第2話
ガンガンと鳴る鼓動が、耳の鼓膜を突き破るかのごとく叩いた。乱れる呼吸を直す余裕はない。放課後で人がいない事をいいことに、僕は何振り構わず階段を駆け上がた。そして、閉鎖されているはずの屋上の扉に手をかける。
扉を開けた瞬間に思ったことなのだが、生徒が放課後に一人で屋上にいる状況だけでどうして自殺と結びつけたのだろうか。ちょっと無理はあるが、綺麗な夕日を眺めていたという理由の方が余程しっくりくるのではないかと刹那に悔やまれたが、その心配は杞憂に終わる。
吹き抜ける風。目の前の女子生徒は夕日に吸い込まれていくと思わせるほど、自然に体を倒していた。
–––迂闊にも、綺麗だと思ってしまった–––
、、、、、、、、、、、、、
日が沈むと、途端に肌寒くなった。鳥肌が立ち、体が微かに震えるのを感じる。これが汗が冷えたせいなのか、この手を掴むことができたせいなのか。、、、掴むことができた故に起こっているこの状況のせいなのか。滴る汗を拭う余裕はないが、直感的にどれも正解なのだと感じた。
◇◆◇◆
「助けられたわ」
「えっと、はい」
透き通るような白い肌。猫目で、肩ほどまでに伸ばした髪が絹のような輝きを放っている。助けた生徒のタイの色は緑。一学年が赤、二学年が緑、三学年が黄色であるため、僕よりひと学年上の先輩ということになる。
そんな1つ上の美人が、僕を射殺すような視線で睨みつけていた。
「まずかったですか?」
「あら、なんで私の気持ちがわかったの?」
ニコッと笑いかけてきた彼女の目は、決して笑っていないことに僕はちゃんと気づいている。
「先輩、ですよね?名前は?」
「苗字は
栗花落柊。確か入学当初にすごく美人な先輩がいる、と誰かが言っていた。この噂の人物が彼女の名前だった気がする。最近は聞かなくなったため、わすれていた。
「では、栗花落先輩とお呼びしても?」
「好きにしなさい」
このタイミングで自殺理由などを聞くのが自然な流れなのかもしれないが、明らかに不愉快そうなオーラを放っている彼女に軽はずみな物言いはできない。
「僕は
沈黙の肯定。10秒ほどたったところで気まずい空気が流れ出す。唾を飲み込む回数が増え、瞬きが意識的に行われた。何度か喉の奥からでかかった言葉もあったのだが、どれもこの状況を打破する効力があるとは思えなかった。しかし、意外にも沈黙を破ったのは栗花落先輩の方であった。
「有仁くん。ちょっと聞いていいかしら」
先輩は不機嫌な顔ではなくなったが、さらに鋭い目つきを僕に向けた。警戒されているようだ。勝手に助けた僕への恨み言でも吐くつもりなのかもしれない。僕は半ば強制的に、黙って頷いた。
そして彼女は、少し低いトーンで、つぶやくように言った。
「あなたがシステム管理者なの?」
予想外の言葉にうまく顔を作れなかった。システム?管理者?僕は機械いじりは苦手だし、ましてや人を管理できる能力に長けた人間でもない。僕は鋭さを増す彼女の眼光に息すら忘れそうになりながらも、自らの手で脳をかき混ぜるのに必死であった。少したって、先輩は僕に思い当たる節がないことを察したのだろう。小さく落胆のため息をついた。
「じゃあ、質問を変えるわ。確認だけど、私が見えるの?」
「え、ええ」
今度はうまく反応できた。見えなければ、このプレッシャーを与えられることもなかっただろうに。
「そう、、、」
顎に手を当て、俯きながら考え込んでいる。先程とは打って変わった知的な表情。どうやら、矛先は僕ではなく思考の方に向いたようだ。
数分ほどたって、思い出したように僕の存在に向き直った。
「急に目の前で死に損なってしまってごめんなさい。生き残っても死んでしまってもこの際どちらでもよかったのだけれど、狙っていたことがあったの」
先ほどの雰囲気は一転し、柔らかさすら感じる笑みを向け僕に言った。どうやら、僕は目に見えない峠を越えることができたらしい。
「狙っていた、とは?」
「炙り出そうとしたのよ、私に喧嘩を売ってきた存在をね」
喧嘩を売ってきた相手を知るために自分の命を賭け、なおも飄々としている彼女の胆力に驚きを隠せない。少なくとも、普通の人間のすることではない。常人は彼女のような人物をサイコパスなどと呼ぶのだろう。
しかし、当の本人は自らの異常性を歯牙にも掛けず、挑戦的で艶やかな笑みを浮かべていた。
「それで、栗花落先輩の狙いはどうなったんですか?」
「失敗ね、多分私を助けるために貴方にだけ私を見せたのね。全く、こういった特殊な存在は物語の中だけにして欲しいものだわ」
憂うような仕草を見せた先輩であったが、僕は貴方にだけ私を見せた、という文が気になった。この言い方では、まるで、、、
「待ってください、今の言い方じゃまるで普段は先輩は周りから見えないみたいに聞こえるじゃないですか」
「あら、理解が早いわね。私、3日前から誰にも認識されていないのよ」
なんでもない事のように言い切った。じゃあ、どうして僕には見えるんですか?と声に出る前にに、バンッ!と屋上のドアが開かれた。
「ぜぇ、ぜぇ、あ、有仁、、、はぁ、ちょ、あんた、見かけ、によ、らず、、ぜぇ、足速い、、のよ、、」
俺が到着してから、遅れること約10分。声も息も絶え絶えの來実が到着した。
「遅かったな、來実。あと、運動不足のせいだぞ」
あとその胸にある二大巨頭の。
「う、うっさいわね、、、ふぅー、あー落ち着いてきた。私は走る系の運動が大嫌いなの。できれば毎日家のベッドで寝転んで、ダラダラと生活したいわ!」
今の発言の通り、この女、外見と中身が少々派手であるにもかかわらず、重度の出不精であるのだ。全く、テンプレートなキャラ設定であればもっと親しみやすさも可愛げも生まれるというものだ。
しかし、この場に彼女が来てくれたというのは好都合であった。
「ちょうどいい所に来てくれた。お隣にいるこの美人は見えるか」
栗花落先輩が言うことが正しければ、來実の回答はNOであるはず。
「ん?げっ、私の次に可愛いっていわれてる栗花落柊じゃない。また、ミスマッチな組み合わせね。あんたら付き合ってんの?」
以上を口にした來実の顎を、ガッと音が聞こえてきそうな勢いで鷲掴みにしたのは栗花落先輩だ。苦しそうに悶える來実。一方、先輩もその表情は怒りではなく、純粋な驚きを表していた。
「なるほど、貴方達もこっち側の人間なのかもしれないわね。いいわ。有仁君、貴方はこの後時間あるかしら?」
えぇ、と短く肯定した。
「そう、なら、、、分かりやすいところでファミレスがいいわね。ちょっと付き合って頂戴。それと雌豚、来なさい」
掴んでいた手を離し、來実を開放すると凍えるような声で言い放った。
「な、何よ。わ、私より可愛くないくせに、、、」
栗花落先輩に聞こえないくらいの小声でそう言ったのだが、きっと先輩には全部聞こえているのだろう。その証拠に僕、先輩、來実の順で屋上を後にする時、誰がどう見ても悪意のあるスピードでドアを閉め、來実がドアに激突する姿に目もくれずに階段を降りていった。
この後、ファミレスに着くまで來実の恨みの矛先が僕に向いたのは、言うまでもない。
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