第5話 幼馴染みの姉からメールが届いたんだが

 放課後、ちょうど校門を出た瞬間、俺の携帯にメールが届いた。


 title:緊急指令

 本文:天の岩戸を開けてくれ。相田聖あいだひじり


 恵の実家『さんばん亭』は安い、早い、そこそこ美味いを信条にした大衆食堂だ。

 

 築四十年はゆうに超える古き良き昭和の時代の木造日本家屋を筆頭に、埃のかぶったサンプルケース、ガムテープで補修したまま何年も放置してある窓ガラス、そして極めつけはペンキがはげかけて『さんば』までしか遠目には読めない看板等々が目印となっている地域密着型の極々こじんまりとした店であり――ぶっちゃけ暖簾が出てなければツブれているようにしか見えない。

 

 それが初めてこの店を見た人々の大方の感想ではないかと思う。

 

 ちなみに、『さんばん亭』の名前の由来は故人である恵の両親が「一番とか二番じゃなくていいから。三番くらいがちょうどいいから」と言って『三番手』をもじって『さんばん亭』にしたとのこと。

 

 しかし、恵はともかく気性の激しい現店主であり、恵の実姉でもある聖さんは大いにこの覇気のない名前が不満であるのだが、それでも故人である両親の意志を尊重して今日も元気に『さんばん亭』と書かれた暖簾を夕方六時に玄関に掲げる。


「おっす。ゆうき」


「どうもです。聖さん」


 三角巾をかぶった聖さんがあげたばかりの暖簾の埃を片手ではたきながら、俺を見た。


「早速で悪いんだが、ウチのバカ妹を引っ張りだしてくれ。あんなんでも貴重な労働力だからな」


「了解です」


「悪いな」


「もともと来るつもりでしたから気にしないでください」


「晩飯おごるから食ってけ」


「ども」


 俺がすすけた暖簾をくぐって店の中に入ると、そこはもうすでにちょっとしたお祭り騒ぎだった。

 

 胃袋なんて弾けてしまえと言わんばかりにどんぶり飯をかっくらうガタイのいいばりばり体育会系のお兄さん方。

 

 ビールを飲みつつ神棚のすぐ隣に設置された十四インチテレビのナイター中継に一喜一憂する日雇い労働者の方々等々。

 

 気の弱い男や若い女性にはちょっと足を踏み入れられない世界だ。


「てめぇら、開店前から食わしてやってるんだから、もっと静かに食えっ! つーか、もっと上品にしやがれっ!」


 しかし、この世界のマスターは若干二十歳の聖さんなのだが。


 俺はテーブルとテーブルの間の狭い空間を通り抜けて、建付けの悪い曇りガラスの引き戸を力任せに開いた。

 

 すぐ右に見えるこれまた狭い階段をのぼって左側が恵の部屋だ。ぎしぎしと嫌な音を立てる階段を駆け上って、俺は恵の部屋の前に立った。


「け――い!」


 障子の向こうに呼びかける。


 予想通り返事はなかった。


「入るぞ!」


 勝手知ったる幼馴染の部屋。俺は障子を主人の了承も得ずに両側にばんっ! と開け放つ。次の瞬間、恵の使っているシャンプーとかリンスの匂いがして、可愛らしいぬいぐるみやら鉢植えのラベンダーやらが視界に飛び込んでくる。ロール・プレイング・ゲームの酒場のような様相を呈している階下とはまるで別世界だ。

 

 しかし、肝心の主の姿はなかった。――が、これも予想の範囲内だったりする。


 俺はどすどすと足音をたてて、押入れの前に立つ。


「恵」


 ふすまに向って語りかけた。


「あう」


 ふすまが答える。


「このクソ暑いのに、何こんなトコに立てこもってるんだ? お前は?」


「ううっ、ほっといてよ~」


「聖さんが店手伝えってよ」


「有休」


「給料もらってたのか?」


「ううん、有休扱いじゃないとおこづかい減らされるの」


 結構不憫なヤツだった。


「とにかくお前には俺も色々と聞きたいことがある。武器を捨てて出てこい」


 俺はそう言うと、ふすまを開けようとする。


「うう~っ。お説教なんか聞きたくないよ~っ」


 押入れの内側から、必死で恵はふすまを押さえていた。

 

 たぶん脚力も投入し全力をもって我が軍の侵攻を阻止しようとしているのだろう。

 

 がたがたと音を立てながらふすまが数センチ開いたり閉じたりを繰り返す。

 

 均衡状態。

 

 力が互角ならばあとは精神力がモノを言う。

 

 頑張れ、俺。

 

 ――つーか、いいかげんにしてくれ。


「いい子だから、手間をかけさせるなっ!」


「ううっ、やだやだ。ゆうきちゃん怒ってるぽいもん!」


「怒ってないっ! 割と怒ってないから開けてみろ!」


「割とじゃやだよっ!」


 ちっとも話が進まなかった。


「本気だすぞっ! この野郎っ!」


 俺はかっと目を見開いて、ふすまをぎりぎりと少しずつだが確実にこじ開けていく。


「ああっ! だめだめっ! ゆうきちゃん、やめて――っ! いやああぁぁっ!」


 事情知らないヤツが聞いたら、思いっきり誤解されそうな声をあげる恵。


「だめだったらっ! あっ?! はずれ……」


 恵の叫び声にがたん! という異音が重なった。


「はいっ?」


 俺がすっとんきょうな声を上げた時、もう眼前にはふすまが距離数ミリのところまで迫ってきていた。


「ぐはっっっっ?!」


 顔面に相撲取りの張り手をくらったような衝撃を受けた後、俺はそのままふすまに押し倒される。後頭部と畳の間で鈍い音がした。


「ゆ、ゆうきちゃ――んっ?!」


「おい、お前ら、何やってるんだ? エッチっぽい声聞こえてきたし――って、恵、出たか」


「おっ、お姉ちゃん! 大変だよっ! ゆうきちゃんがふすまにつぶされて圧死しちゃったよ~っ!」


「尊い犠牲だな。南無」


 いや、死んでないんで。


 俺はふすまの下、薄れゆく意識の中で相田姉妹にツッこんでいた。

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