01. インターネット破壊罪

 BEEP!!

 BEEP!!

 BEEP!!


 <ブラウザクラッシャーの発生が確認されました。>

 <発信地は中央区です。係員は現場に急行してください。>


 鳴り響くアラート。

 オペレーターのアナウンス。

 室内の巨大なモニターのマップ上で、赤い点が規則的な波紋を作り出している。

 中央区のインターネットカフェを発信地として、何者かがブラクラをネット上に拡散させたのだ。


 ブラクラの被害にあった端末は、処理機能に深刻な被害がもたらされ、正常なウェブページの閲覧ができなくなる。すなわち、インターネットの破壊である。

 周知のとおり、これは、刑法第168条の2 第4項で定められた、インターネット破壊罪にあたる。


「ああ、昼飯にしようと思ってたのに!」

「先輩、文句を言う暇があったら、早く片付けてそれからお昼休憩にしましょうよ」


 文句をたれながら素早く上着を羽織る武田に、山崎が声をかける。


 ここは、ブラクラに代表される、高度なサイバー犯罪に対処するために新設された組織、兵庫県警ブラクラ対策課だ。

 若手のエース武田は、これまでいくつもの凶悪な犯罪に立ち向かっている。一方、彼のパートナーであり後輩の山崎は、配属1年目の新人だ。


「現場へ向かうぞ!」


 二人はパトカーに乗り込み公道に走り出す。サイレンを鳴らし、一般の車を置き去りにしながら目的地へと向かう。


「よりによって、宮田主任たちが東京に駆り出されてる時になんて……」


 運転席の武田がつぶやく。

 主任の宮田と同僚の須藤は東京に会議に出ており、そのタイミングでのブラクラ発生となると、現場に駆け付けられるのは二人しかいない。


「仕方ありません。今は私たちだけで対処するしかないようですね」


 スマートフォンで事件発生地のネットカフェ周辺の地形を確認しながら、山崎が答えた。


『ちょっとちょっと、僕もいますよー!』


 分析官の小笠原が、車内に設置されたモニターから存在をアピールしてきた。


「おおっと忘れるところだったよ。さて分析官、状況はどうだ?」


 メガネの座りを整え、一呼吸おいて小笠原が答える。


「1時間前、ブラクラページへのリンクがSNSに投稿されました。無限にアラートを表示し続けるという内容で、すでに数千名がアクセスし、被害にあっている模様です」

「無限にアラートだと?」

「かなり危険ですね……」


 武田と山崎の反応をよそに小笠原が続ける。


『ユーザーからの通報と自動検知システムにより、URL投稿者が中央区のネットカフェにいることが判明。こっちで店内のデバイスと監視カメラ映像を解析したところ、犯人と思われる人物が特定できました』


 モニター映像が切り替わり、一人の男が慌ててネットカフェを出る様子が映し出される。高解像度への変換処理が加えられ、その顔立ちがあらわになった。

 2025年現在の日本において、個人を特定しうるには十分すぎる情報だ。


『顔と歩行パターンの識別によると、男の名は鈴木正雄、36歳。厚労省からお借りしてるデータが正しければ、今は市内のコンビニエンスストアの店長をしています。これまでのところ怪しい経歴はないようですが……』


 さらに画面が切り替わり、容疑者の詳細なプロフィールが表示される。


「さすが小笠原さん、仕事が早い!」と山崎が褒めたたえる。


『この後店の駐車場に停めていた車で街に出たことが分かりました。現在、衛星カメラで市内の車をスキャン中です。間もなくデータが届くと思います』


 大まかな車種とナンバーが分かれば、街中いたるところに設置された街頭カメラ映像をもとに、識別アルゴリズムが対象車の大まかな最新位置を割り出す。

 そして、大気圏外を悠然と飛ぶ監視衛星がその情報を受け取ることで、対象を素早く補足・追跡しながら、リアルタイムでその位置情報を伝えてくれるのだ。


「よし、データが届いた!」


 画面がマップ表示に切り替わり、犯人の車が高速道路を移動中だと判明する。さながらカーナビのように、犯人の車までのルートが表示されている。


「高速に乗ってるのか……すでに警察にバレてると想定しての動きかもしれんな。急ぐぞ」


 近くのインターチェンジから同じ高速に乗り込み、武田がアクセルを深く踏み込んだ。



 ――――――



「見つけた!」


 猛スピードで高速を走り抜け、ついに肉眼で犯人の車を捉えられるところまで来た。


「そこの車! 今すぐにスピードを落として路肩に停車しなさい!」


 山崎がマイクでアナウンスすると、犯人の車が急に加速した。


「先輩、犯人の車が!」

「ああ分かってる。カーチェイスでも始める気かよ!?」


 武田たちも速度を上げ、引き離されまいとするも、犯人の車は法定速度を超過したスピードで、一般車の間を縫うようにすり抜け、中々距離は縮まらない。

 その時だった。


「そんなっ!」


 山崎が思わず声を出す。

 犯人の車が道路脇の防音壁を打ち破って、高架から飛び降りた。

 跳ねるように着地し、衝撃で車体をゆがませ、窓ガラスの破片をちりばめながらも、そのまま一般道を逃走していった。


「おいおい、一般人のくせに、なんて危険な運転だ……」


 車から降りた武田が、壊れた壁から下を覗いて言った。


「山崎、近くのインターチェンジは?」

「8キロ先ですね」

「結構距離があるが仕方ない。とにかく追いかけよう」


 二人は再び車に乗り込み、容疑者を追跡し始めた。


「先輩、マップを見てください。このコースだと、容疑者は神戸空港に向かっているのでは?」


 ナビを見ていた山崎が言った。ナビ表示の容疑者の進路は、そのまま方向を変えずに進めば、神戸空港にたどり着くと予想された。


「なるほど、もし空で逃げられたら厄介だな」

「ですが、容疑者の身元が割れている以上、登場する飛行機は調べたらわかるはずです。着陸先の空港に連絡を取っておけばもう逃げられませんよ」

「確かにそうだが、空港のような一般人が多く集まる場所に、ブラクラ拡散の容疑者がいると知れたら、現場は大パニックに陥るだろう。それに、飛行機内で捕まることを悟った容疑者が何をするか分からない。」

「確かに……」

「例えば、スマホのファイル共有機能を使って、機内の乗客たちの端末にブラクラページへのURLが拡散されたら?」

「た、大変なことになります……!」


 山崎の顔が青くなった。


「小笠原分析官、聞こえてるか。話は分かってるな? 念のため空港に連絡を取っておいてくれ。できれば容疑者がたどり着く前に食い止めたいところだが……」

『了解です。そちらも健闘を祈ります』


 分析官との通信が途切れた。

 武田たちは引き続き車での追跡を続けることになる。

 しかし、すでに容疑者は空港までまもなくというところまで移動しており、武田たちが追い付く可能性はかなり低かった。



「先輩、容疑者の位置情報ですが……」

「ああ分かってるよ。残念だが追いつきそうにないな」


 武田がため息交じりに答える。


「いえ、違います。急に動きを止めたようです」

「なんだって?」


 ナビの表示を見ると、空港まで数キロ離れた地点で車の動きが止まっていた。


『武田くん、山崎君、聞こえるかね?』


 初老の男性の声が通信で入ってきた。


「その声は、宮田主任! 須藤と一緒に出張中のはずでは?」

『予定が早まったから今朝戻ってきていてね。神戸空港から車で戻ろうとしていたら、小笠原くんから緊急の連絡があったんだよ』

「容疑者の動きが止めたのは主任たちですか?」


『ああそうだ。こちらの車で行く手を塞いだら、容疑者は街頭脇のガードレールに追突して止まったよ。ずいぶんと無茶な運転をしているようだね。今から須藤くんと容疑者を確保するよ。君たちは後から来てくれ』


 武田たちの不安は杞憂に終わり、容疑者はちょうど空港から出発した宮田主任と須藤により確保される見込みとなった。


「流石です主任。すぐに向かいます」


 通信が終わる。


「やっぱり宮田主任はすごいですね」

「そりゃベテランだからな」


 主任の宮田は刑事歴25年のベテランだ。

 ことサイバーセキュリティについては、USBメモリの存在を知っており、人差し指でならタイピングが十分可能なほど豊富な知識と経験を持っている。


「よかったー……」

「安心するのはまだ早いぞ。事件はまだ終わってないからな」


 そう言いつつも、武田の表情は心なしか和らいでいた。


 ――――――


「警察だ!手を挙げておとなしく出てこい!」


 須藤が拳銃を構えながら、ガードレールに衝突した車に呼びかける。

 運転席には、ぐったりとした人影がハンドルにもたれかかっている。気絶しているのかと思いながら近づいていくと、に気づいた。


「……! 主任、これを見てください!」


 ――――――


「『遠隔操作』だと!?」

『そうだ、車に人は乗っていなかった。まったく、遠隔操作なんて警察を馬鹿にしている!』


 宮田主任からの怒りの連絡を聞いて、武田たちは驚いた。

 容疑者の鈴木正雄の代わりに運転席に座っていたのは人形だった。車内には遠隔で車を操作するための制御装置とカメラが取り付けられていた。どこかのタイミングからか、鈴木は車を捨てて逃走し、遠隔操作された車でカーチェイスを繰り広げ、見事警察を欺いたことになる。


「それであんな無茶な運転ができたわけですね、それにしてもやけに高度な技術を持っていますね」

「とりあえずもう一度高速に乗ろう。逃げるとしたら、容疑者は逆方向のはずだ」


 わざわざ向かわせた方向に逃げる理由もないだろうと考え、反対車線に乗り換えた。


『二人とも、朗報です』


 間もなく小笠原分析官から連絡が入った。


「待ってたぞ。情報は?」

『あちこち通信キャリア会社に問い合わせてたんですが、ようやく容疑者の契約しているスマートフォンを特定できましたよ。端末の位置情報を送ります』


 ナビの表示が、容疑者のスマホ端末の現在位置と、過去2時間の移動経路を示した。遠隔操作された車とは真逆の方向に進んでおり、移動速度から乗り物は使用しておらず、徒歩で移動していることが読み取れた。


「ああ、今確認できた」

「主要な道路をことごとく避けてますね。車も使わないあたり、公安の監視カメラの位置も把握してる可能性がありますね。それにしても、容疑者はどこへ向かっているんでしょうか……」

「いずれ分かるだろう。今はとにかく追いかけるぞ」


 逃げるものと追うもの。警察の威信にかけて、ブラクラの拡散を許すわけにはいかない。

 武田と山崎は、必ず容疑者を捕まえ、事件の全貌を明かしてみせると気を引き締めた。

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