第5話婚約者
一般庶民には桜花高等学校にどう頑張っても入学できない。
生徒達の親はほぼどこかの社長と言っても過言ではない。
幼い頃から英才教育を受けてきたため非行に走っている者などいない。
だからこそ彼女にはとても疲れる場所なのだ。
「あ、リサさん、こんにちは」
「あら、松本さん、こんにちは」
「リサさんは本当におキレイですよね」
「そんなことないですよ荒木さん」
そろそろ顔の筋肉も限界だ。
彼女は母親にこの学校の生徒の写真と飯田リサとの繋がりがある人間との交流など教えてもらい頭に叩き込んできた。
正直寝不足である。
常に爽やかな笑顔を絶やさない可憐なる美少女。
本当の自分が恨めしい。
何でこんなめんどくさい人間になってしまったんだと。
今のところ何とか誤魔化し通せている。
予定などがわからない時などは事故で頭を打った時の後遺症で思い出せないという形で片付けることができた。
彼女の母親も母親である。
本来の飯田リサの性格を教えてくれない。
もしかしたら母親との間に溝か何かがあるのかもしれない、がそれを今のリサが聞けるわけがない。
だから彼女はしかたなくスマホの中に入っていた動画や幼い頃に撮影されていたもので自分自身を勉強した。
「リサさん、よかったらこの後お茶会でもいかがですか?」
「え…あ~、そうですね…」
「何かご予定でも?」
「あ、そ、そうなんですっ、本当に申し訳ありません」
「とんでもないですっ」
予定などない。
「(クソめんどくせぇ…)」
これが今の飯田リサである。
それを思いっきり口にしたいのを日々我慢している。
―――我慢。
そこで彼女の頭の中で描かれた存在。
彼の前では何も隠すことなく接することができる、ストレス発散要員。
「…ふ」
ここにいる生徒達が今の彼女の本性を見たら腰を抜かすかもしれない。
「あ、伊集院さんよっ」
「まぁ!」
周りにいる女子生徒たちが黄色い声援を送るその名前は初めて耳にする。
「こんにちは、リサさん」
「え、ええ、こんにちは」
高身長、整った顔、サラサラの黒髪、優しい笑顔、どこを見ても欠点がない男子生徒。
なんだこの生命体は…、と彼女は口に出しそうになる。
「やはり、貴女は遠くにいてもよくわかります」
「…え?」
「特別キレイですから」
周囲が顔を赤らめてざわめき始める。
アイドルを眼にしているようにキャーキャーと騒いでいる。
「(気持ち悪いな、オイ)」
何度も言おう、これが今の飯田リサである。
「それではまた」
「あ、はい、ごきげん…よう」
眼を閉じながら去っていくその男はキザそのものだった。
「伊集院さんステキですよね…」
「ええ、本当にリサさんとお似合いですわ」
「…ん?」
今何か聞き捨てならないことを横にいる小娘が口にした。
「卒業したらご結婚されるんですよね」
「えええぇええぇ!?」
驚きすぎて素が出てしまうリサ。
周囲も声を挙げた彼女に注目する。
「ごめんなさい、発声練習をちょっと」
「あ、あぁそうですよね、驚きました」
何故今ので誤魔化せたかはとりあえず置いておく。
そんなことはどうでもいいのだ。
―――そう、彼女には婚約者がいた。
成大高等学校昼休み。
与太郎一味はいつものように食堂にいた。
「そういえば加嶋君、弟喜んでくれたよ」
「そうか、それはよかった!」
二人きりで買いに行った美佐の弟の誕生日プレゼント。
どうやらちゃんと渡せたようだ。
「…へぇ」
「何だよ葵…」
「べっつにぃ」
実は葵には美佐が好きだということはバレている。
葵と美佐は親友だ、でも彼女は彼の気持ちを本人に言いふらしたりしない。
「お、何だお前ら、内緒話か?」
カウンターで食事を受け取って戻ってきた雄也が席に着く。
「なんでもないよ、あっ天ぷらも~らい」
「ぬおおお葵テメェ!これじゃただの素うどんじゃねぇか!」
東田葵、勘が鋭くて口も堅い、彼にとってはできた友人である。
「お、あれ中村先輩じゃねぇか?」
雄也が指差す方向にいたのは、成大高校で知らない者はいないと言われる程の男子生徒。
成績優秀、スポーツ万能のバスケ部キャプテンの爽やかイケメン。
噂では恋人はいないらしいが、にわかに信じがたい。
「人気すごいね」
周囲が騒いでいるのを見て美佐が呟いた。
「与太郎と山を足しても勝てないね」
「…」
「…」
葵の台詞にぐうの音も出ない男二人。
「ごめん、掛けても無理か」
ひどい言いようである。
与太郎も雄也も人間偏差値で敵う相手ではないことくらいは理解していた。
食事を済ませ、お茶を飲みながら一同は団欒タイムに入っていた。
昨日のテレビ、授業内容、生徒達の噂。
内容は普通のありきたりなもの。
その彼のひと時を邪魔したのはもちろんあの存在。
スマホの振動を止めてメッセージ画面を開く。
【今日リトライに来なさい】
飯田リサからである。
美佐との買い物を見られてからあの喫茶店へは行っていない。
与太郎は操作することなくジッと画面を見つめていた。
すでに既読の跡が付いてしまったため、見たことはバレている。
彼の中で断ることは決定している、だがそれをどう返すべきか。
―――あるじゃないか、完璧なやり方が。
既読スルーという便利な言葉があるじゃないか。
不敵な笑みを浮かべてポケットに入れようとした時、再度スマホが震えだす。
今度は長い。
恐る恐る画面を見ると、飯田リサからの着信だった。
「加嶋君、どうしたの?」
「あ、いや、ちょっとトイレ行って来るわ…」
恐怖に負けて席を立ちその場を離れる。
「何のようだ…」
『アンタが既読スルーしようとしてることくらいわかってんのよ』
完全にバレていた。
『ちゃんと放課後来なさいよ、じゃないと』
「…じゃないと?」
『栗山美佐の前で、修羅場を演じてやるわ』
「ひぃ!!」
殴られるよりも性質の悪いやり方だった。
『来るか来ないかは、まぁアンタにまかせるわ』
そこで通話が終了する。
廊下で汗を流しながら立ち尽くす与太郎であった。
授業終了と同時にものすごい勢いで学校を出る。
周りからはおかしく思われたかもしれないがそれどころではない。
目的地はもちろん喫茶リトライだ。
「あら与太郎君、いらっしゃい」
「はぁ…はぁ…こんにちは、オーナー」
爽やかな笑顔で迎えてくれる雪。
差し出された冷たい水を一気に流し込む。
「へぇ、ちゃんと来たじゃない」
「テメェが来いっつったんだろうが…」
横では偉そうに座っているリサの姿があった。
カッターシャツの第一ボタンを外し、ネクタイを緩めている。
桜花高校でこんなにも制服を乱している生徒を彼は見たことがない。
「…で、用はなんだよ」
「アンタに用なんてないわよ、バカなの?それとも大バカなの?」
「キエエエエエエェェエエ!!」
置いてあった椅子を持ち上げたところで雪に止められる。
雪に背中を優しく摩ってもらってやっと落ち着きを取り戻す。
向かい合う形で与太郎はリサの正面に座る。
「アタシにね、婚約者がいたのよ」
「ほう、それはどこの動物園にいるんだ」
「殺すわよ」
「…すみません」
リサは今日発覚したことを口にする。
「どんな男だ?」
「そうね、アンタがミートボールだとしたら彼は月ね」
「どんな例えだ」
昼休みにも同じようなことを言われたのを思い出す与太郎。
しかし詳しくその人物を聞けば、もしかしたらミートボール以下なのではないかという不安が過ぎった。
どこかの御曹司との婚約。
完全に将来勝ち組、何が不満だというのだろうか。
「で、それの何が悪いんだよ」
「気持ち悪いんだよ」
めちゃくちゃな返しだが、今のリサの姿を見て納得する。
本来の彼女ならお似合いだろうが、今現在のリサとは絶対に合わない。
「殴るわけにはいかないし…」
「いや、普段からダメだろって」
すぐに手を出したがるのは彼女の悪い癖である。
今の彼女は偽物の人格。
記憶喪失ということは、もしかしたらその内全てを思い出し元の性格に戻るかもしれない。
だから<彼女>は<飯田リサ>の日常を潰すわけにはいかないのだ。
「ねぇ」
「…ん?」
それは彼らが出会った時と同じ光景。
「アタシ、どうしたらいいと思う?」
与太郎は大声で叫んでやりたかった。
いつも思うこの言葉を彼女に向けて。
―――何で俺なんだ、と。
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