第10話 恋愛シミュレーションが失敗したんだが

「悠木と……相田さん?」


 野球帽を脱いだ夏海が俺達の前に立ちつくす。

 

 恵は拾ったボールを落としてしまう。

 

 ボールが風に押されてアスファルトの地面の上を転がった。

 

 夏海の弟らしき男の子は目をぱちくりさせて、夏海と恵を交互に見る。

 

 何と説明したものか。

 

 でも、いつまでも黙っているわけにもいかない。

 

「夏――」


「違うのっ! これは違うのっ! 夏海さんっ!!」


 俺の言葉を遮るように恵が大声を出す。

 

 それは聞くものをはっとさせる響きを持っていた。

 

 恵がこんな声を出すのを俺は初めて聞いた。

 

「あっ、あたしが今日は無理矢理、ゆうきちゃんを誘ったのっ! だから、その、ゆうきちゃんのこと、誤解しないであげて欲しいのっ! ごっ、ごめんね! その、あたし、ほら、一人じゃなんにも出来ないし、ゆうきちゃんに何でもすぐ頼っちゃって……その……だから……」


 恵の声が涙で震える。ぐすぐすと嗚咽まじりに恵は必死になって言葉を紡ぐ。


「相田さん。別に、私そんな風に」


「違う。ごめん夏海。俺が」


「――二人とも、ごめんねっ!」


 俺と夏海の声を最後まで聞かずに、恵はその場から逃げるように駆け出していった。


「あっ、恵!」


 俺はすぐに恵の後を追おうとする。

 

「――悠木」


 俺の背中に夏海の声が、投げつけられた。

 

 俺は夏海に背中を向けたまま、脚を止めた。


「行っちゃうの?」


「うん」


「……そっか」


「ごめん」


「いいよ。どうせ分が悪い勝負だとは思ってたから」


「勝手な言い草だけど、できたらこれからも今まで通りつきあって欲しい。俺とも恵とも」


「考えとく」


「いいヤツだよな。お前」


「いいから、もう行きなさいよ。ほら」


 俺は最後にもう一度、「ごめん」と言って、その場を離れた。


***


 時計は七時を回っていた。

 

 いくら日が長くなったとはいえ、そろそろ夜の帳が落ち始める。

 

 俺はあれから恵をさがして町中を走り回った。

 

 本屋、CDショップ、ドーナッツショップ。

 

 恵の行きそうな場所はしらみつぶしに回ってみた。

 

 でも、どこにも恵はいない。

 

 携帯で聖さんに家に帰ってないか訊ねてみたが、忙しそうな声で「まだ帰ってこないけど? つーか、早く帰ってこっち手伝って欲しいんだが」と言われた。

 

 俺は携帯を閉じて、夕暮れ時の町をあてもなく歩く。

 

 ガードレールをはさんでヘッドライトとテールライトが交互に俺を追い抜いていく。

 

 時々吹き付ける風はもあっとした熱気を含んでいて、気持ち悪かった。恵とつきあい始めてどのくらいになるだろう。

 

 思えば、小学校の入学式一人ポツンと教室の前の廊下に立っていた恵に俺が「何してるの?」と話しかけたのがきっかけだった。

 

 恵は教室に入るのが怖いと涙目で俺に言った。

 

 俺は「大丈夫」と恵の頭を撫でた後、手を引いて教室の中に入っていった。

 

 それから恵はクラスの中ではそんなに強く存在を主張するような事はなかったけれど、俺と二人の時だけはおしゃべりでやかましい『素』の姿を見せてくれていた。

 お互い子供だった頃、俺は恵とこんな会話をしたことがある。


「あたし学校すごく好きだよ」


「そりゃ、お前は勉強できるからな」


「違うよ。そう言うことじゃないからっ」


「じゃあ、何で?」


「だって、学校が一番ゆうきちゃんといっしょにいられるから」


 さらっと当たり前のように言われたこの一言が、どんなに俺を赤面させたか。


***


「何で、ここだってわかったの?」


 電気の消えた教室の中で、恵は入り口に立った俺を不思議そうな顔で見る。

 

 半分開いた窓から夕焼けのオレンジと夜の青が混じった青紫色の空がのぞいていた。

 

 強く吹いた風が白いカーテンを揺らして窓際にすわった恵の顔を何度か俺の視界から遮った。


「好きなんだろ? 学校」


 俺はいつもとは雰囲気の違う静まり返った教室の中に入って、恵の座ってる席の方に歩いていった。


「それ、小学校の頃の話だよ」


 ごしごしと両目を乱暴に拭いながら、恵はほんの少しだけ笑う。


「――ゆうきちゃん、夏海さんといなくていいの?」


「あれなら、ご破算になった」


「ええっ?! ごっ、ごめん!」


「勘違いするな。俺が自分でそう決めたんだ」


 俺はそう言って恵の頭の上に、ぽむっと手置いた。恵は黙って俺を見上げる。


「帰ろう。聖さん、忙しくてテンパってる」


 俺は恵の頭を撫でるのをやめると、その手を恵に差し出した。


「うん」


 俺の手に恵の手が重なる。


 俺は恵に背中を向けて手を引きながら、黙って歩く。

 

 恵も黙って、俺の手を握って歩いた。

 

 長くのびた俺達の影が夕暮れの教室の中で並んでいた。

 

 教室を出て廊下に出る。

 

 赤く染まった西の空にぼんやりと赤い太陽が浮いていた。

 

 セミが鳴いている。


「どうして、もっと早く気づかなかったのかな」


 ぽつんと恵がつぶやいた。

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