第9話天使
彼と彼女が出会ったのは高校の入学式の日だった。
パイプ椅子に座って退屈そうにしていた与太郎の横には美佐がいた。
当然この時はまだ彼は美佐に恋を抱いてはいなかった。
長い校長の話、耐え切れなくなった与太郎は姿勢を落としながらその場から抜け出すことにした。
「あの…どこへ?」
最初に話しかけたのは彼女。
「あ~、ダルいから抜け出すわ」
中学の頃から悪ガキだった与太郎にはこういった行動は慣れていた。
「…えっ?えっと、気を付けて下さいね…」
「おうよ」
止めることなく美佐は心配そうに彼を見送った。
そして教師にバレずに体育館を抜け出すことに成功した。
これが与太郎と美佐が交わした初めての会話だった。
休日の遊園地。
どの乗り物も待ち時間を必要としていた。
今並んでいるのは雑誌に載るくらい有名なお化け屋敷。
こういったホラーものにはあまり恐怖を感じない与太郎には絶好のチャンス。
怖がる美佐とイチャイチャできる、なんていうよくある下心。
想像しただけでも顔がにやけてしまう。
「か、加嶋君ってこういうの大丈夫なの?」
美佐は声を震わせながら与太郎に声をかける。
もうすでに発動している抱きしめたい願望を抑えながら、彼は平然を装った。
「俺、ホラー物は平気だからな」
頼りにしてもらえるように強いアピールをする。
「与太郎」
「何だ葵」
「与太郎の将来についてなんだけど…」
「何それ、超ホラー!!」
葵の将来という言葉が彼をいろいろと不安にさせた。
「怖いっ、助けて!」
「…」
「キャーこっちにもっ」
「…」
「お願い守ってぇえええっ」
「すまんが、離してくれないか雄也…」
「え、ヤダっ怖い!」
もちろんそんなうまい話あるわけがなかった。
与太郎と雄也が先導し、後ろから美佐と葵が怯えながら付いてきていた。
一番怖がりだったのは雄也で、ずっと与太郎の腕にしがみ付いている。
薄暗い中を進む一同。
落ち着いた頃にやってくるドッキリ演出。
耐え切れなくなった美佐は前を歩く与太郎の裾を掴む。
完全に彼を頼っている行動。
ときめきのお化け屋敷ありがとう、と叫びたい気持ちを必死で抑えた。
気がつくと裾を掴んでいるもう一人の存在。
「しょ、しょうがないから掴んでてあげる」
「何そのツンデレ」
葵にも掴まれて正直とてつもなく動きづらい。
彼にとっても彼女達にとっても楽しかったと言える思い出ができたのではないだろうか。
楽しくて、アクシデントもあったけど腹を抱えて笑い合っている仲間達。
もう完全に準備は整っていた。
いろんな所を回っていたおかげで、花火を間近で見られる最高の場所を見つけた。
無人とまではいかなかったが、ここに辿り着いた客はほんの一握りだった。
日も落ち、後は機会を伺うだけだった。
花火と告白までもう少し。
緊張で彼の手は汗ですごかった。
葵はもちろんその異変に気づく。
「そうだ山、飲み物買いに行くの付き合ってよ」
「…え?もう始まるぞ?」
「いいの、お二人さんこの場所キープお願いね」
雄也の背中を押して離れていく葵は横目で彼の方を見て軽くウインクをする。
彼女が友達で本当によかった、と感謝でいっぱいだった。
「もう始まっちゃうね」
「あ、ああ…そうだな」
ここまできたらもう引き返すことはできない。
花火を見ながら告白ができる最高のシチュエーション。
午後八時。
運命の花火が打ち上げられる。
「な…なぁ栗…」
「ね、ねぇ加嶋君って…」
言葉が被ってしまう。
花火を見上げながら口を開く美佐は少し緊張しているように見えた。
「な、なに?」
「その…ね」
花火よりも鼓動の音の方が大きく感じた。
「加嶋君は、好きな人…いる?」
彼は自分の荒くなってきている呼吸を隠すのに必死だった。
「え、どう…かな、栗山は?」
「私は…」
彼女の視線がゆっくりとこちらに向く。
「いるよ」
もう花火の音なんて耳に入ってこなかった。
だってこれは完全に恋が始まるカウントダウンなのだから。
「私は…ね」
いいのか。
先に彼女に言わせてもいいのだろうか。
もしかすると美佐も今日ずっと機会を伺っていたのかもしれない。
先に想いを伝えたい、そう思った与太郎は一歩踏み出した。
「俺は…っ」
「私、中村先輩のことが好きなの」
早かった鼓動が一瞬で活動を止めた。
美佐は一体今なんて言ったのだろう。
誰の名前を言ったのだろう。
はっきりしていることは、
彼の名前ではなかったということ。
「は、恥ずかしいな、葵にもまだ言ってないんだ」
「そっか」
彼が恋を抱いている人は別の男が好きだった。
仲のいい友達には隠し事はしたくないという気持ちで彼に教えたのだろう。
「中村先輩ってあれだろ?バスケ部キャプテンの」
「そうそうっ」
恥ずかしそうに両手で顔を隠す美佐。
間違いなく彼女はその男に恋をしていた。
「そっかぁ、へぇ…そっかそっか」
―――そういえば何しにここに来たんだっけ。
彼の思考回路は完全に停止していた。
「大丈夫、栗山なら積極的に行けばきっとうまくいくって!」
―――自分は今、誰と喋っているんだろう。
そこからはどうやって遊園地から出たのか、どうやって電車に乗ったのか、
いつの間に皆と別れたのか何もわからなかった。
我に戻ったとき彼は薄暗い静かな商店街を歩いていた。
泣き叫びたい気持ちが表に出ようとする。
口の中が鉄の味がするほどに歯を食いしばった。
喫茶リトライ。
気がつけばこの場所に来ていた。
夜も遅く、すでに雪は帰っているだろうがきっと彼は何かにすがりたかったのだ。
大声で泣き叫んでこの想いを受け止めてくれる存在を求めて来た。
店の扉は鍵が掛かっていなかった。
ゆっくりと開けると店内の全ての電気が点いていた。
「やっと帰ってきたか」
「お前…」
私服姿の飯田リサがいつもの席に座っていた。
なんでコイツなんだ、と神を恨んだ。
「いやぁ、アンタの残念な報告が聞きたくて開けといてもらったのよ」
「…っ」
その神とやらはとことん彼を落とす気でいるようだ。
「んで、どうだったんよ」
まるで少年のようなイタズラな笑みを彼に向ける。
違う。
もしかしたらこれでよかったのかもしれない。
大笑いされた方が傷は浅く、スッキリするのではないだろうか。
「いやぁダメだったわ、なはは!!」
「…」
必死で不の感情を殺して笑いの方向へと持っていく。
「つっても告白する前に失恋したんだけどよぉ」
さぁいつものようにバカにしてくれ、と彼は彼女の方へと歩み寄る。
「別の男が好きなんだってよっ」
彼の住むアパートは彼以外誰もいない、帰ればいくらでも泣ける。
「…」
「バスケ部キャプテンだぜ?敵うわけな…」
「与太郎、ちょっとここ座りなさい」
「…え?」
最後まで彼の言葉を聞かず、リサは立ち上がって自分が座っていた場所を指差した。
「はぁ?お前何言ってんだよ」
「いいから座りな」
腕を引っ張られて無理矢理着席させられる与太郎。
「ったく、本当に乱暴…え?」
彼の首にリサの両腕が絡みつく。
背中が温かくて柔らかい。
すぐ横にはリサの顔があった。
「よく、ここまで我慢したね」
我慢という箱の鍵が壊された。
後ろから抱きしめたリサは優しく彼に言葉を送った。
「だからお前…何言って」
「もういいじゃん、誰も見てないよ」
「…っ」
箱の中身が全て飛び出した。
大量に流れ出す涙がリサの腕を濡らしていく。
もう彼自身止めることはできなかった。
「与太郎はよく頑張ったよ」
「あ…あ…っ」
一気に感情が現実へと戻っていく。
「あ…あぁああああぁぁぁ…っ」
想いを告げる前に散った本気の恋。
会ったその日に好きになった人。
入学式を抜け出し、その先で雄也と出会って隠れていたところを教師に見つかり戻された。
無理矢理席に座らされた彼の横で彼女が優しく微笑んで呟いた。
「おかえりなさい」
彼にはその笑顔が天使に見えたんだ。
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