歓待
手紙に書いてあった場所は、聞いたこともないような田舎だった。
片手で数えられるくらいしか乗ったことのない汽車で、数時間。それから延々と歩かされる羽目になった。勿論、切符は向こう持ちだ。荷物は郵送してくれと、丁寧に送り状まで付けてあった。その上、小切手まで同封する太っ腹だ。何か騙されているのでは、しかし自分を騙したところで得になるとも思えない、と散々考えたが、これまた滅多に入らない銀行で額面通りの金を受け取り、指示通りに電報を入れてから、夢でも見ている気分で帰路についた。珍しく、その日の仕事は休んだ。
そして、ようやく思い出した。従妹だか又従妹だか知らないが、差出人は確かに自分の親類だ。まだ若い頃に一度だけ会ったことがある。何でも、事業を成功させてまとまった財産を手に入れたものの、持病が酷くなったということで、引退して田舎暮らしを始めるのだと言っていた。確か、そう年は離れていなかった。それで色々と合点がいった。
その屋敷は、だだっ広い野原を下った先にあった。二階建て、左右対称の造りで、古風な煉瓦の塀にぐるりと囲われていた。漆喰と、ところどころに煉瓦の配された外観は素朴で質素そのもの、いかにも田舎の邸宅といった体だったが、都会のそれと比べても時代遅れということはなく、庭の植え込みはまだ青々しかった。隠居するにあたって、新しく作らせたのだろう。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
出迎えたのは、壮年の女性だった。
上下で揃いになった真っ黒なドレススカート、その上から大きなエプロンを垂らしている。白髪の目立つ髪を一分の隙もなく結い上げて、飾りとも実用ともつかない、小ぶりな帽子を被っている。視線は鋭く、お辞儀が様になっている。自分が見てきたものともまた違う、働く女性の姿だ。
「ご連絡頂き、お待ちしておりました。このような田舎で、ご説明しなければならないことも多いところ恐縮ですが、まずはお休みください。荷物はまだ届いておりませんが……」
「いや、大丈夫だ。送っていない。殆どが古かったから、処分してきた。荷物はここにある分で全てだ」
少し緊張しながら言うと、メイドとして働いている風の女性は驚いた様子で、しかし、コートを預かる手は止めなかった。
「……そうですか。では、お部屋までご案内します」
聞きたいこと、確かめたいことは沢山あったが、今は敢えて尋ねなかった。メイドの余りに折り目正しい所作に気圧されたのもあるが、単純に疲れていて、早く休みたかった。
外観と同じく、内装もさほど派手なところはないものの、丁寧な造りが素人目にも察せられた。足が沈む毛足の長い絨毯、ところどころに掛かった絵、アンティークのランプ。埃ひとつないのは、先導する彼女の仕事によるものだろう。
寝室は二階にあった。天蓋付きのベッドというのを、初めて見た。
「……本当にここで寝るのか?」
初めこそ、貧乏ながらも都会暮らしなのだから、堂々としていなければならないと虚栄心があったが、今やそんなしみったれたことを考えても仕方ないと悟っていた。
「旦那様の寝室でございます」
ふ、と上品に微笑んで、老メイドは言った。
「旦那様も越してこられた日、緊張して寝られないのではとご心配なさっていました。結局は、よくお休みになられていましたから、大丈夫ですよ」
遠くを見る目。はっとして、少しばかり罪悪感が募った。
「……悪い、最初に言うべきことを」
「いえ、お気になさらず。旦那様と交友がなかったことは、承知しています。だからこそ、旦那様はあなたをお選びになったのです」
返答を考える間もなく、老メイドは続けた。
「では、失礼致します。ご入用であれば、ベルをお引きください」
言い残して、すぐに下がっていった。正直、有難かった。少しひとりにならないと、息が詰まりそうだった。
コートを脱ごうとして、もうメイドが持っていったことを思い出した。ベッドに腰掛けると、思いの外沈み込むので、体制を崩すところだった。当たり前だが、どうにも勝手が違って困惑する。恐る恐る横になって、息をついた。
改めて、事の顛末を整理する。
従妹だか又従妹だか知らない親類が、亡くなった。迷子の娘を探しに森へ入って、持病を悪化させてしまったのだそうだ。
老メイドが言うところの旦那様はあらかじめ遺言を用意していたそうで、それに基づいて種々の手続きが進められた。自分に送られて来た手紙も、生前に彼がしたためたものだ。妻に先立たれていた彼は、どういう風の吹き回しか、娘の後見人として自分を指名したらしい。本意はもはやわからないが、仕事絡みの知り合いには頼みづらく、かといってこちらでの近所づきあいも殆どなく、唯ひとりの血縁である自分が選ばれたのだという。
自分に頼まれたのは、財産管理と娘の養育。複雑な判断を要する投機やコレクションは既に適切な処分をしたとのことで、前者はあまり心配しなくていいと書いてあった。しかし、問題は後者だ。
年頃の娘をどう扱えばいいか、まるで見当もつかなかった。一生を独身で過ごすつもりでいて、子の育て方など想像したこともない。まして、父親を亡くしたばかりの、まだ九歳だという少女に、どう接していいかなど分かるはずもなかった。
考えるうち、とろとろと眠気が忍び寄ってきた。柔らかい寝床の威力は、思った以上に暴力的だった。
不安はある。分からないことも多くある。しかし、新しい生活へ挑戦しなければならない現状は、存外悪い気はしなかった。いつ終わるとも知れない倦怠と退屈の中で過ごすよりは、随分とマシなことに思える。
緊張は、していたはずだ。しかし、導かれるように眠りへと落ちていった。
メイドの言葉を思い出しながら、確かに大丈夫だったなと、ほくそ笑んだ。
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