第3話 ちゅごごごごっ
俺の小学校からの幼馴染である
別に幼馴染だからと言って、贔屓目で見ているわけではなくて困った事にこれは紛れもない事実なのだ。
小学校の時から恵のところに返ってくる答案はいつも百だ九十だの景気の良い数字が当たり前のように赤ペンで書き込まれていたし、中学にあがって成績順位が貼り出されるようになってからは首位に『相田恵』以外の名前があった記憶が俺にはない。
容姿については多少童顔気味ではあるものの、繁華街に行けば必ずといっていいほど芸能プロダクションやモデルクラブのスカウトマンの名刺をもらって帰ってきてしまうくらいで、その枚数はそろそろ三桁に突入しようとしている。
大概、そこまで恵まれてしまうと性格はヒネてしまうのが世の常であるが、恵は少しマズイんじゃないかと思うくらい素直なヤツである。
以前、美術の授業で恵をスケッチしていた時、冗談で「芸術のために脱いでくれ」と言ったら顔を真っ赤にして「み、水着じゃダメ?」と言ってスクール水着に着替えに行きそうになったのを慌てて止めた事件は今も記憶に新しい(ちなみにその後、俺はクラスの男子どもに何故止めたと激しい責め苦を受けた)。
そんなこんなでこの世に敵などもはやなく、幸せいっぱい、夢いっぱいな将来が確定しているかに見える我が幼馴染であるが、やはり誰の人生も甘いばかりではないようだ。
神は恵にもちゃんと苦難の道――欠点を用意していた。
恵は極端なアガリ症なのだ。
それもハンパじゃない、『超』がつくくらいの特上品だ。
恵のアガリ症を俺が最初に確認したのは、忘れもしない小学一年の二学期初日。その日はクラス委員の選挙が行われ、クラス全員の支持をもって恵がその座につくことになった。
自分からは決して目立とうとはしなかったために一学期はこんじまりと図書係りをしていた恵であったが、たぐいまれな知力、容姿は一学期の間にクラス全員が認めるところとなっていたのだ。
先生に名前を呼ばれて教壇にあがった恵は、俺達クラスメイトにペコリと頭を下げてニッコリと微笑んだ。
普段から一緒に遊んでいた俺でさえ、一瞬胸が高鳴るくらいの可愛らしい笑顔だった。
みんなその眩しい笑顔に魅了されつつ、恵の言葉を待った。
待った。
待ち続けた。
俺はその時、時が止まったんじゃないかと思った。
たぶん、他のクラスメイト達も同じだったと思う。
笑顔のまま俺達の方を見て固まる恵。
教室の中がざわめき始める。
「恵ちゃん? どうしたの?」
心配した担任の若い女教師が恵のそばによって、肩にふれると恵は笑顔を浮かべたまま教壇から転げ落ちた。
ごっ!
という鈍い音をたてて、顔面から床にダイブした恵はやはり笑顔のまま額から大量の血を流して失神していた。
教室は一気にパニックに陥る。
恵の姿を見て悲鳴をあげる女教師、泣き出す女子、無意味に騒ぎ立てる男子。
ここぞとばかりに火災報知器のボタンを押すヤツなんかもいた。
結局、俺が隣のクラスに駆け込んでそこの教師を連れてくるまでそのカオスは収まらなかった。
下校時、俺は恵の様子を見るために保健室まで足を運んだ。
保健の先生が不在だったので勝手に扉を開けて、中に入るといきなり「ゆうきちゃん」と呼ぶ声。
頭に包帯を巻いた恵が白いベッドの上でションボリと座っていた。俺は恵にいったいどうしたのかと訊ねる。
恵はうつむきながら真っ赤になって、小さな声で答えた。
「えっと……気絶しちゃったみたい……」
***
ここ一番という時に、極度にアガってしまう。
これは思った以上にやっかいな欠点だ。
何故なら、ここ一番という所をいかに上手くクリアーできるかどうかが、その人間のその後の人生に多大な影響を及ぼすからだ。
入学試験、クラブの発表会、入社試験、恋愛、結婚と人生は重要な選抜で構成されている。
その数々のシーンにおいてことごとく実力を発揮できず敗退していては、実際にはどんなにすぐれた能力を持とうとその者の人生は暗いものとなるであろう。
齢六歳にしてそのことに気がついていた聡明な恵はその欠点を克服するために一つの結論を出した。
『練習するしかないよ!』
いかにも生真面目な恵が出しそうな結論であるが、俺は恵の口からそのことを聞いた時、子供ながらに気丈にも自らの過酷な運命に立ち向かおうとする恵の姿に少し感動していた。
感動しただけならよかったのだが、感動ついでに余計な一言を発してしまった。
「俺でよかったら、協力してやるよ」
「本当!? ありがとう! ゆうきちゃん!」
――これが間違いだった。
その後、俺はことあるごとに、恵の様々な練習に付き合わされることになる。
生徒会役員の選挙演説、ブラスバンド部の演奏会、入試の面接、その他もろもろ。
クソ真面目でしかも本格嗜好の恵はできうる限り、本番に近い形でトコトン納得するまでそれを反復練習する。
結果として、俺もトコトンつき合わされるのだ。
そして、恵の練習する課題の中で突発イベント的に度々発生するのが『告白シミュレーション』だった。
アガリ症のくせに何故か惚れっぽい恵は部活の先輩だ、教育実習の先生だと年上の優しい系の男が現れるとすぐにハートを天使に打ち抜かれて、毎度「これが最後の恋だからっ!」とわめいては俺を告白の練習台に使用する。
ちなみに今回が二十三回目の恵の『最後の恋』。
これまでの戦歴は二十二戦中二十二敗。結局、恵は一度として本当に告白することはできなかった。
正直なところ、恵ほどの容姿があればどんなにアガリまくっても好きだという意向さえ相手に伝わればかなりの高確率で想いは成就するのではないかと俺は予想するが、伝える前にくじけてしまうのではさすがにどうにもならない。
正直、練習とかそういう問題ではなくて、しのごの言わずにお前、さっさと告って来いというのが俺の中の結論であり毎回、無駄なことに付き合わされるこっちの身にもなりやがれこの野郎、だいたい今日俺はバイトが。
「はい、ゆうきちゃん」
俺の目の前にことんと音を立てて、ドーナッツが大量にのったトレイが置かれた。
思考を中断された俺はジト目で隣に座った恵を見る。
早くも冬眠前のリスのように頬袋いっぱいにドーナッツをつめこんだ恵が「何?」という顔をする。
口元には小さなドーナッツのカケラと砂糖粒が大量に付着。
そんな中身は小学校低学年な恵の様子に怒りも霧散してしまい、俺は「別に何でもねーよ」とアイコンタクトで答えた後、ちゅごごごごとLサイズのコーラを飲んだ。
恵はそんな俺を見て小首をかしげた後、二個目のドーナッツに取りかかった。「こちらでお召し上がりですかー?」バイトのお姉さんの声がやたら大きく店内に響く。
「で、今回はうまくいきそうなのか?」
俺はテーブルに頬杖ついたまま、店内に流れる有線放送に耳を傾けつつ恵に訊ねた。
「うーん……どうかな」
さっきまでの元気がウソのようにしぼみ、恵は頬を染めてうつむく。
「お前さ、結局今まで好きだって一度も言ってないだろ?」
「う、うん」
「今度はちゃんと言えよ」
「でも、怖いから」
「お前なら、大丈夫だって」
「そうかな? 自信ないよ」
こいつは自分の価値をまるでわかってない。
「お前がそんな台詞を言うのか。他の女子に刺されても知らんぞ」
「ゆうきちゃんはあたしを過大評価しすぎだよ」
恵はそう言うと、自分の皿から一つドーナッツを俺の皿に移した。
「でも、ありがとう。コレあげるね」
にこっと笑う。
不意打ちの恵の笑顔。
それは小学校の時から俺が見てきた、恵がごく親しい者にだけ向ける表情だった。
俺のドーナッツを口に運ぶ手が一瞬止まった。
「どしたの? ゆうきちゃん」
恵の声に我に帰る。俺は恵の問いには答えずにドーナッツにかじりついて租借した。
恵はまたひとつ小首を傾げる。
「いつ、告るんだ?」
恵の方を見ずに、訊ねる。
「たぶん、明日の昼休み」
「頑張れ」
「うん、頑張る」
――ちゅごごごごっ
俺はため息をつく代わりにもう一度わざと大きく音を立てて、すでにただの色つき砂糖水と化していたコーラを飲み干した。
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