第15話身分
七色荘には与太郎以外の住人は存在しない。
ここの管理人と雪は知り合いで近くに住んでいる。
101号室。
かなりボロいが家賃は格安、そして誰もいないからいくら物音を立てても迷惑にはならない。
「ふぉぉおおぉぉ…」
寝ている間にかなりの寝汗を掻いたため朝から湯船に浸かる与太郎。
もちろん夏休みに入ってから一度も勉学に励んでいない彼。
そもそも終業式の日以来、カバンから筆記具すら取り出していない。
「ここは天国、そう…バス・ヘヴンだ」
などどくだらないことを呟きながら幸せな時間を満喫していた。
「与太郎、テレビの電源入んないんだけど」
「あぁ、一度コンセントを抜き挿ししたらいい」
「わかった」
「…ふぉぉおおぉぉ…」
これで炭酸飲料でもあったら最高だろうな、と彼は天井を見上げる。
「…」
ふと、何かおかしなことに気がつく与太郎。
今日は平日だが夏休み、当然学校に行く必要はない。
課題なんてものは彼にとってはあってないようなもの。
ではこの違和感の正体は一体何なのか。
「与太郎、リモコンどこよ」
「…」
「?」
「…き…きゃあああぁああぁ!!」
与太郎は叫んだ、これでもかというくらいの大声で。
「ちっ、うっさいわね、何なのよ」
「お…おおおお前が何なのよ!!」
風呂場のドアを開けて姿を見せたのは飯田リサだった。
浴槽に潜り込み必死で身体を隠す。
「ななななんでお前がここにいんだよっ」
「オーナーから住所聞いて、めんどうだから管理人から鍵もらった」
「おほっ、どっからツッコもうかなっ!!」
めんどうの一言で鍵をもらえるここのセキュリティの無さに彼はびっくりだった。
「いいじゃない別に」
「それに男が入浴してんのに何も思わねぇのか!」
「大丈夫、グロには多少耐性があるわ」
「グロ言うな」
行きつけの店、そして唯一安らげる我が家ですら侵略されてはたまったもんではない。
「んで…一体何しに来た」
「別に何もしに来てないわよ、バカなの?それとも大バカなの?」
「リトライ行けよ!」
「…あ~、まぁそうするつもりだったんだけどねぇ…」
急に言葉を詰まらせるリサ。
いい家で育つ彼女はその環境に耐え切れず毎日のように喫茶リトライへ足を運んでいる。
それが何故こんな何も無い男の部屋に上がりこんできたのか。
「店の窓から菜月の姿が見えて引き返した」
「…あぁ」
金剛菜月。
桜花高校の1年生。
異常なほどにリサを慕っており、彼女が記憶喪失だということを知る数少ない人物の一人。
それが原因か、リサは彼女に対して少し苦手意識を抱いている。
菜月は大人しそうに見えるが庶民をゴミのように見ている。
「まぁ、他に羽伸ばせるっつったらここしかないわな」
「そう、だからアンタちょっと出て行ってくんない?」
「…なんでやねん」
ただ何もせずテレビの音だけが流れていた。
会話しなくてもお互い気まずい空気になどならない。
これがリサではなく美佐だとしたら間違いなく与太郎はソワソワして落ち着かない。
「与太郎」
「何だ」
「腹減った」
「…帰れよ」
部屋に掛けてある時計の針は丁度12時のところを差していた。
「ちっ、カップ麺しかねぇぞ」
「はぁ?そんなので満足いくわけ…」
「何コレっ、超うまいんだけど!!」
「…」
ものすごい金持ちのお嬢様は、お湯を入れて三分で出来上がる食事で超満足していた。
普段こういったものを食べていない証拠である。
「あぐら掻いてカップ麺食う金髪ハーフ女子とか」
「は?」
「男の夢ぶち壊す天才だな、お前」
「安心しなさい、アンタは似合ってるわ」
「庶民だからねっ!」
生まれて初めて家に女子がやってきて一緒に食べたのがカップ麺。
ロマンもときめきもあったもんじゃない。
「俺の初体験が…ことごとく崩れていく」
「気持ち悪いから死んでくれない?」
「…認めない」
箸を置いて彼は立ち上がる。
おいしそうに食べているリサに指を差して叫んだ。
「俺の物語のヒロイ…」
「鬱陶しいから座るか死ぬか、どっちかにしてくんない」
「座ります!」
早くリサの記憶が戻ってくれることを祈り続ける与太郎であった。
その後、リサは彼のベッドを占領して遅くまで寝続けた。
眼を覚ました彼女がタクシーを呼んで帰ったのは夜のドラマを見終えた後だった。
何もしてないのに精神的にドッと疲れた彼は冷たい飲み物を買いに行こうとコンビニへと向かった。
「さっさと記憶戻してもらわないと…」
リサの記憶が戻れば人格も戻るだろう。
そうすればもともと根っからのお嬢様である彼女が与太郎に近づくことは一切なくなる。
記憶を取り戻した時、今の彼女の人格はどこにいくのか。
くだらないことを考えた頭を大きく振って無理矢理冷静に戻す。
「俺には全く関係のないこ……おわぁああぁ!!」
滅多に車両の通らない狭い道を横断していると後ろからやってきた車に跳ねられそうになる。
尻餅を付いた彼は手を上げて前方で止まった車に大声で注意する。
黒色の車体、夜でもはっきりとわかる汚れの無い高級車。
静かに後部席の扉が開く。
「大丈夫ですか?」
ゆっくりと彼のもとへ近づいてくる。
近くまでやってきたその存在を与太郎は知っていた。
金剛菜月。
桜花高校の生徒は皆金持ち、ああいった車を持っていてもおかしくはない。
「…あ…ああ、大丈夫だ」
「大丈夫だったんですか…」
「すごく残念そう!」
リサが帰った後に菜月の相手をするのは体力的にきついものがある。
菜月はこんな時間までずっとリトライでリサを待ち続けたのだ。
雪もめんどくさいのと出会ってしまったものだ、と同情する。
「今日、お姉様があの喫茶店に来ませんでした」
「へ…へぇ」
「何か知りませんか、愚民」
「ホント一言多いガキだな…オイ」
菜月は手に持っていたスマホを与太郎に見せる。
「家に頼めばあなたの存在、今すぐにでも消せますよ」
「人を水性ペンで書いた落書きみたいに言うな」
ゆっくりとスマホを下ろし与太郎を睨みつける。
「お姉様から離れなさい」
「ああ、俺の今の願い事はそれだ」
「宝石とゴミとでは価値が違いすぎます」
「掘り出しもんのゴミかもしんねぇぞ?」
「でもゴミはゴミです」
「ごもっとも」
この数日で彼は何回ゴミと言われただろうか。
それを悔しいとも思わない与太郎にも問題があるのだが。
「いいでしょう、来週のパーティにあなたも来て下さい」
「は?」
「私の誕生パーティです」
「…」
誕生パーティ。
彼の知っているそれは小さなテーブルにケーキを置いて皆で囲んでワイワイすること。
しかし彼女の知っていることと彼の知っていることは全くと言っていいほど違う。
「身分の差というものを見せてあげますよ」
「行かねぇよ、めんどくせ」
罵倒されることをわかっていて行くわけがない。
「来なければ…そうですね、あの喫茶店閉めてもらいましょうか」
「…」
風がざわついた。
鳥肌が立つくらいの寒気が与太郎の全身に走る。
これは、恐怖ではない。
「そんなことをしたら飯田が怒るぞ」
「お姉様には相応しくありませんし」
「…それと」
座ったままだった彼は低い声を出して立ち上がる。
「少しでも雪さんに迷惑かけてみろ、俺が許さねぇぞ」
「…」
彼にとってあそこは大切な場所。
いつも与太郎を支えてくれる雪の笑顔を曇らせるようなことがあれば彼は神でも許さない。
「覚悟はわかった、行ってやる」
彼女はリトライを消すようなことはしないだろう。
だけど言っていいことと悪いことの区別ができないこの少女を彼は許せなかった。
「日程は日曜の夜、金剛家に来てください」
「ああ」
「名前を言ってくれればゴミのあなたでも通れるようにしておきます」
「上等だ」
「では」
冷たい視線を向け続けた彼女は再び車に乗り込んだ。
静かな音をたてて去っていく。
金持ちのお嬢様にたてついた腕を組んだままの彼。
「ふっ」
冷静になり、笑みを浮かべて闇色の空を見上げた。
「アカン、どうしよう」
こればかりはさすがにどうすることもできない。
もしかすると本当に存在自体消されてしまうかもしれない。
逃げるという選択肢はもうすでにない。
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