第4話 うそつき
授業終了のチャイムが聞こえて目が覚めた。
恵の『告白シミュレーション』に付き合った次の日、俺は教師の催眠攻撃に敗退して三時限目の授業のほぼ半分を夢の中で聞いていた。
目をこすりながら起き上がると、ノートは汗でふにゃふにゃになり、その上にこれは象形文字かと見まごうばかりの奇妙な記号が並んでいた。
「悠木、眠そうだね」
隣の席の夏海が下敷きで自分に風を送りながら、俺に話しかけてきた。
「眠い。マジ眠い」
「あー昨日は寝苦しかったからねー」
「そーじゃないけど、色々考え事してたら眠れなかった」
「何か悩み事? なになに? お姉さんに話してごらん!!」
興味津々の目をした夏海が俺の席の方にぐっと身を乗りだしてきた。
「誰がお姉さんだ。同学年だろうが」
しっしとノラ犬を追い払うようなジェスチャーで、ゴシップ好きのクラスメイトを視界の外に追いやる俺。
「ふーんだ。私の方が二ヶ月年上なのっ! 悠木なんて数学で落第してどーせまた二年生だよっ! そうしたら完全に私が先輩だからね!」
頬を膨らませて夏海が俺をにらんだ。
「何で俺が数学で落第すんだよ?」
「あっ、さっきの授業で小テストあって、あんた寝てたから0点」
「起こせよっ! そういう時はっ!」
「そんで、先生が後で職員室に来るようにって♪」
「ノ――ッ!」
俺は両手で頭を抱えて、机につっぷした。
「ゆうきちゃん、どしたの? どっか具合でも悪いの?」
己の身に降りかかった不幸にすっかり意気消沈していた俺のところに『委員長』と書かれた腕章をつけた恵がやって来る。
「……別に何でもない」
俺は右頬を机にくっつけたまま、そう答えた。
「本当に? 気分悪いなら保健室行こうよ。あたしいっしょに行くから」
世話好きな恵が俺の額に手をぺとっと当てる。熱を測ってるらしい。
「相田さん、平気平気。こいつ昨日はベッドの下のご本で頑張りすぎただけだから」
夏海がとんでもないチャチャを入れる。
「えっ? 本で頑張る?」
「お前は恵の前でそういうことを言うなっ!」
俺は勢いよく立ち上がると、夏海の額にめがけて連続で水平チョップを繰り出す。
「甘いわ!」
しかし、運動神経のいい夏海は俺の攻撃を全て古語辞典でガードした。
「ちっ!」
「ふっ」
お互い、間合いをとってにらみ合う。
無意味に緊張した空気が俺達の間に流れた。
「ゆうきちゃんと夏海さんって、二年になってからの知り合いなのに仲いいんだね」
恵が俺と夏海の間でぽつりとつぶやいた。
「あはははは、俺達仲いいんだってさ、長谷川さん」
「うふふふふ、光栄ですわ。悠木くん」
俺達は乾いた声で笑った。たぶんこいつは俺にとって、強敵と書いて親友と呼ぶ仲なのかもしれない。
「恵! 次、移動教室だからもう行かないと!」
教室の出口あたりに立った女子数人の声が俺達の笑い声とかぶる。
「あっ、うん、でも……」
恵は女子の団体と俺を交互に見て、あう~とうなった。
「ん? 恵、俺に用だったのか?」
「あっ、あのね、今日――」
そこまで言いかけて、恵は急に口をつぐむ。
「ゴメンね。やっぱいい」
恵は素早く踵を返すと、俺と夏海に背を向けて駆け出した。
「あっ、おい恵」
俺は恵の小さな背中に声を投げる。
「次、音楽室だから、ゆうきちゃんと夏海さんも早くね!」
俺の方を見ずに恵はそういい残して、教室を去った。
「言いかけてやめられたら気になる……って、あっ、痛っ?!」
「ほれほれ、私達も行こうよ。悠木」
夏海が机から取り出した縦笛で俺の背中をつつく。
「わーったから、武器で刺すな!」
俺は夏海とふざけあいながら、教室を出た。
***
購買部における苛烈なパン争奪戦を何とか勝ち抜いた俺は、戦利品であるカツサンドとヤキソバパンを持って意気揚々と教室に帰還した。
弁当組のヤツらはすでに食べ終わっている者がほとんどで、各々が仲の良いもの同士で固まって談笑しながら昼のひと時を楽しんでいた。
実家が定食屋を営む恵も弁当組のメンバーであり、いつもならこの時間帯はクラスの中でも大人しめの女子達で構成されている輪の中にいるはずだが――やはり今日はその中に姿はない。
覚悟を決めていったようだ。
きっと今度はうまくいくだろう。
頑張れ。
俺は教室の中を一通り見渡して恵がいないことを確認すると、自分の席について昼食を摂り始めた。
「森、森、沼、島をタップして、闇の申し子に不敗の傭兵っ!」
「オーロラの砦でガードッ!」
隣の席では夏海を中心としたクラスの中でもやかましめの女子で構成されたグループがデカイ声を上げながら何かのカードゲームをやっていた。
「ううっ、もうライフがほとんどない……あっ、悠木、いいパン買えた?」
口にパンが入っていたので、俺は無言でうなづいた。
「それからさ、相田さんが早退したそうたい」
「むぐっ!?」
夏海の意外な言葉に、パンが気管支に入りかかる。
「あっ、そんなに面白かった?」
勘違いした夏海が嬉しそうに微笑んだ。俺は何とかパンを飲み込んで口の中を空にすると席を立って、夏海に早口でまくしたてた。
「夏海! 何で恵、早退したんだよっ!?」
「えっ? さあ、気分が悪いって言ってたけど……そんなこと詳しく詮索なんかしないよ。女の子なんだからさ、ねえ?」
夏海の言葉に周囲にいた他の女子達もこくこくとうなづいた。
彼女達は事情を知らないのだから、当然の反応だった。
俺は黙って席に戻ると、カツサンドの残りを無理矢理口に放り込んで封を切っていないヤキソバパンは机の中にしまった。租借しながら、右ナナメ三つ前の恵の席を眺める。
クラスメイト達の笑い声で満ちた教室の中で、主人がいなくなった恵の席はポツンと一人で取り残された小さな子供のように見える。
うん、頑張る。
「うそつき」
俺はカツサンドを飲み込んだ後、誰にも聞こえないような小さな声でそう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます