黎明
いつもとちがう光にまぶたをなでられて、とろけるような目覚めをむかえた。
寝ぼけまなこをこすって、はっとする。窓にはりついて外を見れば、真珠のようにまっ白な地面が、ぼやけた朝日を静かに照らしだしていた。
雪だ。こぼしたため息が、凍りついたように白んだ。
着がえて屋敷を飛びだすと、そこは銀世界だった。みがいた鏡みたいに、雪化粧はひとつもくすんだところがなくて、おろしたてのシーツとか、なにも描いていないカンバスを思わせた。手を広げてくるりと回れば、しみるような冷たさが心地よい。見わたすかぎりの景色をひとりじめしていることが、むしょうにわくわくした。
さくり、と雪をふみしめて、歩いていく。足あとをのこしていくことが目あたらしくて、でも、少しだけいけないことをした気持ちになる。ふだんの芝生なら、いくらふみつけても明日には元どおりになっているけれど、草をひっこぬいたら戻らないみたいに、お気に入りの服に泥をはねさせるみたいに、ふりつもった雪を傷つけていくのは、よくないことだと思う。
けれど、だからこそ、どきどきする。
思いきりさけんだ声は、果てない灰色の空へ飲みこまれて、はりつめたような静けさがかえってくる。色めく花々も、赤茶けた砂利の小道も、ふかい緑をしたお庭の生け垣も、ぜんぶ雪にうまって、のみこまれて、まるっきり夢に見たそのままの姿をしている。輪郭にだけわずかな面影をのこして、あとはどこまでも続く野原とおなじ色をしている。あたしもうもれてしまいたいと、なんとなく、思った。
こわれもののように、そっと雪をすくいあげる。じんと冷たさがしみて、肌が赤くなるのもかまわずに、とけてすきとおっていく雪の手ざわりを感じていた。もっと、綿みたいにふわふわしているのだと思っていた。でもほんとうは、ガラスの破片をあつめたようにじゃりじゃりとして、そのくせ、あっという間にとけてなくなってしまう。にぎってかためて、ほうりなげてみると、そこだけむきだしになった植えこみにあたって、くぐもった音をたてた。
はれた手を息であたためてから、いちめんの雪へかけだす。野原と、花畑と、あまい香りをまとったミツバチが、今日はなりをひそめていた。
誰もいない野原のまんなかで、きゃあきゃあと声をあげて雪をまき散らしては寝ころがり、雲にぬりつぶされた空を見あげた。思い出したように、はらはらと雪をふらせるそれは、まっ白な地面を鏡へうつしたようで、でも、まるでひとつの生きものみたいに、まだら模様をずしりとうごめかしていた。
気がつくと、すっかり雪をめくりあげてしまって、みずみずしい草の緑がゆれていた。あたしはゆっくりと立ちあがって、あたりを見わたす。あいかわらず、誰もいない、なにもない。いや、なにもないように見えているだけで、雪に隠れた下は、いつもとおなじように命の色をしている。それがわかって、なんだかがっかりした。
じっとりとぬれた服が肌へはりついて、凍りつきそうな冷たさをつたえてくる。かじかんだ手はふるえて、あたしのものじゃないみたいに感覚がなかった。ピンクのブーツも、ふかふかのコートも、いっそぬぎすてたらどんなに気分がいいだろう。けど、今はそうする気がおきなかった。
と、それを見つけて、目をうたがった。
急いでかけよると、たしかに足あとだった。近づいて、どうして気がつかなかったんだろうと、あるいは、よく気がついたなあと、まるで反対のことをいっしょに思った。あたしがこのあたりの雪をひっくりかえしちゃったから、どこからきた足あとかはわからないけど、大きいし、あたしのつけたものじゃないことははっきりしていた。誰の姿も見なかったはずなのに。ひどく、興味をひかれた。
点々と、なにかではかったみたいにおなじ間隔でついている足あとは、小道へそってゆるやかに曲がりながら、森の中へと続いている。
行っちゃいけないような気がした。森へ入ったことはあるけれど、ひとりで行ってはいけないとおこられた。体もすっかりこごえて、このままではかぜをひいてしまいそうだ。
「おとう、さん……?」
けど、気がついたら追いかけていた。少し、ほほがゆるんだ。
会えるかもと思うと、胸がはずんだ。寒さも気にならなかった。そのまま、森の中へとかけこんでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます