紅の責任





りいん、と音がした。


硝子のような繊細で清浄な碧の音色。


どこかで聴いた音だと憐花は思った。


憐花は不遜で傲慢であったが、誇り高かった。


己がしたことの報いは受けよう、と、自ら地に降りた。



リュウシンというらしい少年は、憐花になついた。


五年の間、憐花は彼と暮らした。


リュウシンは憐花に何もさせようとはしなかった。


ただ、毎晩、憐花にひそやかに愛を囁いた。


うつむいた頬にかかる絹糸のような髪の一筋を、丁寧に耳の後ろに梳き、琵琶を爪弾く優美な指先にそっとくちづけた。



「こなたに何を望んでおるのじゃ?」


憐花の問いかけには、にっこり微笑むだけで何も答えようとはしなかった。


憐花は人間を確かに愛していた。


愚かで、非力で、卑小な生き物。


それは、憐憫によく似た愛だった。


けれどリュウシンは、憐花の知るそれとは違った。


憐花はリュウシンを、人間を畏れた。



人間は弱くて、あまりに弱くて。


弱いが故に時として恐ろしいのだと、憐花は初めて知ったのだ。



リュウシンは危険だ。

そしてリュウシンにとって、自分はもっと危険だ。



玲瓏山に舞い戻った憐花は、それきり人間に関わろうとはしなかった。




――――そう、彼が現れるまで。














「そなた、おのれが何をしたかわかっておるのか?」


く、と形の良い眉が顰められる。


ことりと陶器の茶杯を置き、椅子に座ると、柴宿は見上げた。


「私が何かしましたか」


穏やかな表情で茶をすする柴宿に、憐花は鋭く視線を投げる。


「近ごろ山で野犬を拾ったであろう」


「いいえ、拾いません。今にも死んでしまいそうな若者を一人連れ帰っただけです」


ぴくり、と憐花はこめかみを引き攣らせる。


あまりに鷹揚な彼の態度に、脇に控えている范溙もしらっとした視線を送る。


柴宿は構わず憐花に席をすすめる。



「お茶をどうぞ。菊花と茉莉花の良い香りがしますよ」



憐花は耐えるように目を閉じ、静かに息をつくと、柴宿を睨んだ。


肌が粟立つような美しく冴えた双眸。


「その者はそなたの手に負えん。はよう手放せ」


憐花の低い声に、范溙はちらと彼女を窺った。


真剣な眼差しに、これはただ事ではなさそうだとうっすらと考える。


柴宿は微笑した。


「御心配ですか。彼が何かしないかと」


憐花は探るような目で柴宿を見つめる。


「彼は誰も傷つけはしませんよ」


柴宿は落ち着いた様子で静かに微笑んだ。














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