柳田国男の「孤立貧」とは何か
民俗学者の柳田国男が、「
官僚だった柳田が、法務省の資料で見つけた事件を、後に『山の人生』と言う作品に引用している。(コンプライアンス的に褒められたことかどうかはともかく)。その事件はこんな感じだ。
『今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西
女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を
眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、
この話をどう受け取るかは、いろんな見解があると思う。
自分が昔読んだときは、ある種の感動を覚えると同時に、「貧困」がもたらす悲劇、というような、ごく抽象的な教訓の域を出なかった。それが変化したのは、柄谷行人の『遊動論』の次の一節に触れてからだ。
『柳田の前にはいつも「貧しい農村」という現実があり、それを解決することが彼の終生の課題であった。が、彼にとって、「貧しさ」はたんに物質的なものではなかった。農村の貧しさは、むしろ、人と人の関係の貧しさにある。柳田はそれを「孤立貧」と呼んでいる。では、どうすればよいのか。柳田が協同組合について考えたのは、そのためである。……』
「貧困」とは、ただ単に物質的なものだけでない。もっとも、先の子ども二人も、豊かな暮らしであったら、このような悲劇には至らなかった。けれども、彼らをこんな風になるまでに追い込んだ、人間関係の「貧困」。人と人との関わりの「貧しさ」。そうした貧困を、柳田は「孤立貧」と呼んで重視していた。(対応策の一つとして、柳田が考えた「協同組合」について、もっと知りたい方は『遊動論』を読まれてほしい。)
去年亡くなられた
もちろん、これは過ぎ去った話ではない。
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