柳田国男の「孤立貧」とは何か

 民俗学者の柳田国男が、「孤立貧こりつひん」という言葉を使っている。

 官僚だった柳田が、法務省の資料で見つけた事件を、後に『山の人生』と言う作品に引用している。(コンプライアンス的に褒められたことかどうかはともかく)。その事件はこんな感じだ。

 

『今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃みのの山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、まさかりり殺したことがあった。

 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘をもらってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度さとへ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手からてで戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きなおのいでいた。阿爺おとう、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向あおむけに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられてろうに入れられた。』

 

 この話をどう受け取るかは、いろんな見解があると思う。

 自分が昔読んだときは、ある種の感動を覚えると同時に、「貧困」がもたらす悲劇、というような、ごく抽象的な教訓の域を出なかった。それが変化したのは、柄谷行人の『遊動論』の次の一節に触れてからだ。


『柳田の前にはいつも「貧しい農村」という現実があり、それを解決することが彼の終生の課題であった。が、彼にとって、「貧しさ」はたんに物質的なものではなかった。農村の貧しさは、むしろ、人と人の関係の貧しさにある。柳田はそれを「孤立貧」と呼んでいる。では、どうすればよいのか。柳田が協同組合について考えたのは、そのためである。……』


「貧困」とは、ただ単に物質的なものだけでない。もっとも、先の子ども二人も、豊かな暮らしであったら、このような悲劇には至らなかった。けれども、彼らをこんな風になるまでに追い込んだ、人間関係の「貧困」。人と人との関わりの「貧しさ」。そうした貧困を、柳田は「孤立貧」と呼んで重視していた。(対応策の一つとして、柳田が考えた「協同組合」について、もっと知りたい方は『遊動論』を読まれてほしい。)

 去年亡くなられた高畑勲たかはたいさおさんの『火垂るの墓』も、清田と節子が死んでいった物語の背景には、そうした意味での「貧困」が存在していたのだと思う。

 もちろん、これは過ぎ去った話ではない。

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