暗躍
「旦那様、彩霞太守の使いとして副補佐官が参りました」
低めの厳かな声に、帳の中でわずかに動く人影があった。
「よい、通せ」
鷹揚に応える声に、しずしずと男が歩いてくる。
「ご報告があります」
「ほう。柴宿のことか」
さらり、と上等の紗が滑る音がした。
「范溙、慈善寺の病人は、その後どうだ」
酒の匂いが漂う。
太守は酒杯を片手に、眼前の碁盤に目をやるとぱちりと碁石を置いた。
「報告の通りです」
范溙は無表情で短く答えたが、刹那、僅かに視線を彷徨わせた。
慈善寺の状況は深刻だった。
毎日のように人が運び込まれるが、病人は増えるばかりで、容態が回復して慈善寺を去るものは一人もいなかった。
向かいに座った補佐官が、ちらりと見上げる。
太守はくいと杯を呷ると、一瞥もくれずに命じた。
「もういい、下がれ」
范溙は踵を返そうとして補佐官の視線を感じ、一瞬ぴくりと動きを止めたが、何も言わずにその場を去った。
范溙が去っていったことを気配で感じ取ると、補佐官は口元を隠していた扇を閉じる。
慇懃な物腰で冷たく笑うと、碁石を白い指先で撫でる。
「都から文が届きました。あちらも、彼の扱いには困っていたようです。罪人ではない上、民や下級貴族からの信望も厚い。ですが、もう必要ないので構わぬ、とお言葉を賜りました。厄介払いできればなおのこと良い。有事の折は、"彼"を身代わりにと」
「そうか」
太守は素っ気なく頷いた。
無感情で淡々とした声だった。
またぱちりと音がする。
「あの武官は、どうなさいますか?一緒に連れてまいりますか?」
「いや、いい。あいつの役目はもう無い」
ふぁ、と太守の脇で欠伸をした猫が、尾で碁石をはたいた。
反動で石が一つ、床の上を転がっていく。
「承知いたしました。では、早馬を」
冷たい唇が、ふと薄く弧を描いた。
壁にぶつかって、黒い碁石がころんと室の隅で止まった。
皇都・海紗を早馬の伝令が渡った。
皇城にて、急ぎ足の官吏が王に謁見を求めた。
握りしめた文は、緊急時のみ使われる朱状。
文は、彩霞の南東の貧村・榮木村の、原因不明かつ伝染性の奇病による全滅、またさらなる感染拡大の恐れをしたため、そして、彩霞島の即時隔離及び閉鎖を要請するものだった。
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