第16話仕返しは庶民的に
暑さに耐え切れず冷たい物を買いに行くため暑い思いをして外へ出る。
人とは矛盾だらけな行動をする生き物である。
「出るんじゃなかった…」
与太郎もまたその一人。
手の買い物袋には大量のアイス、これだけあればしばらく涼しげな夏を過ごせるだろう。
七色荘101号室の扉を開けて雑に靴を脱ぐ。
「…」
玄関で少し立ち止まった彼。
ため息を付きながら重い足を動かした。
「アンタに話があるから座りなさい」
「何普通な顔して普通にいるんだテメェは…」
家に戻るととてつもないハーフ金髪美少女が部屋にいた、なんて幸せな感情は生まれない。
「お前な…ここは俺の家だぞ、鍵返せよ」
「は?確かにここはアンタの家だけどこれはアタシの鍵よ」
「何を言ってるのかなお前様は」
管理人のせいでプライバシーやプライベートがズタボロだった。
見せてきた合鍵にはご丁寧に彼女好みのクマのキーホルダーまで付けてある。
クマというか、リアルなクマの木彫りのキーホルダーって女子高生的にどうなのだろうか。
「あ、チョコアイスちょうだい」
「何でお前にやらなきゃならん」
「え?アンタの物はアタシの物でしょ?」
「キョトン顔でジャイアニズム!」
袋から一つだけ取り出して彼女に投げる。
残りは溶けないように冷凍庫へ放り込んだ。
「アンタ、菜月の誕生日パーティに出席するってホント?」
「あ…ああ」
「正気?バカなの?大バカなの?」
「…ぐ」
否定できない与太郎。
「…いやぁ、出てほしいって言われてな」
「どうせバカにされてムキになって出るって言ったんでしょ」
「…」
嘘を付くのは彼的にダメージが大きそうだったのでやめておいた。
飯田家ほどではないが金剛家も相当なお金持ち。
そのパーティの出席者は間違いなく彼とは違う環境で育った人間達。
それに出ようと言うのだ、彼女からすれば正気とは思えないのだろう。
見下され、罵倒されて、思い出に傷を自ら作りに行くようなもの。
「お前、心配して来てくれたのか?」
「は?何でアタシがアンタの心配なんかすんのよ、殺すわよ」
「おほっ」
ツンデレな言動をするのかと思いきや全くそんなことはなかった。
「毎年アタシのとこにもね、招待状来てるらしいのよ」
「まぁそうだろうな」
「だからアンタに言っておこうと思って」
「…何を」
真剣な眼差しを彼に向けるリサ。
与太郎が予想しているよりももっとヒドイ目に合うかもしれない、と恐怖が大きくなっていく。
「あの子の誕生日パーティについて」
「…」
テーブルに置いてある冷えたスポーツドリンクを一気に流し込み、彼は覚悟を決めた。
高校生の彼はスーツなど持っていない。
まさか夏休みに、しかも学校に行く理由以外で制服を着る日がくるなんて思ってもみなかった。
ネクタイを緩めずにちゃんと締めるのも久しぶりである。
目的の駅で降り、バスに乗り込む。
金剛邸前なんていうバス停があることが彼女の金持ちさを物語っていた。
飯田リサとは別行動をしている。
彼女と一緒に歩くことは芸能人を連れて歩くのと同じくらい注目を浴びる。
始まる前から疲れていたくはなかった。
手が少し汗ばんできていた。
罵られることを幸せと思えるようなドM体質だったらどれだけ楽だろうと彼は何度も思った。
予想はしていた。
彼の通う学校以上の敷地。
バスを降りてまずやることは入り口がどっちにあるかを探すことだった。
目を細めて遠くを眺めると、門らしきものが見えた。
与太郎は自分の頬を叩き気合いを入れて歩き出した。
左右には大きな監視カメラ。
指先を震わしながらインターフォンを押す。
『はい』
「わわ、わたわたくし、加嶋よよ与太郎という者ですがっ」
『お嬢様のお知り合いの方ですね、少々お待ちを』
彼の名前はちゃんと伝わっていたようだ。
もう一度ネクタイを締めなおして深呼吸する。
「…あぁ、あなたの存在を忘れていました」
自動で開いた門の先から現れたのはドレス姿の菜月だった。
自分の誕生日パーティだというのに表情が暗い。
「来てやたたたぜ!」
噛むレベルが半端なかった。
「帰っていいですよ」
「おほっ、俺ってば何しに来たの!」
ドレス姿、暗い表情、そして、
静かすぎる金剛邸。
「本日のパーティは中止です」
「は?」
「あなたには伝えてませんでした」
「…いやいやいや」
勇気を振り絞った彼に対してそれはあんまりである。
それに安物ではあるが一応プレゼントも用意してあった。
「ふざけんな、中止って何だよ」
「うるさいですよゴミ、帰ってください」
「中止ってことは誰も来てないのか」
「言ったでしょう、伝え忘れていたのはあなただけです」
だったら何故。
彼女は未だにその姿でいるのか。
「あんだけ啖呵を切っといて恥ずかしくないのか」
「…ぐ、殺しますよ」
「あぁ、また金の力ってわけですか」
「…っ」
彼はネクタイを緩めて硬くなっていた姿勢を大きく伸ばした。
「あまり庶民なめんなよ」
「ゴミごときに何ができるのですか」
「やられたらやり返す、お前には覚悟してもらう」
成大高校ではそれが怖くて誰も彼には手を出せない。
鋭い目付きで年下の女子を睨みつける。
今まで見下してきた庶民に菜月が怯ませられたのは生まれて初めてのことだった。
スマホを取り出して耳に当てる与太郎。
「時は来た、お料理の時間だ」
テレビで見た古い台詞を通話相手に伝える。
「くくく、今から楽し……」
「…」
「…切られた!」
「知りませんよ」
慣れないことをしてはいけないと勉強になった彼だった。
「で、私に仕返しするつもりですか」
「あぁ、お前の泣き顔を堪能してやるよ」
「とてつもなく気持ち悪いです」
「…」
ちょっと心が折れかけた彼。
だが言ったからにはやり遂げなければいけない。
「わかりました、受けて立ちましょう」
「では来てもらおうか、HEYタクシー!」
大きく手を上げる彼の目の前に車が一台。
「さっきからずっと停車してましたよ」
「さぁ、乗れ」
「ちょ…せめて着替えてから…」
「さっさと車を出してもらおうか」
「さっきから台詞がダサすぎてびっくりです」
目的地を伝えることなく車は発進した。
車内では一言も口を開くことはなかった。
後部席に座る二人、菜月はずっと暗くなった街を眺めていた。
時折辛そうなため息が漏れているのを与太郎は見逃さなかった。
「…ここは」
「さぁ入れ」
菜月本人に扉を開けさせる。
彼女は手を震わせながら暗闇の中へと歩みだす。
「誕生日おめでとう!!」
「おめでとう!」
「…え?」
クラッカーの音と同時に電気を付ける。
「ってドレスのままじゃない菜月…」
「まぁ綺麗っ」
「あの…これって」
菜月を連れてきたのは喫茶リトライ。
手を叩いて迎えるリサと雪。
折り紙で作った輪っかの飾りつけが沢山してあり、中央のテーブルの上には大量のご馳走が用意されていた。
金剛家のパーティが中止になったことは本当に彼にだけ知らされていなかった。
だけどこうなるだろうとリサの予想は的中してしまったのだ。
リサのもとに毎年送られてくるパーティの招待状。
だけどそれが実現したことは一度もなかった。
中止になることが予想できていた誕生日パーティ。
「毎年中止になるらしいのよ」
記憶喪失のリサはそのことを母親から聞いて参加することを知らされていた彼の家へと向かったのだ。
菜月の父は娘を愛しているがとても仕事が忙しく、予定を入れても中止になることが多い。
だから直前になって参加者に中止の連絡が回る。
今年こそは、と菜月は毎年言い続け信じて待っていた。
金剛邸前にタクシーを待機させていたのはリサ。
パーティがなくなったのにタクシーが一台家の前に停まっている不自然、それを与太郎は瞬時に察した。
「ほら、座りなさいよ」
「い~っぱい食べてね」
「…」
無理矢理座らされる菜月。
「ふはは!さぁ泣き顔を堪能させてもらおうか!」
「もうアンタ用ないから帰っていいわよ」
「…さぁ俺の泣き顔を堪能してもらおうじゃないか」
「ふふっ」
リトライのいつもの光景。
リサに罵倒される与太郎とそれを微笑ましく見ているオーナーの雪。
「う…うぐ」
俯いた菜月の眼から涙が零れ落ちる。
パーティがなくなったことは正直そこまでダメージはなかった。
見下していた庶民の攻撃力があまりにも高すぎて耐え切れなかった。
与太郎を陥れるためにこの店を潰すと脅すことまでした。
「おいし…です」
ポテトフライを一つ食べて呟く菜月。
自分のことしか考えていなかったことに情けなさを感じた。
本来行われるはずだったパーティに比べると小規模中の小規模。
だけど菜月にとって忘れられない誕生日となった。
「これ適当に買ったんだけど、あげる」
「わぁありがとうございますお姉様!宝物にします!」
「私からはこれ、そこまで高いものは買えなかったけど…」
「野々村さんまでっ、ありがとうございます」
それぞれ用意していたプレゼントを渡す。
「ふ、そしてこれが俺からのプレゼ」
「ゴミ箱はどこですか」
「びっくりするほどの温度差に腰が抜けそうです」
彼に向ける態度は変わらないようだった。
「お前な!これを企画したのは俺だぞ!」
「酸素がもったいないので死んでもらえませんか」
「おほっ!」
ドMではない彼には罵倒はダメージでしかなかった。
「与太郎」
「飯田っ、お前からも言ってやれよ!」
「早く飲み物入れなさいよ、使えないわね」
「キエエェェエェェェ!!」
いつも菜月に迷惑をかけられているとはいえ、リサはプライドの高い彼女の辛い表情なんて見たくはなかった。
誕生日に悲しい思いをするなんてバカげている。
記憶喪失の自分に人の心が救えるのだろうか、とリサは悩んだ。
だから彼女は彼に相談した。
きっとパーティは中止になる、と。
それを与太郎は悩みもせず答えを導き出した。
「中止にならなければいい」
ほんの少しだけ。
そう、ほんの少しだけ彼を見直したリサだった。
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