第7話 「つき合って欲しいの」

 朝が来た。

 

 俺はベッドに寝転んだまま、枕元でけたたましく鳴り響く目覚ましを速攻停止させる。と、入れ替わりに今度はセミの鳴き声が耳の中に響く。

 

 薄いカーテンを易々と突破して差し込んでくる朝日はすでに凶悪なくらい眩しい。


 朝から夏全開。


 思わずエアコンのスイッチを入れて、二度寝したくなる。


「お兄ちゃん、起きた? あっ、起きてる。おはよー」


 ドアを開けて、妹の春奈が俺の部屋の中をのぞきこむ。


「暑い」


 そう言って、俺はげんなりとした顔を春奈に向けた。


「お兄ちゃん、朝からさわやかさがカケラもないよ」


「お前にさわやかな笑顔を見せてもしょうがないだろ」


 俺はぼさぼさになった頭をかきながら、寝巻き姿のまま春奈の横を通り過ぎて部屋から廊下に出た。


「あー、お兄ちゃんもうちょっとちゃんとしたほうが……まぁ、いっか」


 後で意味不明のことをのたまっている妹をその場に残して、俺は大アクビをしながら階段を下りて台所に向う。

 

 いつものコーヒーの匂いが鼻腔をくすぐり、ジャーと言う油がフライパンの上で弾ける音がした。


「おは……ふあっ……」


 すだれをくぐって、アクビまじりの挨拶をする。


「あら、おはよう」


 ガス台の前で朝飯を作っているおふくろが俺の方を振り向く。


「おい、出水お前、もうちょっとしゃんとせんか」


 すでにワイシャツにネクタイをビシッと身につけた親父が、朝刊をずらして俺を見た。


「ふあっ、おふぁよう。ひゅうきひゃん!(あっ、おはよう。ゆうきちゃん!)」


 ストロベリージャムをたっぷりと塗ったトーストを頬張りながら、恵が俺にニッコリと微笑んだ。俺は水道で顔を洗った後、おふくろの差し出したタオルで顔を拭いながら、いつもの自分の席についた。


「ゆうきちゃんはトースト、バター? ジャム?」


 隣の席の恵が焼きあがったばかりのトーストを持って俺に訊ねる。


「あっ、母さん、俺、今日は目玉焼きいらない」


「また? ダメよ。ちゃんと朝は食べないと」


「そうだよ。ゆうきちゃん、無理してでも食べないと」


「しょうがないわね、じゃあ春奈の分に……あっ、春奈はまだ来ないの?」


「さっき俺の部屋に来てた。もう来るって」


「ゆうきちゃん、春奈ちゃんに毎朝起こしてもらってるの?」


「お腹減ったー! お母さん、ご飯、ご飯!」


「おうっ、春奈来たか。お前に俺の目玉焼きやる。めちゃくちゃ感謝しろ」


「どうせ、お兄ちゃんは食欲ないだけでしょ――!」


「あっ、あの! ゆうきちゃん、そろそろあたし限界っ! ってか、ツッこんでよ! ねぇ、あたしの存在をスルーするのはよそうよ! お願いしますっ!」


 恵はそう言うと、俺の寝巻きの袖を掴んで、何度も引っ張った。


「いや、すまん夢かと思ってたんで」


 涙目で俺を見上げている恵を見た。


「ううっ、勝手に夢にしないでよ~」


「夢じゃなかったら、何でお前が朝からウチにいるんだよっ! お前ん家の方がずっと学校に近いだろっ!」


「そっ、そっ、それは……」


 頬を上気させて、恵があわあわと焦りだす。


 自分でツッこめと言った割りには使えない相方だった。


「それは?」


「えっ、えーと……つまり……」


「つまり?」


「あっ、ゆうきちゃんトースト、バター塗っちゃったけどいいよね?」


「ごまかすなっ!」


***


 結局、恵は何故にわざわざ遠回りして、ウチに寄ったのか最後まで答えなかった。

 

 どうせ、また何かの『シミュレーション』にでも付き合わせるつもりなんだろう。

 

 例えば先日やった『告白シミュレーション』を再トライとか――。


 勘弁してくれ。


 俺は顔に無数の縦線を入れて足取りも重く学校に続く坂道を上る。

 

 同じ学校に向う周りの学生達も暑気にあてられて、半分死んだようになっていた。

 

 シャツの襟元をバタつかせて風を体に送る男子生徒、汗で額に張り付いた前髪を引っ張り剥がす女子生徒。

 

 みんな俺と同じようになめんなこの野郎という顔をしている。

 

 しかし、そんな殺伐とした雰囲気の中で恵だけは俺の隣で鼻歌混じりに元気に坂を上っていた。

 

 無駄にカバンを大きく前後に揺らし、今にもスキップでもしそうな勢いでぴょこぴょこ飛び跳ねるように歩く。

 

 それに合わせてクセのないセミロングの髪が朝日の光を受けながら舞っていた。

 

 いったい何がそんなに嬉しいのか。つーか、そばではしゃぐな、恥ずかしい。


「ゆうきちゃん、どうしたの? 何だかどんよりしてるけど?」


 俺の非難の視線に気づいたのか、恵が髪を押さえながら俺を見上げた。


「このクソ暑いのに元気なお前が異常なんだよ。いったい何はしゃいでんだ?」


 俺がそう言うと、ただでさえ、暑さで赤くなっている恵の首から上がボッ! と火がついたように深紅に染まる。


「ないない! はっ、はしゃいでなんかないよ!」


 恵はぶんぶんと髪を大きく真横に揺らして、首を横に振る。


「お前、体力ないんだから大人しく歩け。ぶっ倒れても知らんぞ」


「わっ、わかったよぉ」


 恵はいつものペースで歩き始める。

 

 しかし、動揺しているのか右手と右足、左手と左足がセットで前に出ていた。ぎくしゃくぎくしゃく。


 出来の悪いロボット並みの歩行。


 結果としてさっきより恥ずかしくなってしまった。


「悠木」


 恥ずかしい相方と校門をくぐると、ふいに後から声をかけられる。

 

 振り向くと、両腕を胸の前に組んだ夏海が校門にもたれて立っていた。


「おはよ。ひどいな二人とも。校門くぐった時、気がついてよ」


 言葉とは裏腹に、夏海はふっと目を細めた。涼しげな印象をうける微笑。さわやかな笑顔とはこういうのを言うのか。


「おはよう。夏海さん」


 恵が深々とバカ丁寧なくらいに頭を下げる。


「うっす。悪い。あんま暑いんで注意力ゼロだった」


 恵とは正反対に、テキトーな挨拶をする俺。


「あのさ、悠木、ちょっといい?」


 夏海がポリポリと頬をかきながら俺を見た。


「何?」


「ちょっと用事があるのよ」


 そう言うと、夏海は俺を手招きするように手をひらひらと振りながら昇降口とは反対の方に足を向ける。


「おい、そんなの教室でいいじゃ」


「あーっ、もう! しのごの言わずに、黙ってついて来なさいよっ!」


 夏海はつかつかと校門の前で立っていた俺の所まで戻ってくると、俺の手を引っ張って強引に校舎裏の方に連れて行こうとした。

 

 ひんやりとして柔らかな夏海の手の感触。

 

 俺は暑さとは別のものに頬を少し上気させてつつ、夏海の言うがままに足を運んでいった。


 校舎裏に来ると、夏海は何故か鋭い目をして辺りを数回見渡した。

 

 渡り廊下に三人連れの女子生徒が歩いている。

 

 夏海は眉根を寄せて、その三人をじっと見ていた。

 

 そばにある常緑樹にとまったセミが合唱を奏でている。

 

 風が吹き、地面に映し出された木漏れ日が揺れる。

 

 三人連れの女生徒の笑い声が小さくなって、やがて消えていく。

 

 風が止んで、セミが一休みした。

 

 しんとした静けさが一瞬だけ顔をのぞかせる。

 

 夏海は両手の拳を握って、俺の方を見た。

 

 目が少しだけ潤んでいた。


「つき合って欲しいの」

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