第35話卒業式

一度もちゃんと締めた事のないこのネクタイも今日で最後。

カーテンを開けると一瞬眼を細めてしまうほどの眩い光が部屋の中に流れ込んだ。


スマホをポケットに入れ、ほとんど何も入っていないカバンを手に持つ。

靴を履き、ドアのノブを握り締めて深呼吸をする。


「よし、行くか」


―――卒業式へ。





「おっす」

「おう」

下駄箱で与太郎に声をかけてきたのは雄也、彼の髪型を見ればわかるように相当気合いが入っている。


「二人とも、おは~」

教室に向かっている途中、彼らの背中を叩いて横に並ぶ葵。

軽く化粧をしているところからすれば彼女も少しは頑張ってきたようだ。



「んじゃまた後で~」

「じゃな~」

「あいよ」



三年に上がりクラスはそれぞれ別々になっていた。

葵はクラス委員をしているらしく、髪も伸び少しずつ大人びてきていた。

雄也は相変わらずだが、他校の生徒の彼女ができた。


そして―――。


「おはよう、与太郎」

最後となる机にカバンを置くと後ろの席に座っている女子に挨拶をされる。


「おっす美佐、ずいぶん早いな」

結構早めに来た与太郎だったがすでに美佐は席に着いていた。

髪を肩まで切った時はもったいないと感じたが、これはこれでもう見慣れてしまった。


「私達卒業するんだね」

「だな」

「…いろいろあったね」

「そう…だな」

整理がつかないほどの沢山の思い出。




あれから約一年。

あの日以来与太郎は彼女と顔を合わしていない。


飯田リサ。

今はもう遠い世界の存在。

彼女の記憶が戻り、そして全てを忘れたことを美佐と葵に伝えると彼女たちは大泣きをした。

それ以降は彼女が何をしてどこにいるのかすらもわからない状態だった。


リトライにはほぼ毎日顔を出している与太郎。

雪は彼の気を使ってか、彼女の名前を出すことはなかった。




イベント事となるといつも何か事件を起こす与太郎と雄也だが、卒業式だけは何もしなかった。

卒業生たちは別れの曲を涙を流しながら歌っていた。


―――本当にいろいろあった。



高校生になって親友と呼べる仲間ができて、バカやって、恋をして。


そして、とんでもない女と出会って。




「…あ…れ」

自然に、意識もせず涙が流れ落ちる。

拭っても拭ってもキリがないほどに。

入学式では退屈すぎて抜け出した男が、卒業式で号泣していた。


確かに高校生活は楽しかった、沢山青春もした。

この涙の理由は、本当にそれが原因なのだろうか。


違うとしたら、


一体何の涙なんだろう―――。








「卒業おめでとう!」

「うお、すげぇ!」

リトライへやってきた彼らは、店内の飾りつけと豪華な料理を見て驚いていた。

卒業祝いをこの店でするということで、雪と葵の兄が極秘で準備を行っていた。


「ありがとうッス!」

「あれ、お兄ちゃんは?」

「浩樹君なら先に戻ったよ」

用意だけしてパーティに参加しないあたりさすがは元ぼっちの店長。

タダでこれだけしてもらえることに感謝が絶えない。



「んじゃ俺が乾杯とるわ!」

「いや、山の話長いから却下」

雄也の話は集会の校長並に長いため、即座に却下を入れる葵。


「しょうがねぇ、んじゃ俺がやるか」

与太郎がグラスを持って周りを見渡すと誰も反対する様子はない。


「そ」

「かんぱーい!」

「かんぱーい!」

「かんぱーい!」

グラスの合わさる音が鳴り響く。


「そ、しか言ってねぇ!」

高校を卒業しても彼への扱いは変わらない様子だった。




「四月から皆大学生ね」

次々と料理を運んでくる雪。


「太郎が私らと同じとこに受かったことにビックリだよ」

葵はそれを受け取りながら与太郎に嫌味を含めた笑みを向ける。

彼以外のメンバーはもともと成績が良く、絶望的だった与太郎が皆と同じ大学に合格できたのは奇跡に近い。


「太郎、栗山に感謝しろよっ」

思い切り与太郎の背中を叩く雄也。

そう、成績の悪い彼が受かったのは100%美佐のおかげなのだ。


美佐は彼の家庭教師となり合格へと導いた。

皆と同じ大学、そしてこの場所から離れなくても通えることが彼を努力させた。


「ホント、ありがとな美佐」

「ううん、与太郎が頑張ったからだよ」


本当はもっと上へ目指すことができた三人だが、彼のレベルを考えて今の大学を選んだ。

仲間思いで、そしてこの街が大好きな与太郎なら頑張ればこの大学に受かるはず、と。

しかし、話し合いでその事だけは彼に伝えないようにした。




「そういえばさ」

盛り上がっている中、葵は少し暗い表情で口を開いた。


「桜花高校の卒業式は明日なんだって」

場の空気が重くなることはわかっていた、でも葵は口にせずにはいられなかった。


「へぇ、明日なのか」

炭酸飲料を飲みながら答えたのは与太郎だった。

まるで他人事のように知らないフリをしているだけ。



当然彼はそのことを知っていた―――。










「とうとう明日ですね、リサさんっ」

その言葉を彼女は何度言われただろうか。

病気のせいで二年生の時の記憶が飛んでしまっている彼女。


祝福してくれる生徒達には感謝でいっぱいだった。

卒業すること、卒業生代表に選ばれたこと、祝われる理由は多かった。

そして、


「明日が待ち遠しいです」

「私もです、伊集院さん」


結婚―――。



明日、飯田リサと伊集院悟は夫婦となる。

とても光栄なことですばらしい日になる、と彼女は伊集院に爽やかな笑顔を向ける。



そんな絵になる二人を一人だけ複雑そうに眺めている生徒がいた。

誰よりも祝福したくて、誰よりも理解したい。

金剛菜月の夢は全て叶っている。


なのに、たまに幻のようなものが見えてしまう。

リサの横に立つ【彼】の姿が。


庶民が嫌いで、誰よりもあの男のことを見下していた菜月。

これでいい、これが最善なのだとあの日から何度も言い聞かせてリサと接してきた。



でも、


お姉様自身は本当にそれでいいのですか―――。

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