第10話涙の理由
昨晩あった出来事ははっきりと覚えていた。
始まることのなかった恋で落ち込んでいた彼をリサは優しく介抱した。
失恋したダメージはでかい、でも彼女のおかげで我を忘れずにいられた。
日曜の喫茶リトライ。
この扉の先にはおそらくリサはいる。
あれだけ言い合いをしてきた仲だが、今回ばかりは彼女に助けられたのは事実。
だからこうして与太郎はお礼を言うために足を運んだ。
「いらっしゃい、与太郎君」
雪が笑顔で迎えてくれる。
軽く挨拶をしていつもの席に視線を向ける。
彼女はちゃんとそこにいた。
退屈そうにスマホをいじっている。
重い足を動かして歩み寄る。
リサにお礼を言うのはかなり癪だが、言わないとスッキリしない。
「お、おう」
「ん?」
彼に気がついたリサは手に持っていたスマホをテーブルに置く。
『与太郎はよく頑張ったよ』
間違いなく彼女が言った台詞は彼の傷ついた心を包み込んだ。
「あ、あのさ…」
「これはこれは、女の腕の中で号泣してたチンパンジーじゃない」
「んぐっ」
やっぱりこの女は苦手だった。
「動画でアップしてたら100万再生はいってたね」
「そんなにひどかったのか…俺の顔」
「大丈夫よ、それ以上ひどくなりようがないわ」
「あ、奈落の底レベルの顔面なのね」
苦手だが、これでよかったのかもしれない。
気まずくもならず、彼女はいつも通りに接してくれていた。
リサの正面に座ると雪が温かいコーヒーを持ってくる。
今の流れで雪も結果は把握できただろう。
さりげない優しさ、与太郎はまた泣きそうになっていた。
「んでどうすんのよアンタ」
「どうするとは?」
テーブルに肘を付いて彼に問いかける。
「アンタの惚れてる女、別の男が好きなんでしょ?」
「ああ、同じ高校の先輩だ」
「やりあうの?」
それは美佐の気持ちを無理矢理こちらに向けさせるということ。
頭の中で昨日の花火が音が聞こえた。
恥ずがり屋の美佐が勇気を出して彼に伝えた想い。
与太郎を親友だと思っているからこその行動。
「いや…」
彼女の頑張りを無駄にしてはいけない。
「応援してみるよ」
「…ホント、お人よしのゴミクズね」
「うるせぇよ」
これからの日常が辛くなることは眼に見えている。
勇気を振り絞ってくれた<友人>のために、
勇気を振り絞ろうと彼は決めた。
「挫けそうになった時は一発殴ってくれ」
「わかった、顔が変形するくらい思いっきりやるわ」
「パーでお願いねっ!」
リサの性格は最悪だが、優しい面もあることを彼は知った。
「そうだ、アンタ来週の休日付き合いなさいよ」
「あ?」
「家にある服が真面目そうなのしかないのよ」
言われてみれば彼女の私服姿はお嬢様という言葉を連想させる。
本来の飯田リサと違って今の彼女には合わないのだろう。
「何で俺が行かなきゃいけないんだよ」
「荷物持ちに決まってんじゃない、バカなの?それとも大バカなの?」
「言いたい放題ですねっ!」
彼女には借りがある。
こんなことで返せるとは思ってはいないが断る理由もないため彼は承諾した。
これから彼は自分が傷つく行動を取っていく。
好きな人のために、彼自身を犠牲にして。
勘が鋭いと周りから言われていた葵の予想は外れていた。
てっきり与太郎と美佐は両想いなのだと信じきっていた。
だからこそあの時二人きりにした。
うまくいったかどうかなんて与太郎の表情を見ればすぐわかった。
必死でいつも通りを演じていた。
美佐と雄也を騙せても葵にはすぐにわかった。
ダメだった、と。
何故ダメだったかはその後美佐と葵が二人になった時に知った。
美佐が中村先輩のことが好きだということを。
そして、
『私、加嶋君に言っちゃった』
何て残酷なことをしてしまったのだろうと葵はあれからずっと後悔していた。
もっと早くにその真実に気づいていれば避けることはできたのに。
葵の兄はトラブルに巻き込まれやすいと聞く。
だが今の彼女と違って、最善な道へと持っていくのがうまかった。
「友達として最低だ、私…」
教室の扉がとてつもなく重く感じた。
「お、来たか葵」
「よ、与太郎?」
月曜の朝。
教室の後ろで葵を待ち伏せしていた与太郎がいた。
「今日の二時間目が終わった後ちょっと手伝ってくれ」
「…え?」
彼がカバンから出したのは小さな箱。
「全てのチョークをラムネに変える!」
「ど…どういう?」
葵らしくもない反応に彼は軽く背中を叩いた。
「渡辺の野郎に仕返ししてやんだよ」
生物の教師の名前。
前回の授業で解剖予定だったカエルを全て与太郎と雄也が逃がした。
もちろんすぐに誰の仕業かバレて彼らは生活指導室で説教された。
葵でも錯覚するほどのいつも通りさ。
もちろん多少無理をしているが、一体何が与太郎をここまで立ち直らせたのか彼女は不思議でしかたなかった。
休み時間、与太郎は気まずい空気を作らないように美佐に声をかけた。
「そういやさ、中村先輩と喋ったことあんの?」
「ふぇっ!?」
急に振ってきた内容に驚く美佐。
「ほら、好きだって言ってたじゃん?」
「あ、ううん、話したことないんだ」
与太郎がそれを聞いても特に不思議とは思わない。
バスケ部キャプテンの中村はこの学校でも超が付くほどの人気者。
美佐のように喋ったことがなくても彼のことが好きな生徒は多い。
「ん~、なんか距離を縮めるいい方法ないかなぁ」
「え…そんな…」
彼女は恥ずかしそうにノートで顔を隠していた。
中村先輩に彼女はいない、その噂は男子の彼の耳にも入ってきている。
どっかの知らない女子に取られる前になんとかしなければいけない。
何もしなければ美佐が悲しむだけ。
友人の幸せを願うのは当然。
張り裂けそうな心を必死で堪えて。
美佐はいい仲間達に出会えたことに幸せを感じていた。
楽しい毎日、飽きない日常、真面目な彼女に知らない事をたくさん教えてくれる友人達。
そして、彼女の恋を心から応援してくれる彼。
金曜日の放課後。
教師の頼まれごとで帰る時間が遅くなってしまった彼女は小走りで校門へと走っていた。
与太郎達も手伝ってくれると言っていたが、すぐに終わるから大丈夫と告げて帰らせた。
美佐は親に買い物を頼まれていたため足を急がせた。
校門を越えようとした時、一人の男子生徒が壁に持たれて立っていた。
「…あのっ」
「ふぇっ!?は、はい!?」
彼女に突然声をかけたのは中村先輩だった。
「は…話があるんだけど」
「え…は…はいっ」
一度も会話をしたことがない二人。
誰が見ても美男美女のツーショット。
「俺と…付き合ってくれませんか?」
「…え」
彼女の手からカバンが落ちる。
驚きすぎて表情を作れない。
「だめ…かな?」
「あ、えっと…」
ダメなわけがない。
びっくりしすぎて言葉を失っていただけ。
「もしかして、好きな人いるとか?」
「…」
『距離を縮めるいい方法ないかなぁ』
「…え?」
動転していた気持ちが一瞬で冷静さを取り戻す。
嬉しいはずなのに、
喜ぶべきなのに、何か違う。
何も感じなくなってしまった彼女。
一体何が原因でこうなってしまったのか今の美佐には理解できなかった。
「…ごめんなさい」
深々と頭を下げる。
必死で両手を振る中村先輩が何を言っているのか彼女の頭の中には入ってこなかった。
美佐は、恋の花が咲く前に摘み取ってしまっていた。
親に頼まれていたものを忘れて、
フラフラと酔っ払いのような足取りで家へと向かった。
次の日になっても美佐の頭の中は真っ白なままだった。
せっかく与太郎が応援してくれているというのに裏切った形となってしまった。
昨日買い物に行けなかったため、今日は母親と一緒にデパートへと来ていた。
「本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫だって~」
心配する母親に必死に笑顔を向ける美佐。
しっかりしないと、と頭を大きく振る。
「先にどこから行…」
「食材は後にして先に本屋にでも…あれ?美佐?」
「…」
固まる美佐の視線の先。
与太郎と飯田リサが一緒に歩いていた。
去年からの付き合いの彼女ですら見たことがない表情を彼はしていた。
言い合いをしているようで、すごく楽しそうな二人。
「美佐…?ねぇどうしたの美佐っ?」
じっと立ったまま、美佐の眼からは大量の涙が流れていた。
やっと違和感の正体がわかった。
中村先輩に抱いていたのは恋ではなく、憧れだったのだ。
そしてこの涙の理由、それも簡単なこと。
彼女はとんでもないことをしてしまった。
勘違いの恋を伝えてしまった人に恋をしていたことに今やっと気がついた。
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