第8話 俺が恋愛シミュレーションをするハメになったんだが

「つき合って欲しいの」


 風がまた吹いた。


 枝葉がざわめき、セミが再び夏の歌を歌い始める。

 

 静寂がみるみる塗りつぶされていく。

 

 たぶん俺は今、呆けたような顔を夏海に向けている。


「一応言っとくけど、本気だから」


「あっ、なっ、夏海、えっと、その、あの、えっ? 俺? 俺なの?!」


 ようやく状況を理解した俺は、恵のようにうろたえ始める。


「二年のクラス替えあった時から、ずっと」


 夏海は顔を紅潮させながらも、真っ直ぐ俺を見つめていた。

 

 いつも悪ふざけをしてバカ話をしている時とは別人のような表情。

 

 俺は急に口の渇きが気になって、ごくんとノドを鳴らした。

 

 夏海は一歩、俺の方に踏み出す。


「だから、席が隣になった時、すごく嬉しかったよ」


 照れたように微笑みながら、夏海は俺の手をとった。

 

 さっきよりほんの少し、温かくて汗ばんでいた。


「あ、あの、俺さお前のこと」


 何か言わなくてはと思い、俺は自分の気持ちを必死になって言葉にしようとする。


「あっ、ごめん、待って」


 夏海はあわててそう言うと、制服の胸ポケットから何かのチケットを取り出して俺に強引にそれを握らせた。


「映画。再来週の日曜日、空けといて。お願い」


「えっ? で、でも俺」


「返事は一日、私とつき合ってからにしてほしいの。だって、悠木は学校での私しか知らないでしょ? それだけで判断されたくないから。それとも、悠木、もう彼女いた?」


「いないけど、でも……」


「そんなに難しく考えないでよ。ただで映画見れてラッキーぐらいに思えばいいじゃん。その時、たまたま私が隣にいただけ。ね?」


 夏海はチケットを持った俺の手を両手で強く握って、にっこりと微笑む。でも、その手は微かに震えていた。


 俺は黙ってうなづいた。


「良かった! やっぱ、いいヤツだよね、悠木って。じゃあ、教室戻ろっか?」


 夏海は嬉しそうに笑うと、俺と手をつないだまま歩き出した。


「おい! 夏海、もう手放せよ!」


「いいじゃん、本当は嬉しいんでしょ?」


 いたずらっ子のようなその笑顔は、もういつもの夏海だった。


***


 昼休み。

 

 俺は屋上の給水塔の陰に隠れて、真夏の日差しをやり過ごしつつ昼食を摂っていた。

 

 普段なら教室の自分の席で食べるのだが、隣の夏海が気になってとてもパンがノドを通りそうもない。

 

 それどころか、授業にもまるで身が入らない。

 

 ロクにノートもとっていないし、担当教師が何を言っていたのかもまるで記憶に残っていない。

 

 昨日まで何とも思ってなかった夏海の存在に意識が集中してしまい、何も手につかない状態だ。

 

 夏海の声、仕草、ついにはシャープの音さえも気になってしまう。

 

 一方、夏海はというと、普段と何も変わっていない。

 

 授業中、たまに視線が合うといつものようにニヤリと微笑んでくるし、休み時間は軽いノリでちょっかいを出してくる。

 

 その様子を見ていると、今にも「今朝のあれ? あはは、そんなの冗談に決まってるじゃん」とか言い出しそうだ。

 

 右手を見つめる。まだ夏海に握られた時の感触が残っている気がした。

 

 汗ばみ、震えていた手。

 

 ――ため息ひとつ。

 

 空できーんと音。

 

 大きな入道雲にジェット機が吐き出した飛行機雲が重なる。

 

 俺はその様子を眺めながら口の中のヤキソバパンを紙パックのオレンジジュースで胃に流し込む。

 

 日の光が眩しくて、思わず目を細めた。

 

 ちゅごごごご。

 

 手にした紙パックが空になってへこむ。俺はストローから口を放す。

 

 人影が真夏の空を俺の視界から遮った。


「ゆうきちゃん」


 一瞬、目がくらんで恵の顔がよく見えなかった。


「いっしょして、いい?」


 恵は小さな弁当箱の入った袋を両手で胸に抱えていた。

 

 俺は恵を見上げて、一つ息を吐く。


「ここは暑いぞ」


「うん。平気」


「いや、遠まわしに嫌だと言ってるんだが?」


「えーっ! そんな~っ」


「ちょっと考え事があるんだ。一人にしてくれ」


「大丈夫だよ。すごく静かにしてるから」


「じゃあ、息もするなよ」


「死んじゃうっ! それ死んじゃうからっ!」


 結局、何のかんのと言って、恵は俺の隣にちょこんと座り込むと「いただきまーす」と両手を合わせて弁当を食べ始めた。

 

 突然の来客に思考を中断された俺は黙って、もう一度空に視線を戻す。

 

 飛行機雲は少し薄く細くなっていた。

 

 校庭の方から休むことなくセミの声がする。

 

 俺は顔に噴出してくる汗を手の甲で拭う。

 

 空の紙パックに突き刺さったストローに口をつけても、当然ノドの渇きは潤せない。

 

 大きくへしゃげた紙パックを俺は地面に置いた。

 

 恵が自分の水筒から烏龍茶を紙コップに注いで俺に差し出す。

 

 俺は黙ってそれを受け取った。


「ねえ、ゆうきちゃんってさ」


 俺は烏龍茶を飲みこんで、


「再来週、夏海さんとデートするの?」


 速攻吹き出す。


「うわっ! ゆうきちゃん、どうしたのっ?!」


「なっ、何で、そ、そんな、こと、ごほがほっ! お前知ってんだよっ?!」


 俺は胸を押さえて、咳き込みつつ恵を見る。


 目が合った瞬間、恵は「あっ、あたしまたやっちゃいました」という顔をした。

 

 俺はジト目で恵をにらむ。恵はふるふると首を横に振った。


「お前、あの時デバガメしてたなっ!」


「そっ、そんなことしてないよっ!」


 だらだらと顔じゅうに汗をかきまくる恵。


「だったら、何で再来週とか詳しいことまで知ってるんだよっ?!」


「えーと、風の噂にー」


「ていっっ!」


 すぱこ――ん! と恵の頭を叩く。

 

 割と遠慮なし。

 

 恵は頭を押さえながらすんすん泣きつつも、俺をにらんだ。


「だって、だって、ゆうきちゃんが心配だったんだもんっ!」


「お前に心配されるほど、俺は落ちぶれてない」


「ひどいよー! あたしはちゃんと何でも全部、ゆうきちゃんに相談してるのにっ!」


 むーっと口を尖らせて、恵が俺をにらんだ。


「自分のことくらい、自分で何とかする」


「でも、ゆうきちゃん朝からずっとぼーっとしてたし、ご飯もこんなトコで一人で食べてるし、気になっちゃうよぉ……」


 しゅんと恵が肩を落とす。恵は本気で俺を心配していたようだった。

 

 俺はまた一つ息をついた後、飲みかけの烏龍茶を口にした。

 

 既製品でも『さんばん亭』で使ってるものでもない恵のオリジナル烏龍茶だ。

 

 恵はお茶を淹れるのが趣味で和洋中、色々なお茶に造詣が深い。

 

 これは確か、以前俺が美味いと褒めたお茶だ。

 

 俺は紙コップに残ったお茶を一息で飲み干すと、手をのばして、さっき叩いた恵の頭の上にのせた。


「ゆうきちゃん?」


 恵が俺を見上げる。


「悪い。でも、本当に心配しなくていいから」


「……ゆうきちゃんは夏海さんのこと好きなの?」


「好きか嫌いかの二者択一なら、な」


「……そっか。そうだよねー。いつも、仲いいもんね……」


 恵の箸はずっと止まっていた。

 

 弁当はまだ半分以上残っている。

 

 俺は恵の頭を撫でるのをやめて、勝手にもういっぱいお茶を入れて飲んだ。

 

 水分を取りすぎたせいか、額から汗がやたら流れてきた。

 

 恵はたくさん手付かずのおかずが残った弁当箱のフタを閉めて「よし!」と何故か気合を入れて立ち上がる。

 

「ゆうきちゃん!」


 地面にまだペッタリと座り込んだままの俺の両肩をつかんで、恵はずいっ! と俺に顔を近づける。

 

 恵の髪の匂いがはっきりとわかるくらいの距離だった。


「なっ、何だよ?」


 ちょっと後ずさりしつつ、童顔気味の恵の顔を見る。


「こうなったら、ゆうきちゃんも練習しないと!」


 じわわわわ――っとアブラゼミが鳴いた。


「――はいっ?」


 それに続いて、俺がお間抜けな声をあげる。


「『はいっ?』じゃないよ! ゆうきちゃん、夏海さんが好きなんでしょう?! だったら、次のデートは絶対成功させないとダメでしょ?!」


「はっ、はあ?」


 未だ目が点の俺。


「『はあ?』じゃないよっ! ああっ! もう心配だよ……。ゆうきちゃんいっつもぼーっとして頼りないから……」


 お前にだけは言われたくないです。


「ゆうきちゃん、今までまともに女の子とデートしたことなんてないでしょ? ダメだよ! ぶっつけ本番なんて絶対にボロが出て夏海さんに嫌われちゃうよ!」


 おい、ボロって何だ。


「大丈夫だよっ! ここはあたしにまかせてっ!」


 ずいっ! とさらに顔を近づけてくる恵。もう息までかかってくる。


「あのー。もしもーし、恵さん? 何をそんなにあなたはやる気になって――」


「恋愛経験豊富なあたしが、ちゃんとゆうきちゃんの恋を最後までプロデュースしてあげるからっ!」


 確かそれは全部、自己完結的悲恋で終わったんじゃないのか?


「お前、俺のことより自分のことをもっと――」


「問答無用だよっ! 来週、あたしと練習するよっ!」


 ずずいっ! ともはやファースト・キスを奪われそうな位置まで恵の顔が迫ってくる。

 

 目が完全に据わっていらっしゃった。

 

 どうしてこいつは自分以外のことになるとこうも行動力を発揮するのか。


「――ゆうきちゃん、お返事は?」


「はっ、はぃっ!!」


 押し切られる。


 じわわわわわわわわわわわわ――――――――っ!


 俺のため息をアブラゼミの鳴き声がかき消した。

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