名将について(秦の王翦と、アメリカのシンセキ)

 歴史は繰り返す、と言ったのは、ヘロドトスだったか、クルチュウスだったか。


 秦の始皇帝の時代に、王翦おうせんという名将がいました。

 歴史好き、あるいは『キングダム』を愛読されている方なら、ピンと来るかもしれません。筆者はまだキングダムをほとんど読んでないので、この作品の王翦については知りませんが、何でも「何を考えているのかよくわからない謎の男」として描かれているようです。(現在、ちまちま読んでいます。めっちゃ面白いです。)

 紀元前224年、秦で楚を攻めるための軍議が開かれます。

 始皇帝から、どれほどの兵力が必要かと訊かれた王翦将軍は、「60万の兵馬が必要」と答えましたが、その案は採用されず、結局20万の兵馬で楚を攻めることになります。王翦は隠居生活に入ります。

 しかし、結果は惨敗。当時の楚は秦の面積を超える大国でもあったため、兵力が分散されすぎたのも一因であったろうと思います。

 この後、始皇帝自らが引退した王翦に頭を下げ、出陣を要請します。王翦は「60万の兵馬が必要」と答え、始皇帝はそれを認めます。そして翌々年、秦は楚を平定します。

 司馬遷しばせんの『史記しき』では、兵馬の実権を握っている王翦が始皇帝に対して、心理的なかけ引きをするのですが、ここでは触れません。(個人的には、史記の中でもかなり好きな箇所です。)


 時は流れ、2003年の2月、アメリカで上院軍事委員会の公聴会が開かれます。

 第34代陸軍参謀総長として出席したのは、エリック・ケン・シンセキ。日系アメリカ人としては、2人目の閣僚です。(祖父は広島からの移民。)

 イラク戦争における兵力の規模を巡って、少数精鋭論のラムズフェルド国防長官らと対立します。ついでに言うと、当時はブッシュ政権です。

 シンセキ氏曰く、「イラクの治安維持のために数十万人の米兵が必要」と提言しますが、受け入れられず、辞任に追い込まれます。

 その後、イラク戦争は占領後の計画不備が露呈ろていする形となり、結果、シンセキ氏の見解が正しかったことが証明されます。もし、シンセキ氏の意見が通っていたら、その後の中東の混乱、イスラム国などの台頭もなかったのでは、という考察もあるほどです。

 シンセキ氏はその後、オバマ時代に、アジア系アメリカ人としては初の、退役軍人長官に任命され、復権を果たします。


 歴史は同じ形では繰り返しませんが、かなり似たパターンが繰り返されることも事実です。歴史の醍醐味だいごみの一つは、そこにあると思います。

 名将として、個人的に最近気になってるのは、ベトナム救国の英雄として名高い、ヴォー・グエン・ザップ(1911~2013)ですが、これはまた別の機会に。(興味のある方は、彼の著作『人民の戦争・人民の軍隊』が中央公論新社から出てますので、ご一読を。)

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