さて、アジア初のサッカー・ナショナルトレーニングセンターとして建てられたJヴィレッジですが、広野町の観光情報に載っていながら住所は楢葉町であり、JR広野駅・木戸駅の途中に位置するため広野町中心部からはアクセスが悪いという欠点があります。これでは仮にJヴィレッジに人が来たとして、広野町が得するかというと微妙なところ。しかも、アクセスの不便さをやっと解消しようとしたのか(震災前になぜやらなかったのかという疑問はさておき)、2019年4月に開業するJヴィレッジ駅も楢葉町……。それにも関わらず楢葉町の観光情報には今のところ(2019年3月18日時点)Jヴィレッジの情報は無いんですが、複雑な事情でもあるのでしょうか。
ここからは個人の意見になりますが、双葉群に関しては3.11以前から元々印象が良くありません。なぜかあった小児ガンのイメージ、お金欲しさの原発誘致、お金を手に入れた後は他地域を見下す等の噂のせいでしょう。私の地元のように双葉群に近い地域にとっては、元々あまり良いイメージは無かっただろうと思われます。3.11後はなぜか高級車が目立ち、いわゆるヤンキー層が増えたという話や、実際に目にすることが多くなり、いわき市全体にも双葉群のネガティブイメージが広がってしまいました。もちろん極一部ですが、そういう人ほど目につくものなのです。
県外の方から「いわき市民は3.11で得たお金で高級車を乗り回し暴れている」という勘違いからの認識を現在でもされ――果たして彼らをポジティブな気持ちで迎え入れることができるでしょうか? 私は最近、このような県外の方の発言をTwitterで見かけましたが、8年経った現在で、いいねが150超えでした。あなたはどう思いますか?
繰り返しますがここで問題にすべきなのは「原発補償を貰った人VS貰えていない人」の構図です。双葉群でも補償金を貰えていない人たちの方が圧倒的に多いと思われます。なぜ東京電力と裁判を繰り返さなければならないのか、それはもちろん裁判で勝利しない限り補償がもらえない地域の方が多いからです。私の地元だって裁判費用さえ捻出できれば裁判を起こすかもしれません。
津波被災者は2011年のうちに補助を全て打ち切られていますが、原発補償の人たちは金銭補償・医療費無料等が2019年になった今でも続いているのです。「なぜ彼らを受け入れないんだ」という意見が多くみられましたが、この現状を知っても言えるでしょうか。あなたなら受け入れられるでしょうか。
また、「お金が貰えたんだからいいだろう」というような原発いじめは、悪いことだという以前に的外れであることもわかるでしょう――そもそも、貰った人は県外に出ないのです。いわき市でも原発から遠い南部の土地がなぜか売れ出しましたが、土地を買えるほどのお金を用意するのは原発補償金でも無ければ無理です。津波被災の補償なら土地を買えるほど貰えません、せいぜい1、2年死なずに生きられるくらいです。3.11以前に貰っていたお金はもしもの時のためだったはずですが、さて……。
ところで、3.11から8年が経過し、既に大多数の双葉群の住民はいわき市に馴染んでいることでしょう。学校はもちろん商業施設もまだいわき市の方が充実していますし、都会へのアクセスも便利です。原発に近いところは二度とごめんだと思っている人がいるかもしれませんし、戻りたいと思うのは他に行くあてのない高齢者ぐらいでしょう。原発を何とかするのが先か、住民帰還を優先するか――復興について考える際は、このことを踏まえてみても良いかもしれません。
いわき市
面積:1.231.35㎢
人口:341.847人
(平成23年1月1日時点)
【代表的な観光施設】
・いわき市立草野心平記念文学館(小川町)
・塩屋崎灯台(平薄磯)
映画『喜びも悲しみも幾年月』、美空ひばりの楽曲『みだれ髪』の舞台。
・国宝・白水阿弥陀堂(内郷)
・スパリゾートハワイアンズ(常磐)
2006年公開『フラガール』の舞台。常磐湯本町は温泉地。
・アクアマリンふくしま(小名浜)
3.11で被害に遭った水族館。
・勿来の関跡(勿来町)
紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師などの歌人が和歌に詠んだ関所ということで知られています。
【名産品】
・かまぼこ
生産第一位とされていますが、震災後は不明。
面積は東京都23区の約2倍となっています。1966年10月1日、複数の市町村が合併して誕生したのがいわき市です。双葉群だった私の地元も組み込まれましたが、これは日本一面積が大きい市を目指したためだったという説があります(現在は15位)。県の雰囲気や方言は茨城県そのもの。
3.11では6弱、もしくは5強の地震を観測。私の地元久之浜町以外でも沿岸部、河川周辺を中心に被害を受けました。
北部は原発から30km圏内に相当しますが、3.11当時から特に何の区域にも指定されておらず、原発の補償は2019年現在に至ってもされていません。
さて、今回はそんないわき市に対して厳しい視点で見ていきたいと思います。本当に復興したいと思うならまず現実を受け入れる必要があるからです。現実を無視して綺麗事だけを語り続けるならそれはそれで一つの選択だとは思いますが、その場合は、応援してくださる他県の方々から冷ややかな目を向けられることは避けられないでしょう。
震災後、支援として皆様から支援金をいただきましたが――それは本当に被災者に還元されたでしょうか。市のために正しく使うならば被災者に対してでなくとも問題ないのですが、私はせっかく頂いたお金を有益に使えているとは思えません。
きっと2020年のオリンピックに関連したことに使っているのでしょうが、それは反対しません。ただし、もしいわき市がオリンピックに関わるのなら、宿泊場所に苦労しそうないわき市に人を来させていいのか、という問題があります。私の親戚がいわき市に来た時、ホテルの予約は半年前にする必要がありました。何故かは簡単です、原発作業員の方が使用しているので部屋が埋まっているのです。今でも直前で予約を取るのは難しいのではないでしょうか。
これは県営あづま球場が野球・ソフトボール競技のサブ会場になった福島市も同じでしょう。宿泊場所、十分にあるのでしょうか? それとも、2時間近くかけて往復させるのでしょうか。私はせめて茨城などの関東地域で競技を行ったほうが良いのではと思うのですが、盛り上がっているのに水を差すな、と言われてしまうのでしょうね。
また、震災に遭ったのだから防災対策をすれば良いのに、と私は思ってしまいます。荒れ放題の川などを見てしまえば街整備が行われているのか疑問ですし、震災前から全国最下位レベルと言っても過言ではなかったのに、震災後更に悪化した医療の現状を知っていると、さすがにお金の使い方が間違っていると感じてしまいます。前者なら、「豪雨被害があちこちで起きているのになんとも思わないのか?」と、後者ならば「震災後、県外へ行く医療関係者が多かったことくらい知っているはずなのに、何も対策をしないのか?」ということになります。
ある分野ではまともに診られる医者が一人しかいないために、多忙で常連しか診られないという話や、大きな病院なのに急患で行ったら断られた、という話があります。これでは最新医療を受けるなんてまず不可能です。田舎のやり方でいいんだ、というなら否定はしませんが、私にはこの状況では若者が減って人口減少で自滅する未来しか見えないのですがどうでしょうか。
もう一つだけ重要なのは震災後、治安が悪化したということです。これは当然でしょう、原発報道があってそれでも来よう、わざわざ住もうと思えるのは何らかの事情を抱えた方ではないかと思えてしまいます。上で述べたお金の使い方のせいか、市長を非難する活動が活発化していたり、原発推進派・反原発派の運動が行われたり、怪しい外国人が増えたり、事件が起きたり……。
「茨城が近いから、しょうがないんだよ」などという言い訳がいつまで通用するか見ものです。
「3.11を経験したから、もう自分たちは災害に遭わない」と住民が皆楽観視しているだろうということは確実に言えるでしょう。地震の歴史を振り返れば、福島県は今後も全く油断できないということがわかるはずなのですが。
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