03. 9007兆1992億5474万991

 あっけない顛末だった。

 ネットを震撼させたブラクラを作成し、自動車の遠隔操作で警察を欺き、一般人を利用し産業用ドローンの強奪を画策し、そして、警察管轄の端末にハッキングを仕掛けてきた謎のハッカーは、自身の言う通り、確かに天才ハッカーではあった。

 だが、彼女の警察への大胆な接触は、うっかりWEBカメラを起動させたままにしたため、結果としては取り返しのつかない顔出し生配信として幕を閉じた。

 一方で、手掛かりを探していた犯人の顔が早くも割れたため、対策課のメンバーたちは勢いづいた。


「分析官、聞こえるか? 今の映像から何かつかめないか?」


『武田さん! そう来ると思ってすでに調べ上げてますよ、表示しますね!』


 すぐに通信のもどった小笠原分析官がそう答えると、モニターのマップに赤いポイントが示された。市内にある高層マンション。ここがハッカーの住居だと分析官は判断した。


「仕事が早いな。こっちもすぐに出動できそうだ」


『先ほどの映像を匿名掲示板に投稿したら、軽い炎上になったんですよ。そしたら狙い通り、匿名ユーザーたちが映像に映っていた景色から、勝手に場所を特定してくれました! マンションの電力消費量を調べたら、一室だけ異常に高い数値が出たので、そこに容疑者が居る可能性が高いです!』


「さすがですね、小笠原さん」


 山崎が褒めたたえた。


『ちなみに、「あのしゃべり方、いつも専門板荒らしてる奴に似てね?」なんて書き込みもありましたよ。あのハッカーは、もしかしたらネット界隈では有名な人物なのかもしれませんね』


「よし山崎、有名人様に会いに行くぞ」


 武田と山崎が出動した。

 無限アラートを相手に格闘する宮田主任と、主任を励ます須藤は署に残った。



 ***



「もおおおお!! どうしてこうなるのよっ!!?!?」


 少女は錯乱した様子で、ノートPCを勢いよく閉じた。

 今日は、荻野目おぎのめエリザの人生でトップクラスに屈辱的な日だ。


 途中までは良かった。彼女はとても良い感じに天才ハッカーだった。

 忌々しいブラクラ対策課のお偉いさんに無限アラートをくれてやったし、署内のデータもまんまと盗めた。かなり興味深い情報もあったから、色々と面白いことに使えそうだとか考えもしたし、ドローンの奪取を邪魔してくれたあの二人組には、上手いこと言ってやったと自分でも思っていた。

 だが、いまやあの時の偉そうな態度は、滑稽なオチへのだったような気さえする。


 しかし、今は失敗を悔やんでいる場合ではない。うかつに情報を出してしまった以上、警察がここにたどり着くのは時間の問題かもしれない。

 エリザは心底後悔した。無能な警察はこんなにも近くに潜伏している自分を見つけられないという優越感を得るために、わざわざ警察署の近くに住居をかまえたことを。

 間抜けな失態のせいで混乱しながらも、大急ぎでこの場所から逃げ出す準備を始めた。


 旅行用カバンを手に取り、散らかった部屋を漁って、しばらく逃げ回るのに必要になりそうなものを片っ端から詰め込んだ。

 目の前にある愛用のノートPC。メインで使っているスマホ。お気に入りの柄のタオル。ダークウェブで購入した偽造パスポート。歯磨きセット。予備のスマホ。予備のスマホ2(充電器とバッテリーも忘れないように)。手触りの良い紺色のマフラー。2000万円相当の仮想通貨にアクセスできるウォレット端末。カロリーメイトポテト味――いや、メープル味の方がいい――しかし引き出しを開けても見つからない。そもそも今はそんなことにこだわってる場合じゃない。カロリーメイトなんてコンビニで24時間いつでも買えるじゃないか……。


 天才ハッカーであるエリザは、警察に捕まる可能性をこれっぽっちも考えていなかったため、逃走用の準備などまったくしていなかった。逃げるにしてもどこへ行けばいいのだろう。いつまで逃げ続ければいいのだろう。逃走経路も念のため事前に計画しておくべきだった……。


 とにかく冷静になろうとして、ゆっくりと深呼吸をする。部屋の中を見渡すと、引っ越してきてから片づけをしなかったせいで様々なものが散乱しているのが目に入り、頭の中が整理しにくくなる。ハッキング用のPCサーバーや、暇つぶし用だがあまり使ってないゲーム機、そのほか興味本位で入手したガジェット類から、植物のようにケーブルが伸びて、あちこち生い茂っている。今ほど部屋の片づけのモチベーションが高まったことはなかった。


 ピンポーンと、インターホンが鳴った。


『警察です。捜査にご協力を!』


 探している、というより見つけたと確信するような口ぶりだ。

 

 もう来てしまったのか――エリザはいよいよ警察の手がすぐそこまで迫っていることを自覚した。 

 どうにかして逃げ出さなくてはいけない。窓を開けてバルコニーに出ると、市内を一望できる見事な景色が目に入った。マンションの19階から壁を這って逃げ出せる技能があるなら、もはやハッカーなどやっていない――さすがに窓からは脱出は無理とエリザは判断した。


『荻野目さん! ご不在ですか!? 捜査にご協力をお願いします!』


 ドアを叩く音が聞こえてくる。ご協力してたまるかとエリザは思った。

 もう間もなく、管理人から借りたであろうマスターキーで鍵を開けてくるに違いない。


 エリザはその時、以前作った、電子ロックを違法に解錠するデバイスのことを思い出した。鈴木正雄に使わせたもののプロトタイプが、まだあったはずだ。たしか、この部屋の電子ロックで動作をテストしたことがある。

 そいつを使おう、と考えた。エリザは、窓を開けたままにし、棚に置いてあったデバイスを手に取り、クローゼットに身を潜ませた。

 

 ピッ、という解錠音が聞こえた。

 

 先ほどまでの騒がしさとは異なり、静かに侵入してきた。おそらく二人分くらいの足音が、クローゼットの前を通り過ぎた。

 

「すっごい散らかった部屋ですね……あ、見てください、武田さん、窓が開いてますよ!」


「馬鹿な、ここは19階だぞ……」


 予想通りだ、とエリザは思った。無礼にも人様の部屋に侵入してきた警察は、全開の窓を見て、そこから外に逃げたと思い、バルコニーまで一度向かうだろう。その隙にクローゼットから素早く飛び出し、部屋を出てドアを閉める。最後にデバイスで電子ロックを違法して、内側からも開けられなくすれば、少なくともこのマンションから脱出できる程度の時間は稼げるはずだ。

 

 エリザは意を決してクローゼットを飛び出した。

 戸が開いた音で気づかれたらしく、「おいっ!」という声が後ろから聞こえてきたが、気にせず玄関まで向かおうとした……が、そこで地面がひっくり返ってきた。PCのコードが足に引っ掛かり、思い切りこけたのだ。

 エリザはうへぇ、という情けない声を上げながら床に倒れた。めげずに立ち上がろうとしたものの、日ごろの運動不足がたたって左足がつった。痛みでそこから動くことができず、いよいよ涙まで出てきた。武田と山崎にあっけなく確保された。


「荻野目エリザだな。お前をインターネット破壊罪の容疑で逮捕する」


「インターネット破壊罪って何よ!!」


 エリザは涙目で叫んだ。



 ***



「荻野目エリザ。14歳。市内の鷹見沢たかみざわ中学に在籍の二年生だが、入学以来ほとんど登校していない。類まれなるハッキングスキルを持ち、悪質なブラウザクラッシャーを作成。さらに一般人を利用しそのブラクラを拡散させ、産業用ドローンの奪取を目論む。極めつけは、警察へのハッキングとブラクラ攻撃――」


 武田が今までの取り調べの内容を口にしている。その隣では山崎が供述調書を書いていた。

 エリザは終始不機嫌な態度を露わにしていたものの、取り調べでは、あえて事実をごまかしたり、かたくなに黙秘を貫いたりはしなかった。


「今回の一連の犯行をほぼ単独で計画、実行したものの、まぬけなミスで所在地がばれて、あえなく逮捕となる。

 そして事件の動機だが、まずブラクラの拡散については、ネットワーク関連銘柄の株の空売りによる売買差益の獲得。そして――」

 

 武田がさらに続けて話すが、何度も説明した事件の概要をしつこく確認されて、エリザは気が滅入っていた。

 

 彼女は負けを認めた。これ以上の抵抗を見せて、いずれは究明されるほかない事実を、みっともなくひた隠しにすることは、プライドの高い彼女にとって、単なる敗北よりも屈辱的なことだった。それに、ネットの世界ならともかく、司法というアウェーな場では、あまり勝ち目を期待できなかった。


 とはいえ、そんな俯瞰ふかん的な総評よりも、今この場で行われている取り調べを、さっさと済ませてしまいたいという思いの方が強かった。自分が目の前にする二人の警察官には、相当屈辱的な場面を見せてしまった。

 まさかその調書には、足をつってマンションの床に涙目で這いつくばっていたことや、その後、自力で歩けないからその場にいた女性警官におぶってもらいパトカーに乗せられたことまで書かれてはいないだろうか、と少し心配していた。

 この二人を前にしていると、いちいち自分の失敗が思い出されて正直恥ずかしいというのが、エリザの心情ではあった。早いところ刑務所にでも入れてくれた方が、気楽な気さえする。いや、刑務所ではなく、確かサイバー犯罪者専用の収容所でもあったような――とエリザは記憶を探ってみる。自分は未成年だし、どういう扱いになるかはよく分からないが、司法の取り決め通りに扱われるまでだろう。


「おい、聞いているのか?」


「聞いてるし、ちゃんと答えてるわ。何度も同じことを確認されて、うんざりしてきたところよ」


「本当に、お前が所属する『GitHubギットハブ』というハッカー集団の組織は、今回の犯行の目的をお前に教えていないんだな?」


の証明は難しいけれど、その通りよ。何度も言うように、私もまた指示されて動いていた立場にすぎないわ。あのドローンの目的地として設定した座標は、たしかフィリピンあたりだったかしら? 座標値は彼らの指示通りにしただけよ。そして、そこから先、ドローンが何に使われるかなんて全く知らないわ。

 それと、一つ誤りがあるわ。別に私はGitHubギットハブの構成員ってわけじゃないの。主要メンバーと連絡を取ったことはあるけど、単なる一時的な雇われよ。私がドローンを盗み、彼らが金を支払う。それだけの契約関係よ。

 そもそも、あの集団は緩やかなコミュニティーのようなものだから、『所属』という古臭い概念で理解しようというのがナンセンスね。垂直統合型の警察組織の方々には、理解しろというのが難しい話だったかしら?」


 少女が口にした、ハッカー集団「GitHubギットハブ」。以前から警察内部でまことしやかに噂されていた、サイバー犯罪の枢軸たる機関だ。世界のどこかに拠点を置き、ダークウェブ上のマーケットの運営や、フェイクニュースの拡散による民主政治への攻撃、そしてブラウザクラッシャーの作成と運用など、あらゆる非合法なネット上の活動を営んでいるとされている(ときには素朴な募金活動や、便利なフリーソフトの開発といった合法的な活動も行うらしい)。

 組織規模や構成員、資金源など、詳細は闇に包まれているが、ハッカーであればその名を聞いたことがない者はいないとされている。


「なあお嬢ちゃん。もう少し反省の色ってものを見せた方がいいんじゃないか? まさか、裁判でもそんな偉そうな口ぶりでいるつもりか?」


「何がお嬢ちゃんよ……! いたたっ!」


急に体を動かしたため、怪我をしていた左足が痛んだ。


「たとえポーズでも反省している様子を見せた方が、判決が有利になる可能性は高いわ」


 山崎がなだめるように言った。確かにその通りではある、とエリザは思った。あくまで自分のために反省してやればいい。裁判長やら検察官やら、詳しいことは知らないが、下手に敵対しても得はない。もっともこの口ぶりは、ほとんど習慣になっているから注意しなくてはいけない……。少し足の痛みが引いた。


「ああそれと、匿名掲示板で『レッドキャット』のハンドルネームで悪質な荒らし活動をしていたのはお前で間違いないな?」


「ちょっとそれ、今回とは関係ないでしょ……!」


「合ってるようだな……。まあ関係ないとは思うが、それも含めて調査対象なんだ。お気の毒に」


 武田が勝ち誇ったような顔で言った。エリザは内心むかついたし、表情にも出ていたが、何も口答えしないという目いっぱいの反省の色を見せた。


「ところで、荻野目さん。あなたが作ったあの『無限アラート』なんだけど、回避方法はないの? 実は今も、うちの主任が……」


山崎の問いかけの意図をくみ取り、エリザは呆れながらも答えた。


「回避って言っても、ブラウザを閉じるなりすればそれで終わりよ。サンドボックスの中のことは、外とは無関係。アラートは文字通り無限に表示されるわけだけど……えっと、その、そのまさかよね……?」


 そのまさかだった。今も署内では、宮田主任がブラクラと戦っているのだ。

 無限アラートに対して、ひたすら「OK」ボタンを押し続けている。無限というものが、本当に無限なのだろうか。いつか終わりが来るかもしれない。ハッキングを食らった直後と違い、今の宮田主任に怒りの感情はなかった。ただ、インターネットを守るという崇高な思念だけが頭にあり、澄んだ瞳でクリックを繰り返している。


「宮田主任、頑固だから聞かないんだよな。『画面の端のバツ印を押せばインターネットが消せますよ』って言っても、『逃げるわけにはいかない』の一点張りなんだよ……。なあお嬢ちゃん、あれは本当に無限に続くのか?」


 武田が頭をかきながら言った。

 エリザは、果てしなく理解が及ばない価値観に心底呆れてしまったが、しばらく考え込んで、一言つぶやいた。


「9007兆……」


「なんだって?」


「9007兆1992億……5474万と、991。確か、JavaScriptが精度を保てる最大の整数値よ」


途方もない桁数の数字に、武田も山崎も理解が追い付かない。


「その数が、ループ処理の最大回数ってことなの?」


「確証はないわ。でも、内部的な処理の中で変数として扱われる値が、ただ加算されるだけの通常の動きとは異なる振る舞いをするとしたら、そこかもしれないわね。もしかしたら――あくまで、もしかしたらの話よ? そこでループが限界を迎える可能性が、わずかに存在するかも……」


 エリザ自身、自分が言ってることに自信が持てなかった。仮に無限アラートに限界値があったとして――そしてそれが9007兆1992億5474万991回だったとして――、そんな天文学者が使いそうな桁数は、もはや人間にとって無限と大差ないのではないかと思った。


 武田も山崎も、その回数を迎えるまでどのくらいの時間がかかるか、あえて考えようとはしなかった。


 取調室の音声を聞いていた小笠原分析官だけが、興味本位で計算していた。1秒当たり2回アラートを消すとして――なるほど、1億4000万年ほどでよいのかと納得し、宮田主任の長い旅路を心の中で応援した。


 およそ1億4000万年後に、奇跡が起きて無限を打ち破るかもしれない。

 その日まで、宮田主任と兵庫県警ブラクラ対策課の戦いは続くのだ。

 インターネットの平和を守りつづけるため――


 第一部、完。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る