第2話自分がわからない自分
授業内容が頭に入ってこない。
窓を開け、春の風を感じながら彼は昨晩起きた出来事を思い出していた。
あの少女のことを。
「で、まずは名前から聞こうか」
人ごみを避けるため、彼はその少女を連れて行きつけの店へとやってきた。
喫茶店リトライ。
普通はもう閉まっているはずの時間だが、オーナーに連絡したら鍵を開けてくれた。
テーブル席に座り事情聴取を行う。
「記憶喪失って言ってんじゃない」
嘘を付いているのでは、と少しカマをかけてみたが失敗した。
パーカーを脱いだ彼女の制服姿を見て、与太郎は見覚えがある気がした。
どこかで見たことがある制服、そこまで出てきているのだがはっきりと思い出せない。
「で、何であそこにいたんだ?」
「知らないわよ、気がついたらあそこにいたのよ」
偉そうに腕を組み始める彼女。
ものすごい美少女なのにすさまじく怖い目付きをしている。
「俺に話しかけてきた理由は?」
あの場にはたくさんの人がいる、交番だってある、なのに何故彼に声をかけたのか。
もしかすると安心できそう、そういった理由だろうか。
「一番低レベルそうだったから」
「ちょっとは発言に躊躇しなさい」
確かに彼女のような高品質から比べると彼はその辺に落ちている石ころみたいな存在かもしれない。
「んで…俺はどうしたらいいんだよ」
「それを聞いてんじゃない、バカなの?それとも大バカなの?」
どっちに転んでもバカである。
ブロンドの髪。
その目付きと口調から不良に見えるがハーフ顔からすると地毛かもしれない。
「はい、紅茶だよ」
裏から現れたのはここのオーナーの野々村 雪(ののむら ゆき)
若くてキレイで優しい、男の憧れである。
「ありがとうございます、あれ店長は?」
「経済の勉強するためにしばらくはこの街にいないのよ」
あの店長に経済、違和感が半端ない。
「そんなことよりも…」
そう、そんなことよりも問題はこっちだ。
「この口の悪い女を何とかしないとな」
「顔の悪い男に言われたくないわ」
「あぁ!?」
「あぁ!?」
助けを求めている人に喧嘩腰とはなかなかのいい根性をしている。
「…あれ、あなたどっかで」
雪は座っている彼女をジッと見つめる。
「そうなんスよ、俺もどっかで見覚えが……意外と胸あるな」
「ふんっ!」
「なはっ!」
生まれて初めて女性にグーで殴られた瞬間でした。
「…いてぇ、お前スマホとか持ってないのか」
「スマホって携帯?」
「そこはわかるんだな、その中に親とか入ってないかってことだ」
「なるほど!アンタ脳みそあったのねっ」
「立派なのがあるわっ!」
ブレザーのあらゆるポケットの中を探る。
一番最後に調べた内ポケットから目的の物は出てきた。
首を傾げながら適当に指で触る。
あまりこういうことはしたくないが、彼と雪もしかたなく覗き込んだ。
「なぁ…」
「何よ」
「何で全員の名前に<さん>が付いてんだ?」
「…知らないわよ」
丁寧に電話帳に入っている人物全員に付いていた。
下へスライドさせ、手を止めさせた人物は。
<お母様>
「…」
「…」
「…」
三人の時も止まってしまった。
「…わははははっ!お母様って柄かよ!!」
「…」
「お前の場合オカンだろうがっ、だはははは!」
「ふんっ!」
「なはっ……本日二度目いただきました…」
彼女の照れ隠しは攻撃的でした。
彼女は手を震わせながらその相手に電話をかける。
小声で事情を説明し、雪から住所を聞いて伝える。
「…今から迎えに来てくれるって」
「…そう」
複雑だろう。
彼女からすれば初めて眼にする母親なんだから。
察した雪は優しく肩に手を置いた。
到着にはそんなに時間はかからなかった。
ゆっくりと開けられた扉の先には彼女をそのまま日本人顔にしたような人物がいた。
「リサ!」
入ってきたその女性は真っ先に彼女に抱きついた。
泣きながら強く抱きしめられ、どうしたらいいかわからない彼女は慌てていた。
「あ、ご…ごめんなさい」
我に返った女性は涙を拭い、深く頭を下げる。
「この子の母で飯田真理と言います」
スーツ姿のできる美女、という言葉がとても似合っている。
そんなことよりも、どう見ても20代前半にしか見えない。
「やっぱり真理の子だったのね」
「…雪!?」
「…え、雪さん知り合いなんスか?」
「高校時代の同級生よ」
奇跡と思えるほどの偶然。
記憶喪失の彼女の母親と雪さんは昔からの友人だった。
「顔が似てたし、幼い頃に一度見てるから」
「髪と眼の色は旦那側なんだけどね」
察するに旦那が外国の方ということだろう。
飯田 リサ(いいだ りさ)
それが今母親に教えられた彼女の名前。
仕事の関係で娘と数年前に日本に帰ってきて、こっちでは母親側の姓を名乗っているらしい。
「飯田リサ、飯田リサ、飯田リサ…」
何度も自分の名前を呟く彼女。
「思い出しそうか?」
「全然だわ」
いくら口に出しても違和感でしかない。
「そういえば君は?」
「ああ、俺は娘さんに声をかけられてここに連れてきただけッス」
「…リサに?」
それ以外何があるというのだ。
真理は口元に手を当てて少し考え事をする。
信用できる雪がいるため、弁解はいらないだろう。
少し話込んだがリサが覚えていることは何一つなかった。
家、学校、友人、何一つ。
とりあえずこの後、母親と夜の病院に連れて行くことになった。
「さ、行こリサ」
「…あ、うん」
優しく背中を押されて足を動かすリサの後姿を見送った。
扉の先へ進む前に彼女はゆっくりと振り返る。
「名前」
「あ?」
「アンタの名前」
「あ、ああ、加嶋与太郎だ」
「…ん」
何かを納得した彼女はそのまま母親とその場を去っていった。
そう、これが昨夜起きたとんでもないイベントだ。
おそらく忘れたくても忘れられない。
「よし、じゃあここを加嶋、解いてみろ」
教師に当てられて与太郎はゆっくりと席を立つ。
深呼吸をし、真剣な眼差しで教師に言葉を投げかけた。
「先生」
「なんだ?」
「今、何の授業ですか?」
「後で職員室に来なさい」
「はい」
何かをやりとげた表情で席に着く。
考え事をしすぎたせいで授業を全く聞いていなかった与太郎であった。
「大丈夫?今日ずっと上の空だったけど…」
ずっと気になっていたのか、心配そうに声をかけてくる美佐。
「ああ、大丈夫、ちょっと夜更かししただけだ」
「それならいいんだけど…」
せつなそうな表情で見つめられ心臓が急激に活動し始めてしまう。
きっと美佐と結婚したら幸せな日常を送れるのだろうな、とニヤけてくる。
「与太郎、顔がもともと変だよ」
「葵、今の流れで<もともと>という言葉は必要ない」
帰宅の準備を済ませた葵が与太郎と美佐のもとへとやってくる。
「うわ!太郎お前…あぁいつも通りか」
「今何に納得した」
葵に乗った雄也も現れる。
別に約束をしていなくてもこうして集まってくる。
考えるのはよそう。
もう会うことはない、悩むだけ無駄というもの。
「太郎、今日どうすんだ?」
「あ~、俺はちょい用事あるわ」
昨夜、リトライの雪さんにはお世話になったためお礼を言いに行こうと決めていた。
店長不在のため妹の葵を連れて行くこともないだろう。
じゃあまた明日、そのありきたりな台詞を吐いて教室を出て行く。
「それにしても…雪さんっていくつなんだよ」
昨日から気になっていたことの一つ。
彼女の母親と同い年ってことは20代ではないのは確かだ。
正直女が怖くなってきていた与太郎だった。
桜が満開の校門の前で人だかりができていた。
定番の犬乱入とかだろうか、と与太郎は避けるように足を動かす。
「あのっ、桜花高校の方ですよねっ?」
「ええ、そうですよ」
違っていた。
誰かが質問攻めにあっているようだった。
「すごい!」
「こんな普通の高校に用でも?」
「あ、人を探してるんです」
「人?名前はなんていうんですか?」
もうなんか誰が何を喋っているのかわからない状況だった。
関係ない、と与太郎は横を通り過ぎようとしたとき。
「加嶋与太郎さんという方をご存知の方はいらっしゃいますか?」
「…え」
「それって…彼のことだよね…」
「な、なんであの人…」
嫌な予感というものは当たるもので。
与太郎はバレないようにその人ごみの中に入り込む。
―――思ったとおり、昨日の女だった。
「昨日落し物を拾っていただいたので、そのお礼に」
「あ~そうですよね!」
「びっくりした…」
「桜花高校の人が彼と知り合いなわけないよね」
「…」
君達の反応はあまりにもひどすぎやしませんか。
入学したての下級生は知らないとは思うが、この学校では加嶋と山田は有名人である。
文化祭では放送部をのっとり、体育祭では他クラスのリレーバトンに仕掛けをしたり、などなど周りからはイタズラ好きの不良と思われている。
「本当にキレイ…、ハーフですよね?」
「え、ええ…私は…」
「ゴリラと人間のハーフですわ」
「…え?」
一同にバレないようにしゃがみ込んで与太郎が答える。
「学校ではどんなことしてるんですか??」
「が、学校では…」
「毎日正拳突きの訓練をしていますわ」
「…」
「だからすぐに手が出てしまうんですのっ」
「…」
異変を感じた皆は周囲を見渡す。
「やば…加嶋君だ…」
「あ、あはは、それじゃさようなら~」
危険を察知した生徒たちは流れるように去っていく。
「誰がゴリラと人間のハーフよ」
「お前だ、すぐに殴るだろうが」
「殴りやすい顔コンテストに出たら?」
「どんな顔っ!」
いくら暴言を吐いてもさっきから表情を全く変えていないリサ。
外の顔というやつだろうか、清楚な雰囲気を撒き散らしている。
「ゴミカスに用があってきたのです」
「丁寧な口調で言われるとダメージでかいな…」
「名前なんでしたっけ、チンパンジー?」
「さっき俺の名前言ってたよね!!」
こんなにも息を切らすツッコミをしたのは久しぶりである。
「そうだ思い出した…桜花高校って金持ち学校じゃないか」
「そうよ」
学校側もこんな乱暴なお嬢様がいるのはさぞ大変だろうに。
「成績優秀、品行方正、誰にでも優しく皆から尊敬されている飯田リサ」
「どちら様だ」
「それが前の私よ」
校門前で誰にも見えないようにスマホの画面を与太郎に向ける。
そこに表示されていたものは動画だった。
リサの学校での日常が映し出されていた。
『ええ、でしたら今度お茶会を開きましょう』
外見は同じだが全くの別人。
『いえ、今回はたまたま運がよかっただけです』
姿勢を崩さず、全くの嫌味のない口調。
周りに囲まれるリサはまるで天使のようだった。
彼が見終えた後、彼女はスマホをおろしてこう言った。
「こんなクソみたいな性格を演じ続けれる自信ないわ」
だから何で俺に言う、と大声で叫んでやりたかった。
「…あれって」
与太郎の帰ったあと遅れてやってきた美佐。
靴を履き替えて歩き出そうとしたとき、校門の方で見覚えのある男子がいた。
足を進ませることなく、彼女はジッとその光景を見つめていた。
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