前途多難
「お前さ、馬鹿なんじゃないの」
玲瓏山の麓から十里ほど歩いたところで、リュウシンは呆れた声を上げた。
「毎日毎日、草引っこ抜いては磨り潰して、ちまちま作業してさ。そりゃお前には必要なことかもしれないけど、僕が薬草やら病やらの勉強して、なんの意味があるわけ?わざわざ病の原因とか治療法とか調べなくても、『力』を使ってはい終わり。その僕にわざわざ医術を教えようっていう奴の気が知れないんだけど」
ちらと前を歩く柴宿を見やる。
若い盛りの自分が少し息を切らしながら歩いている険しいとまではいかないが決して易しくはない山道を、呑気に疲れたそぶりもなく歩き続ける老人に、リュウシンは心の中で舌を打った。
「僕が医術を学ぶといったのは単なる口実だよ。もう冬だ。この間みたいに客をつかまえ損ねて野宿する羽目になったらうっかり凍死しちゃうから。ちょうど都合のいい寝泊りの場所を見つけただけで、真面目に医術を習得する気なんてこれっぽちもないよ」
ふと柴宿が立ち止まって、くるりと半身を返した。
俯きながら文句を垂れていたリュウシンは、いきなり目の前に迫った顔に内心飛び上がりそうに驚いて、しかし表情だけは平静を保って抗議の声を上げた。
「な、なんだよ」
声は思った以上に格好悪く裏返った。
隣で無表情に自分を威圧してくる無口な武官にたじろいで、視線を逸らす。
「これは慈霜草です。この島では霊薬ともいわれるものです。効能は様々。例えば悪心、嘔吐、頭痛、全身の倦怠感、貧血、動悸、息切れなどの症状に良い。とても貴重なものですよ」
にこりと穏やかに微笑む彼に、リュウシンは毒気を抜かれてぽかんと口を開けた。
「あのさ、僕の話聞いてた?」
「ええ、もちろん」
口に謎めいた微笑を滲ませてこちらを見つめる柴宿と、脇に控える無表情な武官を交互に見ると、食えない爺さんだ、と苦々しくちらりと睨んだ。
「よいですか、リュウシンくん。今日は五臓についてです。ひとの体内には、肝、心、脾、肺、腎の五つの臓器が備わっています。これは
気、血、水の生成や代謝を行うところで、気が陽の気を、血、水が陰の気を司ります。例えば肝は感情を調節するところで、心が昂ったり、深く落ち込んだりすると不調をきたします。症状は筋や目、爪などに現れます。今日はこの医学書に目を通し、すべて覚えてください」
ぼんやりと聞いていたリュウシンは、目の前に積み上げられた数十の医学書に目を白黒させた。
「……は、え?これ全部?」
「ええ、今日中にすべて覚えてしまってください。明日は薬剤の種類と効能について話します」
冗談じゃない。
何が楽しくて、と心の内で呟く。
もとより素直に医学書を読む気などさらさらなかったが、抗議しようと不機嫌な顔で口
を開いたリュウシンは、ふと悪戯な笑みを浮かべた。
「いいけどさ、僕そもそも文字読めないけど?」
覗うように柴宿を見上げてしたり顔をする。
いつも余裕な笑みしか見せない柴宿を困らせてみたいという子供のようないたずらだった。
「ああ、そうですか。では范武官に読んで頂きましょう。文字は覚えていたほうが先々楽になるでしょうが、今日覚えることは文字ではないので構いませんよ」
「…………はい?」
「明朝、学んだことを確認しましょう。リュウシンくんなら理解が早いでしょうから、きっと大丈夫。無理はしないでくださいね」
一層深くなった微笑を前に、リュウシンは「くそうこの古狸め」と、恨めしそうに口元をゆがめた。
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