第3話

 全力で走る。

 一秒でも早く逃げるために荷物は学校前に捨て、その身を軽くしていた。

 隣を走る先輩も同様で、後ろを確認しながら走る。

 そこには建物の壁や車の上を跳躍しながらこちらに迫ってくる狼男の姿があった。

 普通に考えればあっという間に追いついてしまいそうな跳躍力だが、僕たちとの距離を一定に保ちながら追いかけてくる。どうやらこの状況を楽しんでいるのかワザと追いつかないようにしているようだ。


「先輩なんですかアレ!」

「知らんっ!さっき英語で私を誘拐するって!」

「はぁ!?なんですかそれっ!」

「私が知るかよ!」


 今、走っている道では放課後の寄り道する学生や自宅や会社に戻る社会人など、街には人が増えつつある。

 次々に人が増え、逃げる障害になっていた。

 周りからは驚きの声や怒号が聞こえるが、すぐに後ろから追いかけてくる狼男を見て悲鳴に代わる。

 周りには悪いとは思うが僕たちは自分たち以外を気にしてられるほど余裕はない。

 僕だけなら問題ないのだが、先輩にこの状況は大変危険だ。

 全力で逃げている今、人とぶつかった場合、彼女の骨が折れる可能性がある。

 それでなくても走ることにより足に負担がかかり、いずれは疲労骨折を起こす。


「先輩、後ドンくらいっ!?」

「あと2分この状態なら確実に足が折れるっ!!」


 人を紙一重で躱しながら先輩は答える。


「とりあえず……」


 左ポケットに入っている携帯端末を取り出す。

 今時珍しくホログラムを使わないスマートフォンタイプのものだった。

 人の波を躱しながら番号を押して通話ボタンを押した。


『はいこちら』

「警察ですかっ!誘拐するとか言ってきた干渉者に追われています!場所は、って!!」


 端末を握っていた左手に何ががぶつかり、思わず端末を落とす。


「真広君!」

「大丈夫……ですっ」


 そうは言うもののかなり左手が痛む。

 僕以外にも飛んできた何かにぶつかってくぐもった声を上げる人が何人が出始める。中には頭に当たって倒れる人もいた。

 地面に落ちるものは車のサイドミラーや街灯のライトといった片手で投げられるサイズのモノだった

 狼男が投げたのであろう。

 周りのことなどお構いなしに次々に投擲を繰り返す。

 次第に投げてくるものが大きくなり、コンビニのごみ箱、自動販売機、ポストなどの重量があるものが次々と飛んでくる。

 それらに当たればどうなるかが容易に想像できた。


「あいつ先輩を捕まえる気あるんですか!?

 どう考えても殺す気満々じゃないですか!!」

「私に言われても困る!」


 額や背中に汗を流しながら足を動かして駆ける。

 心臓はこれまでの人生ではなかったほどの速さで動く。

 それがいけなかったのか、額からだらりと血が流れ、視界が一瞬だけ暗転した。

 病気の発作だ。


「やべっ」


 思わず足をもつらせてバランスを崩し、地面に転がる。

 そのタイミングでオオカミ男が投げた街灯の柱が僕にに向かって飛んできた。

 無理やり折られたせいか、まるで槍のように尖った部分が出来上がっている。

 まっすぐと迫ってくるのに僕は動くことができず、歯を食いしばって目をつぶった。

 …………?

 何も起こらない?

 いつになってもくるはずの痛みがない。

 恐る恐る目を開けると、そこには黒い服を着た男性が立っていた。


「真広君っ!」


 倒れていた僕に先輩が駆けよってくる。


「いったい何が……?」


 困惑しながら男性とその先を見ると、そこには同じ服を着た集団が何人も集まっていた。

 彼らは統率の取れた動きで狼男の動きを止め、周りを避難させている。

 そして目の前の男性が振り返り、眼鏡をきらりと光らせながらやさしい笑みを浮かべる。


「こちらレジストです。

 通報したのは貴方で間違いないですか?」


 その言葉に僕は頷き、流れる血をポケットにしまってあるハンカチで拭いながら立ち上がる。


「保護しますので私についてきてください。

 車に乗ってここから避難します」

 ……二人を保護しました。これより支部まで運送します」


 男性は片耳につけている通信機で連絡を取る。

 これで安全だ。そう思っていた。

 だからソレに反応できなかった。 

 男性が突然吹き飛ぶ。

 空気が揺れ、振動がこちらにまで伝わる。

 巨大な音を響かせた先を見ると建物の壁が大きくひび割れ、男性はずるりと壁伝いに崩れ落ちる。

 先ほどまで男性が立っていた場所を見るとソレは、狼男は伸ばしていた腕を上にあげ、大きく背伸びをした。


『んーあぁっと、暇つぶしにもなんねぇな?

 それでも正義の味方かよ、だらしねぇ』


 彼は英語で呆れた声をだす。

 真広は信じられなかった。

 狼男は衣服が少し破れているだけで、身体は無傷でその場に立っている。

 彼は先ほどまで確かにレジストの隊員たちと戦っていたはずなのに、疲れも見せることはない。

 戦闘が繰り広げるられたところを見ると、信じられないほど、現実感がわかないほどに破壊されていた。

 普通はそんなことになっているのに気づくはずがない。

 一瞬。

 ほんの一瞬であの状況を作り出したということだ。

 現場で活躍している彼らは弱くはない、弱いはずがない。

 干渉者の犯罪を止めるために活動しているのは相応の実力を持っている。

 だというのに狼男はそれをあっさりと蹴散らしてきた。

 圧倒的。

 獰猛的。

 狂気的。

 戦いを知らないはずなのに、狼男の強さをそう感じた。

 そしてくるりと回ってこちらを見る。


『あー?はいはいわかってるってーの』


 狼男は頭頂部にある耳を抑えてここにはいない誰かと話す。

 狼男はニヤリと、荒々しい笑みを浮かべ一歩、その足を踏み出す。


『さて、仕事仕事ーっと」


 ドクンと心臓が大きくなった。


「に」


 逃げましょう。

 僕が先輩に言う前に突風が真横を通る。

 突風が抜けた後ろを見ると、そこには狼男と片腕をつかまれて持ち上げられている沙耶がいた。

 先輩も何が起きたのか理解ができず、目を丸くして宙づりになっている。

 だが、すぐにそれは苦悶の表情に変わり、声を荒げた。


「ぐあっ!?あぁぁぁぁ!!」


 先輩の腕の骨は狼男の手の中で砕ける。

 その痛みは想像を絶するものなのだろう。


『おん?

 おいおい、軽くつかんだだけだぞ。どうして骨が砕ける?』

 狼男は不思議そうに首をかしげる。

「はぁ……はぁ……『はなせっ』」


 先輩は息を乱しながら英語で叫び狼男を睨む。

 しかしそれだけだ。


 それが現状できる精一杯の抵抗。

『おー、結構根性あるんだな』


 狼男はニヤリと笑って空いている手で先輩の右足を握る。

 そこも掴んでいる腕と同じようにあっさりと砕け、あらぬ方向へ曲がった。

 先輩は口を噛んで、悲鳴をこらえる。

 額からは汗が大量に流れ、見るだけでも胸が締め付けられた。

 このままでは、このままではいけない。

 僕は転がっている折れた街灯を拾って走る。


『いい感じに弱ったし、帰るんっと!?』


 狼男が跳ぼうとした時、その背中を街灯で思いっきり殴った。

 これでどうにかなるはずがない。

 どうにかできるほど僕には何も無い。

 でもやらずにはいられなかった。 


「……せ」

『あぁ?なんだお前?』


 声が震えている。

 しかし言葉を止めない。


「その人を!返せ!」

『うるせぇな、英語話せよ』

 

 狼男は僕を蹴る。

 動きは軽いが、重い一撃。

 数メートル飛ばされ、地面に落ちても勢いが止まることはない。

 倒れていた軽自動車にぶつかってようやく僕の身体はその場に止まった。

 呼吸ができない。頭からは再度血が流れ出て、吐血する。

 意識が遠くにいってしまう。


 ダメ、ダメ、ダメ、ダメ。


 ここで動かなくなってはダメだ。

 薄れゆく意識に抗おうと必死になり、手を伸ばそうとするが、身体は言うことを聞かない。

 そして、そのまま僕の意識が、プツリと途切れた。


 ■ ■ ■


 視界に映る真広君はそのまま動く気配がない。

 身体からは多くの血が流れていることがこの場所からでもわかる。

 彼はそういう身体なのだ。

 多少の怪我でも血が蛇口の水のように流れ出る。

 その様子を見て私は痛みを忘れた。

 まさか、そんな、そんな……?

 思考が少しずつ止まり始める。

 視界が明滅する。

 呼吸が乱れる。


『あーあ、やっちまった。

 でも俺悪くねーぞ、手を出してきたほうが悪い

 んっ?先に手を出したのはオレか?』


 頭の中がぐちゃぐちゃになり、全身の骨が軋む。


『レジストの連中も骨がなかったしなぁ……案外つまんねー仕事だったぜ』


 私の中でが崩れていくのがわかる。

 それと同時に、が構築されていった。

 私はこれを知っている。この中にあるものを知っている

 ずれていたものが、失っていたものがカチリと埋まった。


「してんだ……」

『あん?』

「私の真広になにしてんだてめぇぇぇぇ!!!!!」


 私は叫ぶ。

 自分の大切な人を傷つけたこいつに。


『っ!?お前っ!!嘘だろ!!」


 狼男は私を投げ、距離を取ろうとする。

 しかし間に合わない。

 私はを狼男に突き出す


「アアアアアアァァァァ!!!!」


 その腕からはいくつもの白い触手が生えだす。

 細いものから巨大なものまでこの場を埋め尽くすように蠢きながら次々と伸びる。

 建物や看板、信号機や自動車なんてすべてお構いなしに貫き、潰し、抉る。

 地面に着地して、あふれ出る触手を狼男の足に巻き付かせ、猛烈な勢いで地面に叩きつけた。

 コンクリートがクレーターのように割れ、衝撃が広がる。


『ぐおっ!?』


 これはいったい何だろう。

 そう思ったのは一秒もない。

 これはだ。

 目の前にいるヤツを倒すための、だ。

 狼男は瞬時に足に巻き付く触手を砕き、狙ってくる触手を躱す。

 だが躱したところで私の攻撃は続く。さらには触手から触手が樹木の枝のように生えてその数を増やす。

 攻撃を防ぎきれなくなってきたのか、血や肉が飛び散り始めた。

 狼男ヤツを逃がさない。

 沸騰する頭の中でそれだけは明確に意識できる。


『はっ!面白れぇ!!』


 狼男ヤツが笑う。

 筋肉が引き締め、傷を圧迫して流れる血を止める。

 飛んできた自動車を蹴り上げて触手にぶつけ、攻撃を防いだ後、足を止める。

 私は伸ばした触手たちを根元から切り離し、狼男の目の前に飛び込んだ。

 拳が飛んでくが、紙一重で避けてカウンターを一発。

 そこからさらに拳から鋭く尖らせた骨を伸ばした。

 肉を貫く感覚が腕に伝わる。

 そのままその巨体を上に投げ飛ばした。

 狼男の血が少し顔にかかるが、気にしない。


 『いい強さしてんぜ。さっきの奴らより全然いいぞおい!』


 狼男が空中で貫かれた場所を触り、舌なめずりをする。

 私の中で明確な感情が出来上がっていく。

 それに呼応するように身体から骨がまた触手のように伸びて空に向かって伸びる。

 狼男ヤツは触手を場にして滑るように躱しながら真下に、私の元へ向かってくる。さらに触手を追加するがその前に狼男が目の前に迫っていた。

 早いっ。

 そう考える前にその一撃を腹部に受ける。

 骨が折れた時とはまた違った痛みだ。

 後ろに吹き飛ぶが、背中から骨の腕を生やして地面に擦り付けて勢いを止め、体勢を立て直そうとする。

 その隙を狙って狼男が飛び込んでくる。

 背中の腕を地面に叩きつけ身体を回転させて、蹴りを放つ。


『甘いぜっ!』


 腕で防がれる。

 だがそれは予想済み。

 防がれた足から骨の指が生える。

 手は狼男の腕をがっちりと掴んだ。


『なにっ』


 身体の中の骨を操って無理やり身体を動かし、中断された蹴りの動作を続行させて足で

 狼男はそのまま建物の中に突っ込んでいった。


「ふぅ……ふぅ……」


 意識が途切れ途切れになってきた。

 ダメだ。まだここで、こんな所で切らすわけにはいかない。

 建物の中から狼男が出てくる。

 服はボロボロだがほとんど軽傷で、大きなダメージは与えられているようには見えない。

 しかし、先ほどまで笑みを浮かべてていた顔が不機嫌なものに変わっていた。


 『あぁ?なんでだよ?

 ……あーわかったわかった。帰る、帰るから。

 ちっ、いいとこだったのに』


 狼男が唾を吐く。


『おい、骨娘!

 今日はここらで帰るけど、次あったらもっかいやろうぜ!』

「ざけんな」


 私は触手を伸ばすも、勢いがなく、狼男は大きな跳躍を繰り返して触手から逃れ、この場から去った。

 狼男が視界から消え、私の出来上がってきていたモノが無くなる。

 残るのは樹海のように広がった骨の触手とその残骸。

 更にはそれらによってボロボロにされた周囲の光景だった。

 だが、それらのことはどうでもいい。

 私は薄れる意識の中、半身から伸びている触手を引きずりながら真広に歩み寄る。

 彼の周りだけはあまり破壊された後はない。

 無意識的に避けていたのだろうか。


「ま……ひろ……」


 私は彼の元へたどり着くと同時に限界が来た。

 身体を倒し、そのまま意識を失う。

 同時に私から生えた骨たちは灰のように崩れて消滅した。

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