第34話初対面

三学期が始まり、未だに休みボケが抜けない彼は今朝からずっと欠伸をしっぱなしだった。

微妙に効いている暖房が余計に眠気を誘う。


「加嶋、3時限目始まってから8回目だ」

「何がですか?」

「欠伸した回数だ」

「先生」

「なんだ」

「9回目です」

「知らん」


窓の外を見ると体育の授業を受けている生徒たちが一生懸命運動場を走り回っていた。

寒い中ご苦労様、と他人事のようにしか思っていない彼は襲ってくる睡魔に身をまかせて眼を閉じた。




「加嶋君、起きてっ」

「…うぇ」

与太郎は口元を拭きながら身体を起き上がらせる。

一瞬女神かと思ったが、彼を起こしたのは美佐だった。


「何…休み時間?」

「もうお昼だよ」

「おほっ」

ぶっ通しで4時限目もずっと寝ていた彼だった。


早く食堂に行かなければいい物が食べれない。

硬くなった身体を大きく伸ばして席を立つと美佐もカバンから弁当を取り出して立ち上がる。


歩き出そうとした瞬間にポケットからの振動、誰かからメッセージが届いたようだ。

スマホを取り出して差出人を確認する。


【金剛菜月】

見なかったことにしてやろうか。


「ん、どうしたの?」

「いや、知り合いの女からメッセー」

「…オンナ?」

「おほっ」

急に眼が鋭くなった美佐を見て持っていたスマホを落としそうになる。


「いや…ほら、母親から来たって言うの恥ずかしくて…」

「あ、お母さんからだったんだ~」

彼女が純粋な子で本当によかったと安堵する。


美佐は葵を呼びに彼の元を離れた。

その瞬間に誰にも見られないようスマホの画面をタップする。


【校門前】

いや、簡潔に済ませすぎだろ女子高生、とツッコミを入れそうになる与太郎。


意味のさっぱりわからない彼は気にすることなく学食へ、







「ぜぇ…ぜぇ」

「私を待たせるとはいい度胸ですね、庶民」

行くわけもなく、思ったとおり菜月は成大高校の校門前で彼が来るのを待っていた。


「…何しに来た」

「遅れたことに謝罪はないのですか?」

「さよなら」

「冗談ですっ冗談ですっ」

戻っていこうとする与太郎の腕を掴んで阻止する。



「お姉様が倒れました」

「…は?」

「慌てるほどのことではありませんが、伝えておこうと思いまして」

急いでスマホを取り出す。

かける相手はリサではなく親友。


「ちょい用事できたから帰るわ」

向こうの返答を聞くこともせず彼は通話を切る。


「ちょ…加嶋与太郎?」

「病院か?」

「え…えぇ」

「どこの病院だ」

普段見せない真面目な表情に圧倒される菜月。


「…はぁ、乗ってください」

指を差した方向には金剛家の高級車、タクシーのように自動で後部席の扉が開く。


「悪いな」

「…いえ」


菜月は不思議でしかたなかった。

何故この男はバカにされているのにも関わらず、リサをここまで心配することができるのだろうか。

そして彼女自身も何故こんな行動を取ったのか。

誰かに言われたわけでもないのに、リサが倒れたことを知り病院に向かうことなく真っ先にこの場所へと飛んできた。


きっとそれは記憶を失っているリサにとって彼は必要な存在だからだ、と彼女はそう思うようにした。





「やばい、急に嘔吐が…」

「いや、それ俺の顔見て言ったよね」

病室のベッドに座っていたリサは顔色もよく、いつも通りだった。


「あら与太郎君、来てくれたのね」

「ちわっス」

リサの母親、真理に軽く頭を下げる。



今日一日だけ検査入院することになったリサ。

体育の授業中、眩暈を起こしただけと言い張っているが心配だった真理は彼女を無理矢理入院させることにした。


「それじゃ売店で何か買ってくるわね」

「あ、お手伝いします」

爽やかな笑顔で病室を出て行く真理に菜月は付いていった。



「くそ…大丈夫だって言ってんのに」

「心配してくれてんだろ」

「アンタは、自分の顔の心配してなさいよ」

「逆に心配になるからやめてっ!」



特に話すことはない。

それでもこの空気はお互いに慣れている。


学校を抜け出して損した、とパイプ椅子から立ち上がる与太郎。


「あれから美佐とはうまくやってんの?」

「うるさいな…」

「そんなんだからいつまで経っても…」

急な頭痛に襲われて目元を押さえだすリサ。


「お、おいっ」

急いでナースコールを握り締めるが、リサは彼の手を掴んで首を振る。


「大丈夫」

深呼吸し平然を装って彼に笑顔を向ける。



「ご心配をおかけしました」

「…っ」

無意識に出ている本来のリサ、本人はそのことに気がついていない。


何もしてやれないのが一番辛かった。


「クソみたいな顔してんじゃないわよ」

「クソとか言うな」

彼にできることはいつも通りの対応をしてやることだけだった。

決して死ぬわけじゃないのだ、だからこんな重い感情は必要ない。




「戻りましたお姉…、おいゴミ」

「ん…?」

「今すぐお姉様の手を離せないと切り離しますよ」

「おほっ!」

菜月からは二人が手を繋いでいるように見えた。


「さ、お姉様、急いで除菌しないと」

「あ、菌扱いなのね俺」

「大丈夫、ビフィズス菌なら身体にいいわよっ」

「オカンのフォローの下手さ!」

その騒がしさは外まで響くほどだった。



退院は明日の朝。

それまでリサは退屈な時間を過ごすことになるが、こればかりはしかたのないこと。


たった一日の入院で退院祝いをすると言い出した菜月。

当然それに参加することになった彼は学校を休む理由を考える必要があった。

真理の車で送ってもらうことになった与太郎は軽く手を上げて病室を去ろうとする。


「与太郎」

「あん?」

扉に手をかけたあたりでリサは彼を呼び止めた。



「じゃあね」

「おう、また明日な」


この時ちゃんと彼女の表情を見ていればよかったのだ。

そして帰らずに無理を言ってでもこの病室で一夜を過ごせばよかった。



後悔とは過ぎた後にするもの―――。






花束を持った菜月が病院の出入り口前に立っていた。

だから検査入院だとツッコミを入れようとしたが、彼女の嬉しそうな表情を見てその言葉は控えておいた。


「ありがとうね、二人とも」

「とんでもありません!」

「別に構わないッスよ」

真理は娘が周りから好かれていることに幸福に感じていた。


「にしても退院祝いの花にバラってどうなのよ…」

菜月が持つ花束は大量の真っ赤なバラ。


「いけませんか?」

「お前…、バラの花言葉知ってるのか?」

「あなたを愛しています、ですが何か?」

「理解して持ってきたお前マジぱねぇ…」

さぞかしリサもこの異常な愛を重く感じているだろうに。



そんなやりとりをしていると、正面入り口の自動ドアが開きリサと医者が一緒になって出てきた。

まるで長いこと入院していた患者のようだ。


「退院おめでとうございます、お姉様!」

「あら金剛さん、ありがとうございます」

花を受け取ったリサは丁寧にお辞儀をする。


彼女の返答を聞いて与太郎は言葉を失っていた。


「リサ、あなた…」

「お母様、どうかしたんですか」


そしてその眩しいくらいの微笑み―――。


「あら…」

「…」

「えっと…どちら様でしょうか?」


―――全く知らない女性だった。



「お…お姉様!?」

「え…あ…、申し訳ありません、私記憶力があまりなくて…」


嘘だ。

飯田リサが成績優秀なことは彼もよく知っている。


「す…すぐに思い出しますので少々お待ちをっ」

「いえ、大丈夫ですよ」

引き裂かれそうな胸を歯を食いしばって我慢する。


「初対面ですから」


きっと事情を説明すれば真面目な彼女は罪悪感を抱き、そして混乱してしまうだろう。

だから、これでいいんだと。


「退院おめでとうございます」

「あ…、ありがとうございます」

「それでは自分はこれで」

慣れないお辞儀をして彼は菜月の肩に手を置いた。



「これで、元通りだ」

「…」

その言葉を残して去っていく彼に菜月は何も言うことができなかった。




「あの、お母様」

「え…あ、何?」

「病室にこのような物があったのですが…」

花束を持ったままリサがポケットから取り出したもの。


クマのキーホルダーが付いた加嶋与太郎の家の鍵。


「私の物ではないのですが、誰かの忘れ物でしょうか?」

「…それは」


菜月も真理もそれが何なのかはわかっていた。

普段彼女が肌身離さず持っていた物。



「ごめんなさい、それは私のです」

「あ、金剛さんの物だったんですね」

「…はい…、持ってきてくださって…ありがとうございます」


受け取った菜月は複雑な思いに襲われながらその鍵を握り締めた。

これを見ても何にも思い出さないということは完全に消えてしまっているのだ。



―――違う、これでいいのだ。

いらぬ邪念を振り払い、笑顔でリサに抱きつく菜月。

こうなることを自分が一番望んでいたではないか、と言い聞かせた。





記憶を取り戻し記憶を失う。

遠い過去を思い出して近い過去を忘れる。



以前までの飯田リサはもう彼女の中には存在していなかった。

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