残された少年





「ごめんなぁ」


掠れた声でリュウシンに呟いたのは、あの大工だった。


柴宿の必死の呼びかけに耳を傾けなくなった人たちは、やがて次々に死んでいった。


柴宿を信じて残った者たちも、看病の甲斐なく死んでしまい、慈善寺に残っているのはもはや彼だけだった。


「俺はなぁ、わかってんだ。坊主が、……毎日毎日、精いっぱい踏ん張って、……ちっこいその頭ふり絞って、必死で……助けようと

してくれた…ことも。爺さんが……あともうちょい………もうちょい俺が頑張れば、……きっとすんげえ神術で、病を治してくれたん

だろう」



「そうだよ。もう少し、もう少しだけ待ってよ。きっとすっかり治るから」


リュウシンはやせ細った体を拭きながら、励ますように声をかけた。


「ごめんなぁ、坊主。……もう、俺は……もたねえや。……ごめんなぁ……爺さん、あんたも……そろそろだろう。そんな体で、……よく今まで耐えたな……感謝してるんだ。……でも、もういいだろう。俺で最後だ……」


リュウシンはハッとして柴宿を振り返った。


白い顔、袖口から覗く赤黒い痣。


「まさか、種を飲んだの?ねえ!」


さっと顔色を変えて、リュウシンは柴宿の肩を揺さぶる。


どうして今までそのことに思い至らなかったのか。


どうして今まで、自分たちだけは無事だと信じでいたのか。


死んでいった彼らと、何も違いなどなかったのに。


リュウシンは蒼ざめた。



柴宿は、リュウシンに向かって優しく微笑んだ。


「いいえ。飲むはずがありません。命は、とても大切なものでしょう?」


リュウシンは泣きそうな顔で柴宿の腹に手をかざした。


柴宿はやんわりとその手を握る。


「離して」


「リュウシンくん」


「離して!」


「駄目ですよ」


柴宿は淡く微笑んだ。


何もかも受け入れるような安らかな顔で。



「僕はずっと言ってた!あんたのちまちました医術より、僕の『力』のほうがずっといい。僕の『力』ならっ、」


「リュウシンくん」


柴宿の声にリュウシンは顔をぼろぼろにしながら泣いた。


たとえ嫌われても、どうだってよかった。


ただ、生きていてほしかった。




「聞いてください、リュウシンくん。人には、分というものがあるんです」


柴宿の声は、静かだった。


リュウシンはしゃくりあげながら彼の声をきいた。


優しく、やわらかな声だった。




「私はリュウシンくんに会えて、本当に良かった。神様が下さった奇跡だと思いました。感謝しています。本当に。けれど、これ以上

はいけません。人には、人の理というものがあるのです。それは、決して曲げてはいけないものです。貴方が、その理を曲げてしまえ

ば、いつかその代償は必ず返ってくる」



柴宿は静かに目を閉じる。


あの日を、柴宿は一度たりとも忘れたことはなかった。


先帝の治療を拒んだ祖父・榮玉は、斬首を宣告されても、笑っていた。


どうしても、治療はできぬと涙を浮かべなが

らも笑った顔は、彼を胸に抱いて小さく呟いた。



「宿や、何かを得るというのは、時として悪なのだ」


人はどうしても、一度の奇跡に満足できぬ。


寂しげにつぶやかれたその意味を、当時の柴宿は理解できなかった。


けれど、その意味を何年も考え続けた。



「帳尻は、必ず合うものなのです」




リュウシンにはわからなかった。


けれど、十数年前、命を救われたその代償が今返ってきたのかと思うと、リュウシンにはやりきれなかった。


柴宿はリュウシンの顔を袖口で拭うと、小さく微笑んだ。



「リュウシンくん、約束してください。貴方はきっと、私の願いをかなえてくれる。私は信じています」



柴宿の顔が霞む。


リュウシンは、柴宿の膝の上で、泣きながら微睡んだ。







目を覚ました時、柴宿はいなかった。


初めから存在などしなかったように、彼は忽然と姿を消していた。









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