邂逅
いつのまにかあたりは霧につつまれて、炎の明かりをぼやかしていた。視線のさきで、それはあてどなくゆれながら、あたしを遠くへつれていった。木の根に足をひっかけてころんでも、息をきらしてたちどまっても、炎のはこび手はやさしく待ってくれていて、でも、けっしてあたしを助けおこそうとはしなかった。
しだいに霧がこくなって、ミルク色の空気はおだやかな冷たさをたたえてあたしをとりまいた。前へのばした手さえおぼろげで、しかし、夕焼け色の炎だけは変わらない明るさでゆれている。あいかわらず、生きものがいっぺんにだまりこくったような静けさの中、霧へとけだした死の気配が、あたしをかどわかそうとあやしくおどり、指のさきをぴりぴりとしびれさせた。
だんだんと、木々のにおいがうすらいでいくのがわかった。かわって、すきとおった水のにおいが鼻をついた。雪とも氷とも、まして土や落ち葉といっしょになったそれらともちがう、どこまでも清らかで、まじりけのないにおいだった。もちろん、ぶあつい霧にさえぎられているのもある。けれど、それ以上のなにかが、このさきにあるとはっきりしていた。
景色が、がらりとかわった。
木立は遠のき、ひらけた世界にはまっ白な雪が横たわっている。わずかに耳をうつのは、水音。銀のあぶくとさざなみをたてて、ちいさな泉がわきだしていた。
なんだか、なつかしい気がした。あたしをみちびいた炎は、気づけばなくなっている。でも、もはやかまわなかった。
そこに、おとうさんがいる。
空はすっかり夜の色をして、泉の中へとろけるような闇をなげかけている。みなもでは、あぶくと、波と、星の光とがいっしょになってまたたき、砂粒みたいな光を散らしていた。風は雪をさらって、空の黒と雪の白とをないまぜにする。けれどその中に、声をあげるものはなにひとつない。
生きものと逆さまの景色。それは息をするのも忘れてしまうほどにきれいで、色と音とをうしなって、うっとりするような死をにじませていた。
「おとうさん」
呼びかける。返事はない。よわよわしいささやきは、みっともなくかすれた。
冷たい息をすいこんで、あたしはたおれる。体のあちこちが重く、冷たく凍りついていって、あたしの中にあるあたしが、どんどんちいさくなるのがわかった。
雪が、のしかかってくる。眠気と冷たさがはいあがってくる。夜の中へあたしがとけだしていく。それが、とても幸せなことに思えた。
灰色の世界で、やさしい声を聞いた気がした。
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