02. 自称天才ハッカー様

「本当に、上手くいくんだろうな!?」


 スマホを相手に話しかけながら、一人の男が走っている。画面にはまでのルートが表示されているが、これは最短経路ではない。そこには、公安管轄の監視カメラに補足されない抜け道が表示されている。


『とにかく画面の表示通りに施設へ向かえばいいのよ。囮の車はやられたようだし、もたもたしてると警察が来るわよ』

「ああ分かったよ……!」


 スマホに示された最適ルートに従い、慎重に目的地へ向かう。

 この男、鈴木正雄は、危険なブラクラを配布した容疑で、現在警察に追われている。

 彼は犯行現場のネットカフェの駐車場で車に乗ったものの、その様子を防犯カメラに見せつけたのち、すぐさま車を降りて、そこからは徒歩で移動している。遠隔操作させた車が時間を稼いでいる間、歩き続け、ようやく目的地に至ろうとしていた。


「ようやく着いた……。後はこの機械に任せればいいんだな? 本当に大丈夫なのか、これ?」

『大丈夫に決まってるでしょ。この天才ハッカー様の作品に不具合バグなんてものがあるとでも思ってるの? あなたは事前に指示した通りに動けばいいのよ』


 鈴木は施設の裏口にたどり着いた。

 ポケットからいくつかのボタンが付いたデバイスを取り出し、電子キーのセンサーに近づけ、ボタンを押した。


 ピッという電子音とともにロックが解除される。電子ロックを強制解除する特殊な端末だ。

 最初の扉を通り抜け、さらに奥に進み、いくつかのドアを同じように解除し、また進んでいく。はじめて訪れる施設内で、たびたび方向に迷い、そのたびに通話相手から早くしろと文句を言われながらも、鈴木は歩き続けた。

 そして、ひと際頑丈そうな扉の前にたどり着き、一呼吸おいてからロックを解除すると、真っ暗な空間が目の前に広がった。

 足を踏み入れると、人感センサーにより作動した照明が、空間を照らしていく。

 広々としたガレージに等間隔で並べられた大型の飛行ドローンたちが、その姿を現した。


「……ここか」

『あとは手はず通りやれば、自由はあなたのものよ』

「報酬は分かってるよな?」

『もちろんよ。予定通り現地にたどり着けば、私の仲間が諸々の手引きをするわ。私は今やることがあって忙しいから、あとは任せたわよ』

「ああ分かったよ。よし、あと少しだ……!」


 鈴木は自分に言い聞かせた。ここまで来たらあと少し。不慣れな作業だが、とにかく指示通りにやれば上手くいくはずだと腹をくくり、動き始めた。


 今まさに不法侵入者による犯行が行われようとしているこの施設は、大手流通会社が所持する無人航空機の研究施設だ。侵入者が目の前にする無数の大型ドローンは、国交省からの認可が間もなく下りようとしている新型機であり、400キログラムの物体を抱えて日本列島を横断できる性能を持っている。


 鈴木はガレージ内に備え付けられたPCに、事前に渡されていたUSBメモリを指して電源を付けた。ディスプレイの表示が、一瞬ノイズで激しくゆがんだが、これは想定通りの動作であり、USBメモリ内のプログラムが正常に動き始めたことを意味する。

 施設の制御用コマンドが自動実行され、まずガレージ奥のシャッターが開き始めた。自由を予感させるような外の光と風が入り込み、それと同時に、次々とドローンたちの電源が入っていく。


 解析中という文字とともにゆっくりと進むゲージが表示されている間、鈴木はガレージ内を歩き回り、ヘルメットとゴーグルを見つけて装着した。次に、シャッターから一番離れたドローンに目を付け、その運搬用キャリアに足を乗せ、振り落とされなさそうな安定した体勢を探った。

 

 ブラクラの拡散だけでも重罪だというのに、企業の機密情報とドローンの窃盗、さらにそのドローンで国外へ逃亡などと、大胆にも犯行を重ねようとしているが、それでも鈴木にとって、引き換えに手に入れられる今のろくでもない生活からの自由は、他の何物にも代えがたいものだった。


「おっと、忘れるところだった……!」


 ドローンから足を下ろし、先ほどのPCのところへ戻る。解析終了の文字が表示されていることを確認し、USBメモリを引き抜いた。

 すでに先頭の方のドローンが飛び立ち始めており、急いでドローンの方へ戻ろうとした。その時だった。


「警察だ! 動くな!」


 武田の声がガレージ内に響いた。

 シャッターからガレージに入った武田と山崎は、拳銃を構えて鈴木に狙いをつけている。

 決して近くはないが、十分に弾を当てられる距離だ。


「鈴木正雄! あなたにはインターネット破壊罪の容疑がかけられている! おとなしく投降しなさい!」


 山崎も声を張り上げた。


「警察! くそ、もう少しなのに……!」


 鈴木はPCの前で固まりながら、必死に考えをめぐらす。ゆっくりと両手を上げ、抵抗の意思がない様子を見せつけた。

 ドローンの発するモーター音と風が、ガレージ内を駆け回っている。


「お前! すぐにこのドローンたちを止めるんだ!」


 武田が距離を詰めながら呼びかける。


「ま、待ってくれ。俺は詳しくないんだよ……! こいつを使えば止められると思うんだが」


 ポケットからゆっくりと、これまで使ってきた電子ロック解除用デバイスを取り出し、武田に見せた。


「なんだそれは?」

「ほら、くれてやるよ!」


 そう言いながらデバイスを武田の方に放り投げた。武田が一瞬気を取られた隙を突き、鈴木は間もなく離陸しようとするドローンに飛び乗った。すぐに銃の射線の死角になるようドローンの脇に回り、そのままガレージの外に向かってホバー移動で加速していく。


「しまった!」


 このまま空に飛び立てば追跡は相当困難になる。鈴木が勝ちを確信したその時、進行方向の先にいた山崎が、走ってドローンの行く手に立ちふさがった。


「おい! あぶねえだろ!」

「山崎!」


 大型ドローンと衝突すれば無事では済まない。武田はそう思ったが、ドローンは甲高い警告音を発しながら、山崎の目の前で急停止した。センサーが人を検知し、安全装置が作動したのだ。山崎はすぐさま動きの弱まったドローンに向かって発砲し、モーター部分を破損させると、ドローンがバランスを崩して地面に落ちた。

 鈴木は慌てて飛び降りその場から逃げようとしたものの、武田に捕まり、地面に解き伏せられた。


「鈴木! お前をインターネット破壊罪の容疑で逮捕する!」

「くそっ! インターネット破壊罪って何だよ!」


 手錠をかけられながら、鈴木は渾身の悪態をついた。


「山崎、見事な判断だ。もしかしてぶつかって止めるつもりなのかと思って焦ったけどな……」

「今どき超音波センサーがついてないドローンなんてありませんよ、先輩」



***



 武田と山崎が休憩している間、署内では容疑者の鈴木が取り調べを受けていた。

 証拠も現場も抑えられ、言い逃れができなくなった鈴木は素直に自白した。


 市内のコンビニでフランチャイズのオーナーだった鈴木正雄は、人手不足を理由に24時間営業の方針を勝手に変更したところ、本部から契約違反として違約金6,000万円の支払いを求められ全財産を失い、途方に暮れていた。


 そんなとき、謎のハッカーに依頼されて、多額の報酬と海外への逃亡の手引きを条件として、今回の犯行に及んだ。ブラクラの作成や自動車の遠隔操作などの技術は、すべてそのハッカーの仕業であり、盗んだドローンが何に使われるかなど、事件の目的さえも、鈴木は知らされていなかったらしい。


「裏で糸を引く謎のハッカーか。どうやら、事件の全貌がわかるのはもう少し先になりそうだな」


武田がコーヒーを飲みながら言った。


「捕まえた鈴木も、あまり情報を持っていなさそうですし、なかなか簡単にはいきませんね」


 山崎がPC画面を操作しながら答えた。鈴木から押収したスマホ内のデータを調べているが、取り調べで分かったこと以上の情報はほとんどなかった。

 マウスから手を放し、デスクの上のマグカップに手を伸ばした時だった。

 突然、署内に聞きなれたアラートが鳴り響いた。


 <ブラウザクラッシャーの発生を確認しました>

 <発生地点は、署内フロアの端末です>


「署内だと? 何が起こっている!?」


 署内でのブラクラの発生を告げるアナウンス。

 今まで経験したことのない事態に、武田も山崎も驚きの様子を隠せない。


「そ、そんな! なぜ消えん!」

「主任、落ち着いてください!」


 奥の方から宮田主任と須藤の声が聞こえた。


「主任! どうされたんですか?」


 宮田主任の方へ駆け寄ると、主任がPCモニターを睨みながらひどく狼狽していた。主任の見つめる先に映し出されたそのメッセージ文を見て、二人は事態を理解した。


『何回閉じても無駄ですよ~』


 宮田主任のPCこそがブラクラの発生地点だった。


「主任! これは一体!?」

「ありえない……。何がどうなってるんだ……」


 宮田主任はひたすら、ブラウザに表示されるポップアップを消し続けていた。

 サイバーセキュリティのプロとして長い経験を持つ彼にとっても、このような事態ははじめてだった。


 宮田主任が使うPCは万全のセキュリティ対策が施された特別製だ。メモリが4GBで、ハードディスクは大容量256GB。おまけにまだ20GB以上もの空き容量を有しているのだから、死角はないといっても過言ではない。

 インターネットの閲覧には当然、「インターネットエクスプローラー」を利用し、数々の危険なサイトを渡り歩いてきた証拠として、知らぬ間にインストールされたいくつものツールバーが、画面の上半分を埋め尽くしている。それは、さながら歴戦の勇士の体に刻まれた誇り高い傷跡のようだ。

 そんな高性能な端末がハッカーから攻撃を受けてしまうなど、まったく考えられないことであったため、宮田主任含め、対策課のメンバーたちは震えあがった。


『みなさん! 無事ですか!?』


 室内の据え付けモニターに、緊迫した様子の小笠原分析官が映った。


「分析官、主任のパソコンにブラクラが!」

「やはりそうですか……。先ほど署内のシステムのデータを調べたのですが、われわれが鈴木正雄を追跡している隙に、何者かからシステムがハッキング攻撃されていたようです。おそらくその時に、主任のPCにブラクラが仕込まれたと思われます……」

「ブラクラを消さなければ……。インターネットの安全を、守らなければ……」


 宮田主任はひたすらアラート表示を消し続けている。サイバーセキュリティのプロとして、たとえ相手が無限の再帰を試みる挑戦者だと分かっていても、逃げるわけにはいかないのだ。


「武田さん。このブラクラ、鈴木が拡散させたものと同じ無限アラートですよ。もしかして今回の攻撃って……」

「ああ、まだ断定はできないが可能性は高いな。小笠原分析官、攻撃元を割り出せるか?」

『解析してみます。とはいえ、おそらくIP偽装されているでしょうから特定はむずか――』


 にわかに小笠原監視官との通信が途切れた。


「小笠原さん……?」


 山崎が問いかけるものの、返事はない。



『お困りのようね。警察の皆さん』



 穏やかで冷笑を帯びた声がした。

 明転したモニターには、その声の調子にしてはずいぶんと若く見える少女が、頬杖をついて静かに微笑んでいた。


「誰だ、お前は!?」


 誰もが驚きで言葉を失う中、武田が最初に声を上げた。


『誰って、あなた方が必死に探そうとしてる相手よ』


 画面の中の少女は、微笑みを崩さず、しかし、予想通りの反応で物足りないと言わんばかりの呆れを見せながら答えた。

 そして顔を少し傾け、対策課のメンバーたちに値踏みするかのような視線を送り、余裕の表情で首元まで届く赤みがかった髪をかきあげた。


「あなたが……今回のブラクラを作ったハッカーなのね?」


 山崎が問いかけた。


『それは、ブラクラの定義によるわね。プログラム通りアラートを無限に表示し続け、メモリを食い潰すわけでもないそれを、果たして何と呼ぶべきか……』


 だん、と机を叩く音がした。


「生意気なことを言うな小娘! 疑わしきはブラクラ! 疑わしきは罪だ!」


 宮田主任が憤懣ふんまんやるかたなしに怒鳴り声をあげた。

 その勢いに、対策課のメンバーたちは調子を取り戻した。


「聞こえたかお嬢ちゃん? これはブラクラで、お前がこれを作った。そうだろ? 俺たちは警察だ。疑うのが仕事だ。

 少なくともお前は、こうして堂々と警察のシステムにハッキングを仕掛けてきた。この時点でもうアウトだ。後はお前をとっ捕まえて、山ほどあるだろう余罪を洗いざらい吐いてもらう」


 武田がモニターを見据えて言った。

「お嬢ちゃん」という単語に、少女がわずかながら眉をひそめたのを、彼は見逃さなかった。


『ずいぶんと威勢がいいものね、武田たけだ浩一こういち。数々の事件を解決してきたエリートとデータにはあるけれど、思いのほか品がないわね。警察庁の方々には犬のしつけ方をまとめたPDFファイルを送ってあげないと――おっと、エクセルファイルじゃないと開けないかしら』


 システムにハッキングした際、対策課メンバーのデータを盗み出していたらしい。少女は勝ち誇った顔でわざとらしく武田をフルネームで呼び、挑発した。


「署内のデータを盗んだのね!? あなた、これほどの罪を重ねてただで済むと思ってるの?」


 山崎がモニターを睨みつけ、どこか同情めいた口調を含みながらも、少女の犯行を非難した。


『あらあら恐ろしいわね、勇敢なお巡りさんに叱られてしまったわ。私、まさかあなたのせいでドローンの機密情報を盗めなくなるとは思ってなかったのよ、山崎やまざき綾乃あやのさん。その無限アラートも、体を張って食い止めたらどう?』


「……」


 山崎は何も言わずモニターを見ていた。

 少女の方はずいぶんと満足そうな表情をしていた。


「わざわざそんなトラッシュトークをかますために、顔を見せてまで我々に接触しに来たのか?」


 須藤が問いかけた。


『今日は、私の活動を邪魔してくれたお礼として、非匿名オニマスの皆さんにその無限アラートをプレゼントしに来たの。光栄に思ってほしいわ。この天才ハッカー様が、あなた達を脅威として認識してあげて――』


 少女の勝ち誇った顔が固まった。


『顔を見せてまで……?』


 そうつぶやき、ようやくに気づいて叫んだ。


『うそ!! WEBカメラ点いてるじゃない!!』


 モニターが手に覆われて、真っ暗になった。

 通信が途切れた。


 対策課のメンバーたちは、少女が現れた時とは違う理由で呆気にとられていた。


「あんな自信満々で話してたくせに、あいつ気づいてなかったのか?」


「背景に映ってたの、自室でしょうか? ずいぶん散らかってましたね……」



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