四 なぜそれを運んだのか

 畳に大の字になっていた。目と口をぽかんと開け、瑠兎は身動きひとつしなかった。突拍子もないことが立て続けに起こり、心の底から疲れきっていた。

 死体をみつけた。瑠兎は祖父の家へ走った。説明もそこそこに母の手を引き、隣家へ戻った。当然だが礼美はまだそこにいた。かといって大人しく待っていたわけでもなかった。

 階段の下に扉があった。階段裏が物置になっているらしく、礼美は扉を開けて興味深そうに中を覗いていた。

 手持ち無沙汰だったのはわかる。だけど、死体を間近に他人の家でどうしてそんなふるまいができるのか。この子はやっぱり、どこかずれたところがある。

 あれはいつのことだったか。部屋で瑠兎がエレクトーンを練習していると、帰省していた伯父が顔を見せた。こめかみに痣ができていて驚いた。寝煙草のせいで火傷し、跡が残ったという。瑠兎は好奇心から痣をよく見せてもらった。薄紫の地に、濃い紫が点々と散っていた。

 記憶にある痣の形からして間違いないと思ったけれど、やはり母も伯父の死体だと認めた。気を落ち着けると母は警察へ通報した。警察よりも先に住職が来た。もちろん法事どころではないので、大人たちが話しあった末に七回忌は日を改めることになった。

 居間で女性の警察官から事情聴取を受けた。死体発見までの経緯を瑠兎はたどたどしく説明した。昨夕、隣家からでてくる礼美を目撃したことは伏せてしまった。取り返しのつかないことになりそうな、漠然とした怖さが口にすることをためらわせた。

 同席していた母が、伯父のことを説明した。東京にあるビジネス系の専門学校に進学したこと。卒業後も地元には帰らず、いくつかの職を転々としたこと。ここ数年はフリーのライターとしてネット媒体の記事を書いていた。稼ぎが足りず、飲食店でのアルバイトと二足のわらじだったらしい。

 二ヶ月前、伯父と仕事上の付き合いがあるという男性から連絡があった。電話をしてもつながらず、アパートはもぬけの空。母が警察署へ捜索願を届けたが、その後も行方はわかっていなかった。

 姿を消す前の伯父は「なにもかも忘れて旅にでたい」と、愚痴とも冗談ともつかないことを周囲にこぼしていたという。気弱な性格で、人間関係の悩みから職が安定しなかった。ストレスから仕事を投げだして旅行をしているだけなのか。それとも極端な行動に走ってしまったのか。

「なんてこったい」

 瑠兎の口から呻き声が漏れた。法事が終わったら、すぐに帰るはずだった。どうやらそうはいかなくなったらしい。警察が遺体を調べるため通夜は明日の夜になるという。きっと父もこっちへ来るだろう。

 ほぼ毎年、伯父は年始に帰省していた。お年玉をもらうことくらいしか瑠兎には伯父との接点がない。突然の死にとまどいこそすれ、悲しいというほどではない。とはいえ大人たちには一大事だろう。まさか自分だけ帰るわけにもいかない。

 畳の上でウーンと背伸びをする。宿題でもするか。身を起こしながら瑠兎はそう決意した。いや、待て。喉が渇いた。小腹も空いている。

 私室をでると、瑠兎は階段を下りていった。階下から声が聞こえてくる。玄関に祖父の背中があった。誰かの応対をしているようだ。

(お化け)

 ちがう。ドラァグクイーンだ。

「お孫さんですか」

 祖父の肩越しに、ひょいと客が顔を覗かせた。フチなし眼鏡をかけた涼やかな目元。見目麗しい相貌にドキリとなり、階段の途中で瑠兎は足を止めた。やばい、髪がぼさぼさなのに。

 森澄紺は、昨日よりはましな服装をしていた。首元にボウタイのあるブラウスに、嚆矢縞のサマースーツを羽織っている。

「ひょっとして、雨坊うぼうさんをみつけた女子高生というのは」

「あ、私です」

 雨坊というのは、伯父のライターとしての筆名だ。本名は鹿毛池架かげち かける。いつだったか、はにかんだ顔をした伯父が「本名のほうが語呂が良すぎて恥ずかしい」と話していた。

「伯父のお知り合いですか?」

「いえ、探偵です」

 思いがけない二文字に瑠兎はきょとんとなった。探偵は森澄紺と名乗ると、雨坊架の行方を調べていたと説明した。

「失礼ですが、君は雨坊さんの?」

「姪です。宍戸ルウといいます。瑠璃色の兎で、瑠兎」

「そうですか。そういえば兎を数えるときは一羽、二羽みたいに数えるそうですが、南方熊楠の『十二支考』に依るとですね、」

 なにか雑学ネタを口にしかけた森澄の目が、横に流れた。祖父が怒りで顔を紅潮させている。「お邪魔しました」軽く一礼をすると、くるりと背中を向けて森澄は玄関の戸に手をかけた。

 やれやれとばかりに祖父が廊下を去っていく。階段を下り切ると、瑠兎は祖父の背中に続いた。

「すみません、もうひとつだけ……あれ、いない」

 背後からの声に、瑠兎は足を止めた。きょろきょろと森澄が左右を見渡している。

「なんですか」

「たいしたことじゃないけどね。昨日の夕方、けっきょく雨坊さんはこちらへ来られてたのかなと」

「伯父が、うちにですか」

 たしかに、この町へ帰ってきたなら祖父に顔を見せて当然だ。

 昨日、母の運転するセダンで祖父の家に到着したのは午後四時過ぎだった。今日になって死体を発見するまで、自分は伯父の姿を目にしていない。瑠兎はそう説明した。

「そうですか」うんうん、と森澄はうなずく。「となると、ちょっと時間がずれるね」

「ずれる?」

「昨日、台風の影響がいちばん強かったのは五時前後でね。六時には収まっていた。風が強かったのは、ざっくり四時半から五時半。すると、折り畳み傘が問題になる」

 瑠兎の脳裏に、隣家の玄関を覗いたときの光景が蘇った。上がり框に立てかけてあった雨傘が、滑り落ちたように倒れていた。

「強い風のせいで、折り畳み傘が壊れたんだろうね。それで雨坊さんは、雨宿りのため空き家を借りた。折り畳み傘が壊れるほど風が強くなったのは早くても午後四時半。君の証言からすると、雨坊さんはこの家にはいなかった。いったいどこにいたんだろうね」

「それは……」

 瑠兎は言葉を濁らせた。伯父にとって、この町は生まれ故郷だ。長い付き合いの友人を先に訪れ、それからこちらへ向かったのか。あるいは単純に、最寄りのバス停から祖父の家へ足を運ぶ途中で台風に見舞われたのかもしれない。

 そのどちらであっても説明がつかないことがある。生まれ育った家が目の前なのに、伯父はなぜ隣の家で雨宿りをしたのか。なぜ、この家に帰らなかったのか。

「昨日は森澄さんも祖父と会ったんですよね」

「うん、すぐに追い返されたけどね」

 一週間ほど前、伯父の行方を調べてほしいと依頼された。森澄は、東京に事務所を構える大手調査会社を紹介した。ところが昨日、その調査会社から雨坊架はこちらへ戻ってきているとの連絡を受けた。それで森澄は祖父の家を訪れたのだという。

 依頼者を森澄は明言しなかった。とはいえ察しはつく。私立探偵を雇うほど伯父のことを心配する者は、祖父を除けば母しかいない。

「雨坊さん、借金取りに追われていたわけでもないらしいけど」

 森澄が何気なく口にした言葉を理解するのに、瑠兎は少し時間がかかった。

「伯父さん、殺されたの?」

 バタバタしていて、伯父の死因まで考えを巡らせる余裕がなかった。他殺だとすれば、死の直前に誰と会っていたのかが重要になる。人には聞かれたくない会話をするため空き家を借りたのだとすれば。

 どうだろうね。森澄は首を竦めた。

「階段から転げ落ちただけの事故にしては、植木鉢がね。あんな重いもの、どうしてお隣まで運んだんだろうね」

 その言葉が孕むニュアンスを悟り、瑠兎はとまどった。お隣まで運んだ。それってつまり、植木鉢はこの家にあったということでは。

「知らなかったんだね」

 森澄が微笑む。上半身を捻じり、玄関の戸を指差した。

「すぐそこにあったらしいよ。昨日の夕方、僕が来たときには見なかったけど」

 お邪魔しました。一礼すると、森澄は今度こそ本当に立ち去った。

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