兵庫県警ブラクラ対策課

一ノ瀬メロウ

プロローグ

「エアスクリプト航空をご利用のお客様にご案内いたします。当機は、関西国際空港までの飛行時間を40分と予定いたしております。」


 穏やかな声で機長がアナウンスをする。

 エアスクリプト航空128便の乗客たちは、思い思いの方法で退屈しがちなフライトの時間を過ごしていた。

 機内で上映されている映画を観るもの。ヘッドフォンで音楽を聴くもの。スマートフォンで地上の友人たちとメッセージをやり取りするもの。ノートPCで熱心に仕事の資料を作成するもの。


 電車やバスとはまた違う、飛行機特有の安穏とした空気が漂っていた。

 空も穏やかで、このまま40分もすれば、何も問題なく、予定通り目的地にたどり着くと誰もが思っていた。


「だれか! お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか!?」


 一人のCAの声に、機内がどよめき始める。

 そのCAは、座席から崩れ落ちて今にも床に倒れ込みそうな老人を支えていた。老人は錯乱している様子で、どこにも焦点を合わさず、小さな声でくり返し何かを呟いている。

 CAが耳を傾けると、かすかな声だが聞き取ることができた。


「インターネットが……壊れてしまった……。インターネットが……」


 老人はそう口にすると、持っていたスマホを床に落とし、そのまま意識を失い床に倒れてしまった。


「お客様! お客様!?」


 CAはその言葉の意味が理解できないまま、意識を失った乗客に声をかけ続けるが、返事は返ってこない。

 不気味な予感がする。そう思いながら、老人が落としたスマホに目を向けると、画面に何かメッセージが表示されていることに気づいた。


 慎重にスマホを手に取り、メッセージを読んだ。


『何回閉じても無駄ですよ~』


 画面内のポップアップには、そのシンプルな言葉と、ポップアップを閉じるための「OK」ボタンが表示されていた。

 これが何を意味しているのか、次第に理解が及び、CAは顔を真っ青にした。

 だがすでに、他の乗客たちもにわかに騒ぎ始めていた。


「ちょっとなによこれ! 全然動かないじゃない!」

「ねえ、リツイートで回ってきたリンク押したら画面がおかしくなったんだけど……」

「変なURL踏んだら画面が壊れた!」

「おい! どうやったら閉じるんだよこれ!?」

「インターネットがおかしい!」


 手元のスマホやノートPCを確認する乗客たちが、同じように声を上げていった。


 CAは、手にしたスマホの画面を見つめ、恐る恐る、もう片方の手の指で、画面に映った「OK」のボタンを押した。

 一瞬だけポップアップが消え、またすぐに現れた。

 もう一度ボタンを押したものの、同じようにポップアップが再表示された。三度目も四度目も同じだった。

 あまりの恐ろしさに、スマホを持つ手が震える。もうボタンを押す勇気がない。

 スマホを床に置くと、ようやく周囲の異常な騒がしさに気が付いた。

 

「ネットが壊れた! インターネットが壊れたんだ!」


 ノートPCを叩きながら叫び続けるビジネスマン。その隣では、若いOLが膝を抱えて震え続けている。

 向こうの座席では制服姿の少女たちが悲鳴を上げた。

 半狂乱でスマホをタップし続ける主婦。

 何が起きたかは理解できないが、雰囲気を察知し泣き叫ぶ赤ん坊。

 その赤ん坊を抱きかかえて、大丈夫、大丈夫と涙目で必死にあやし続ける母親。

 騒ぎは瞬く間に拡散し、機内の乗客たちは完全なパニック状態に陥っていた。


「皆さん、落ち着いてください!」


 機長が緊迫した様子でアナウンスをするも、もはや誰も聞いていない。


 今さら説明の必要もないだろう。

 これが、ブラウザクラッシャー、いわゆるブラクラの恐ろしさである。

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