第4話

 それからわたしとレオナは、レオナの家で暮らし始めた。レオナをわたしの家に連れてくると色々と面倒そうだし、わたしが友人の家に泊まると言えば、親は何も言わなかった。親にとってわたしは優等生そのものだったし、結局はわたしという個人に対して、それほど興味が無かったのだ。

 でもレオナは違った。わたしを個人として、一人の女として愛してくれる。初めてできた友人であり、夢にまで見た恋人。たとえその彼女の愛情が、社会に対する反逆心の発露ゆえだったとしても。

 二人は幸せだった。

 でも、わたしはもっと幸せになりたかった。特別になりたかった。

「ねぇ、二人でコドモをつくろうよ」

 何度も肌を重ね合わせたベッドの中で、レオナを抱きしめながら耳元に囁くと、レオナはまなじりをつり上げた。

 コドモなんてものをつくってもしょうがないと思っていたし、第一、重罪だ。それに自分のコドモを自分と同じような目に合わせることだけはしたくないと常々思っていた。だから男と会うときも、避妊だけは人一倍気をつけていた。避妊の技術なんて、出生が禁止されてから廃れてしまったので、知識を得るのは一苦労だった。

——でも、リンとなら。

 育った環境は大きく違えど、他の女のように生殖能力を捨てなかったリンとなら、違う未来が開けているかもしれない。

「わたしが女だって、あなたのお父さんにバレないかしら」

「大丈夫よ。あなたはそこらへんの男より男らしいもの」

「それもちょっとどうかと思うけど」

 レオナがリンに笑いかけると、リンは嬉しそうに目を細め、レオナをぎゅっと抱きしめた。リンの柔らかいねこっ毛が、レオナの顔をくすぐった。

 

 そこからのリンは速かった。

 まず研究資料を集め、採取した細胞からiPS細胞を作り、そこから精子、卵子を作るキットの作成をした。また、それを安全に胎内に注入し、コドモを育てるための手法も開発して見せた。親が研究者とは聞いていたが、素人のレオナも、さすがに親譲りの才能を感じざるを得なかった。どうやって開発したのか聞くと、論文自体は他国で発表されていて、そのとおりにやっているだけらしいが、それでも驚異的だった。

 しかしその才能が表舞台では決して評価されないものであることは、レオナにもわかっていた。

 リンはすべてを持っているが、何も持っていなかった。

 レオナは何も持っていないからこそ、すべてを持っているのかもしれなかった。

——そんな二人が出会ったからこそ、化学反応が起きたのかもしれない。

 そしてついに、彼女たちが自ら身体に受精卵を移植する日がやってきた。

「わたしたち、これで本当の夫婦だよね」


 このとき、二人は幸せの絶頂だった。


 二人の暮らしにも慣れてきた頃、わたしは実家で、レオナを父に結婚相手として正式に紹介することにした。ここさえ乗り切れば、自由に暮らしていける。コドモのことは、双子だと言えば誤魔化せる。

「こちらがレオナさん」

 レオナを父に紹介する。髪は短くし、男性モノの香水をかけてある。

 父はレオナを一瞥すると、

「はじめまして。リンとはどこで会ったのかな」と尋ねた。

「ケイタに代わりの家庭教師として紹介され、それから意気投合しました」

 ケイタの名を出したのは、二人で話し合った結果だった。その方がリンの父親は安心するだろうという魂胆だった。

「なるほど。レオナさんは、子供を持つことに偏見はありませんか」

 レオナは一度大きく目を見開いた。だが、覚悟はできているようで、すぐに平静を取り戻し、

「ありません。必ずリンもコドモも幸せにします」

 リンはレオナの決意が嬉しかった。脳にドバドバと快楽物質が分泌される。わたしが地球上で今最も幸せな生物だと感じた。

 フハハハハハ——

 父が口元を歪めた後、突然笑い出す。

「嘘言ってもらっちゃ困るよ」

 突然ドスのきいた低い声になると、カバンを探り、分厚い冊子を机に叩きつけた。

 表紙には「神崎レオナ 実験報告書」と記されていた。

 実験報告書?

 ま——さか——

 後頭部を鈍器に殴られたような衝撃が走る。目の前が光に包まれたようにまばゆく光り、ブラーがかかったように何も見えなくなる。

「レオナさん。あなたがどういう生まれなのか、私達はとうの昔から知っていたんだよ。一般人が出生禁止法を犯した結果生まれた子供が、どういう人生をたどるかというサンプルとしてね。わかるかい。これまであなたは実験サンプルとして生かされていたのだよ。そんなこと知る由もなかっただろうがね」

 レオナの顔からみるみる血の気が引いていき、青ざめていく。手足がガクガクと震え、目の焦点が揺らぐ。その場に崩れ落ち、えづき出す。振り返り、わたしを騙したのかと糾弾するように目を大きく見開く。そんなこと、わたしだって知らなかった。

「ケイタがレオナと出会ったと知ったときは、自分も驚いたよ。まぁケイタについては、元気があっていいとも思ったがね」

——そのときから、わたしとレオナの関係は見抜かれていたのだ。

「リン。お前には失望したよ。家を出ていったときは少し様子を見ようと思っていたが、まさか本当にこんなバカげたことをするとは。お前はもう少し賢い女に育てたつもりだったんだが。さぁ、二人とも、早く家から出ていってもらおうか」

「待ってお父さん。レオナの素性は知らなかったの。でもレオナはいい人よ。きっと上手くやっていけるわ」

 ぼやけた視界で、ふらつく足で父の元までたどり着くと、足にしがみつき懇願する。

 父は縋りつくわたしを見向きもせずに蹴飛ばすと、ソファから立ち上がり、相手にするのが面倒だ、といった風で、

「私はお前らが上手くやっていけるかなどに何ら興味はない。実験サンプルと結婚する人間がいったいどこにいると言っている。お前はもう私の娘ではない——私の気まぐれで、お前たちを如何様にも処分できるということを忘れるな。死にたくなかったらさっさと出て行け」

 もう何を言っても無駄だった。

 父は、もうわたしを娘とみなしていなかった。あまりにも合理的に、わたしを切り捨てた。最も命の大切さを叫んで然るべき人物が、自らの娘をただの道具としてしか扱っていなかった。

 無理もない。父はこれからもずっとずっと生きていくのだ。娘の一つ二つ、いくらでも生みだせる。

 わたしは蹴飛ばされた痛みで、動くことができなかった。

 うずくまってじっと耐えていると、股から血が流れ出す感触があった。

——流産していた。

 すべてを失って、二人は無音の中でしばらく佇んでいた。幸せの絶頂は断崖絶壁の上に立っていて、真っ逆さまに落ちるのは一瞬だった。

 部屋を出かかった父が振り返って、

「そうそうレオナさん。君の母親はイイ女だったよ。死んだのがもったいないね」

 と吐き捨てると、レオナは堰を切ったように悲鳴を上げた。

 

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