第8話 因果の術師

 遊行を終える頃、霧は幾ばくか晴れ退いていた。

 見通しの利き出した中心路を直進していく。もう提燈ランタンを灯す必要はなく、主から受け取ったそれを両手で抱いて歩く。蚤取り眼で後ろから着いてくる少女を塔の主は瞥見する。


「腑に落ちぬか」


 ケムリは頷く。

「はい、とても。何から何まで……」

 道はただ真っ直ぐ塔へと続いているのに、自分があれだけ道を違えたこと――それがたとえまじないが作り出した障壁であったとしても――そして、小国とはいえこの圏域まで支配に及ぶ呪いなど聞いたことがない。


 ケムリの知る呪いとはもっと信憑性に乏しく、即効性に欠け、有体に言えば代物だった。

 呪いの始祖は物事の『共感性』や『感染性』に着目し、術式の礎石を創り出したと言われる。呪いの元祖とされる雨乞いでは、乾いた地面に水を撒き、雨が降った状態に似せることで実際の降雨を祈ったという。

 同じく狩りで動物の毛皮を被るのは自分が真似る獣が本当に現れてほしいと願うためで、危害を加えたい相手を模した人形を焼くのも、漁師が船旅の無事を願って妻子の髪の毛を御守りに持ち歩くのも、全ては万物の『共感性』、『感染性』を呼び起こすためのものだ。

 このように本来の呪術とは合理性に乏しいもので、たとえ呪いの効果により成果が得られたとしても人々には実感が伴わない。これは都に蔓延る下級の術師たちが経営する『占い塾』も一つの悪影で、参加した者たちは次々にその眉唾な受講内容に憤懣を垂れる。


 ――呪いは気休めだ。


 そんな持論を唱える宣教師が現れ出したのはごく最近のこと。それは遅かれ早かれ誰かが口にしていたことだった。これまでは各権威により封じられていた術者への難癖が十五年前の敗戦により浮き彫りとなったに過ぎない。


 塔の主が実現させた術法の数々を見せつけられ、ケムリは改めて思い耽る。

 呪いは気休め。確かにその意見も否定出来ない。またそれと包含するように、少女は別の私見も持っていた。


 ――皆だって、原理の分からない物を日常的に使ってるじゃないか。


 自分が今手にしている提燈がいい例だ。

 これはとある術師が独自に開発した呪石を使用したもので、油や蝋などの有資源を用いず半永久的に火を灯せるという代物だ。呪石が世に登場する以前は、王侯貴族ですらが資源の節約のため夜は真っ暗な寝室で過ごしたという。

 行商人のケムリも、この呪道具を使用した日常用品をあちこちで売って回ってきた。たまに堅物の修道者が「この品の原理構造を説明してみよ」と小意地の悪さを見せるも、結局はその便利さに見惚れ渋々購入していくという有様だ。呪道具の原理構造など、ケムリどころか熟練の行商たる父ですら窮する質問だろう。


「世には、わたしの理解に及ばないものが数多く存在します。わたしはきっと知る知らぬに関わらず、自身の預かり知らぬ所で文明の恩恵というものを受けて育ってきたのでしょう。それら恩恵の出所を知ることも確かに有益ではありますが、必ずしも知る必要がある、というものでもありません。霧の術理も、術の構成として機能する民の信心性とやらも、どれもが分からないことだらけですが、別に無理して知る必要はないんじゃないか、って気がしてきました」


 塔の主は深く首肯する。

「名読みの婆の言う通り、害無き純朴な娘のようだな」


 霧の塔の袂に着くと、二人して頂を見上げる。遠くから見るよりずっと厳かで、摩天楼と呼んで余り有るほど高々と天に聳えている。外壁の輪郭は古く歪であり、くすんだ乳白色を基調としているが、どこか人を寄せ付けぬ物々しさを放っていた。


「今の見解、受取り手によれば諦めとも取られかねないが、私の考えは少し違う。人の命は短く、常人で五十年、どんなに長くてせいぜい七十余年。それだけの時で世の理全てを理解しようなど狂躁でしかない。私は術師として、お前は商人として、何一つ迷いなくその道に特化してしていけばよい。互いを知らなくて良いという事は、それだけ他者に信頼を寄せている証しであり、巡って各々が支えとなり共存しえるからだ」


 古めかしい門扉を押す。塔の内部は単純な螺旋階段造りとなっており、見上げれば何層かの階床を設けているようだった。塔内は常時薄ぼんやりとした霧靄を纏っており、外と比べて幾分肌寒い。

 ケムリは主の歩調を追い、塔を登りはじめた。


「とはいえ、全くの説明もなしというのは味気無い。ただ、呪術とは膨大な学問のようなものでな。原理原則を説き明かすためには些か時間がかかり過ぎるが……差し当たってはそうだな」


 段を一歩ずつ踏みしめながら、彼は滔々と語り始める。


「今は術式も随分と多様化してしまったが、魔術にしろ呪術にしろ、元を辿れば一切が共感術に帰結する。婆の名読みは感染呪術の派生と捉えてよい。呪いが内へ及ぶか、外へ及ぶか、それだけの違いだ。私の役する霧の術も例外なく共感術に属し、これを少々発展させただけに過ぎぬ。常道法が万物の『共感』を呼び起こすものに対し、私の呪いは物理・自然現象の『因果』に働きかける」


「因果……」


「私の故郷では独特の神学があってな。自然災害や、災害により起こる地形の変化が日々絶えず、これを一様に神の仕業とする考え方から、他国に類を見ぬ数の神話が存在している。人智の及ばぬ事象に何とか理屈を付けたいのだろう。宗教としてはそれでもよいが、呪術とはひとえに神を操る法といっても過言ではない。因果術はこの自然神話に端を発し、更に実学的に術へと昇華させたものだ」


 主は一度足を止め踊り場の窓から街を眺望し、また階を踏む。


「呪いと民の信心を『因』とし、霧を『果』とする。霧を起こすためには空気中の湿度と地表の温度、塵の散布等が関わってくるが、微細な現象であれば意図的に発生させることは容易い。しかし国全体となれば国民の協力、そしてこの塔の建設は不可欠だ。地表の温度を保つためには民々の動きをある程度制限せねばならぬ。塔は上階から細かい塵埃を散布し空気を循環させる。また地表に根を張り、地温の制御も担っている。他にも複雑な事情もあるが、簡便にするとそんな所か」


「塔が、地に根を張っているのですか?」


「見かけよりずっと大掛かりな建築でな、未だ完成には至っておらぬ」

 ケムリは階下へと目を落とす。もう随分と登ってきてしまったが、それでも目に見えるだけが塔の全景でないと考えると、途方もない気分になった。


「この霧の届く範囲は、私の脳そのものだ。霧の中にいる限り私の管理が及ぶ。外界のような人死に繋がる数多の要因を排除し、飢えや渇き、加齢による衰えさえも軽減出来る。そのために私はここで長年に渡り呪力を蓄え、民を敬虔な信者として育てあげてきたのだ。この意味が分かるか、ケムリよ」


 少女は曖昧に押し黙る。


「世はいずれ崩壊し、完全に死滅するであろう。『天使』の介入がないままとして概算すれば、およそ十年と言った所か。これはな、せめてもの抵抗なのだ。霧で国ごと隠し私の呪力と教義により人々を加護する。たとえかの聖戦が繰り返されたとて、侵攻不能の堅城の出来上がりというわけだ。いやはや……我ながら突拍子もない。これは言わば、」


理想郷ユートピア、ですか」

 

 主は音もなく立ち止まる。真剣に向けられた少女の眼差しに、何か諦観気味に目を伏せる。

「可笑しければ、笑え」

 ケムリは首を横に振り、強く否定した。

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