弟子
慈善寺に急患が来た。
大柄な男だったが、顔がひどく青ざめていて、何度も嘔吐を繰り返した。
激しい腹痛を訴え、呼吸も荒い。
付き添った女が必死で背中をさすっている。
柴宿は男の口に指を入れ、唇に手を当てると軽く頷いた。
「毒ですね。河豚か、あるいは貝か……。麻痺は出ていないので、そうですね、このままとにかく全部出してしまいましょう。リュウシンくん、お湯を沸かしてください。……リュウシンくん?」
落ち着いた様子の柴宿の傍らで、リュウシンは動揺していた。
何も驚くことはないはずだった。
リュウシンには日常の光景だった。
ただ
自分が生きるために、何度も自らの神通力で奇跡を生み出し、それと同じだけ、自らを脅かす者たちを残酷にも弑してきた。
けれど男の苦しみあえぐ声をきいて、リュウシンはなぜか心穏やかではいられなかった。
リュウシンは上擦った声で柴宿に声をかけた。
「そいつ、やばいんじゃないの。僕の、」
『力』で、と言いかけたとき、柴宿が一瞬鋭い視線を投げた。
びくりと反応したリュウシンは慌てて部屋を後にする。
「なんだよあいつ」
動揺を誤魔化すためか、リュウシンは小さく呟いて口を尖らせた。
お湯を沸かして持っていくと、柴宿はリュウシンが一緒に持っていた塩を手に取って小さく微笑んだ。
そのまま盃に湯を移し、塩を入れる。
女は、それを見咎めて声を上げた。
「それはなんなの。この人こんなに苦しんでるのよ。さっき毒といったわよね。毒って、毒よ。河豚は猛毒だって聞くわ。毒を飲んだら死んでしまうのよ!普通は解毒薬を飲ませるものでしょう?それを塩水なんて!薬を出さないつもりなのね?どうして。私たちが貧しいからでしょう!」
焦る気持ちは痛いほどわかるが、相手の懐事情によって対応を変えたことはない。
リュウシンは思わず抗議の声を上げそうになった。
それを柴宿はやんわりと肩をつかんで止める。
「心配いりませんよ、落ち着いて。説明いたします。おそらく彼が当たった毒は貝によるものです。河豚の毒に当たると、舌や喉が麻痺し
て呼吸困難になりますが、この方は麻痺もなく嘔吐できている。貝毒は発熱はしませんが、症状は食中毒とよく似ています。下痢や腹痛が起こりますが、きっと二、三日でよくなります。この塩水は、体に残った毒素を取り除いて、胃を洗浄するために用意したものです」
柴宿は女と目を合わせて、ゆっくりとかみ砕くように説明した。
そして男に向き直り、湯で口をゆすがせる。
優しく背中をさすりながら、柴宿は男に同じ説明を繰り返した。
徐々に女が落ち着いてくる。
「解毒薬はもらえないの?…ですか?」
きまり悪そうに丁寧に聞き直す女に、柴宿は穏やかに微笑んだ。
「貝毒に有効な解毒薬はありません。ですが、毒はもう出してしまったので大丈夫でしょう。代わりに、弱った肝臓や脾臓を回復させる薬剤を用意します」
柴宿は女の手にそっと茶杯を握らせた。
「どうぞ。桂花茶です。落ち着きますよ」
茶杯からはわずかに金木犀の香りが漂っていた。
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