六 老刑事かく語りき

 すまない、妻はでかけていてね。探したんだがこんなものしかなかった。孫の好物なんだよ。なに、一つや二つ減っていたって気づくものか。おや、これはまたえらく固いな。ほう、溶けるまで待ってから食べるのか。こんなものにも作法があるんだな。

 そうか、大きくなったとは思ったが昨日で成人だったのか。君はやはり、お母さんに似ているな。顔だけじゃない、雰囲気もだ。お腹にいろいろ溜めこんで、それを平気な顔で我慢している。そういう強さのある人だ。

 すまなかったな。いや、頼む。謝らせてくれ。刑事なんて仕事していたときはな、なかなか素直に頭を下げるってことができなかったんだ。俺一人の顔じゃない。仕事をしている仲間、世話になってる上司、全国にいる警察官一人ひとりとつながってるんだ。俺だけの顔じゃないと思うと、簡単には頭を下げられなかった。

 でもな、そんなのはやっぱり、あんたのお母さんにしてみれば勝手な言い分だったろう。本当に迷惑をかけた。夕夏さんはいっぱい溜めこんでるなんて話したが、そうさせたのは私たちの力不足だ。それは謝らなくちゃならない。

 ああ、そうだよ。言い訳にしかならないが、あのとき天藤てんどう貴音が、君の叔父さんが疑われたことには、それなりの理由があったんだ。うん、ちょっと待ってくれ。ハハ、順番に話さないと、歳のせいか記憶が不自由でね。

 うん……十五年前になるのか。神田にある倉庫から美術品が盗まれたんだったね。借りていたのは三十代の若者で、親が古物商をしていたが自分の代で店を畳んだ。ネットを通じた売り買いだけにしたらしいね。うん、私は会ったことがないんだ。東京から刑事が来てね、私はその手伝いみたいなもんだった。

 ドアは、無理にこじ開けた痕跡がなかった。もちろん鍵を入手できた人物が他にいなかったわけじゃないがね、貴音さんはあの倉庫会社ではいちばん若くて日が浅い社員だったから、信頼という面では疑わしかったのさ。

 動機もあってね、貴音さんは付き合っていた女性から詐欺同然に貯金の大半を持っていかれた過去があった。そっちは裁判までいかずに済んだらしいんだが、貴音さん本人もちょっと金遣いにだらしないところがあったようで、借金が溜まっていたらしいね。盗難が発覚した翌朝に貴音さんが失踪したことがわかって、それで捜査本部は間違いなくクロだと早合点してしまった。

 うん、一人だけの犯行ではないことは初めから明らかだったんだ。盗まれたのは掛け軸とか日本刀とか二十点以上、いちばん大きな一木造の薬師如来像になると、幅が五十センチくらいの木箱に収められていた。一人で運べるわけがない、天藤貴音は鍵を開けるのだけ手伝わされたんだろうって話だった。

 その仏像が、貴音さんの無実を証明してくれたんだ。東北の、大地主だったお年寄りが亡くなってね、遺品を整理していてわかったらしい。ブローカーの間を転々としていたが、どうにか盗品を売買していた組織にたどり着いた。

 神田の事件も、けっきょく鍵を開けた協力者は別人だったんだね。うん、本人も自供しているし、貴音さんが無実なのは間違いない。もちろん、その仏像に限らず、盗品はひとつも持っていなかっただろうね。それは保証できる。残念だが、貴音さんがなぜ雲隠れしたのかまではわかってないね。警察に疑われているようだから身を隠せと、犯人が騙したんじゃないかと思うんだが。

 いや、違う。初めて君の家へ行ったときは、捜査に協力してほしいというお願いだけだった。寺墨町での目撃証言があったのはもう少し後だね。盗難が発覚したのは二月頭で、それから一週間も経ってなかったんじゃないかな。私が君に声をかけたのはもっと後だった。春になっていたね。その頃には目撃証言も聞かなくなっていたなあ。

 今だから言えるが、貴音さんが失踪したその夜から、君の家を張り込みしていたんだ。一ヶ月は続いたよ。あいにく、近所に家がないだろう。そう、野久さんだったかな。すぐ隣に家が建ったが、あの頃はまだ更地で、黒土が剥き出しのなんにもないところだった。しかたなく、少し離れたところから双眼鏡で覗いたね。しかし、私も同僚も、貴音さんの姿をみかけることは一度もなかった。

 ウーン、どうだろうね。一度も貴音さんが訪れなかったとは断言できないんだ。さっき言ったように、張り込みに良い場所がなくて、観察できる範囲が限定されていたからね。思い切って、山越えして裏のほうから家へ入ったなら気づかなかったかもしれない。

 ただね、人が増えれば口だって増える。買い物の量くらいは増えるはずなんだ。驚いちゃいけないよ。私たちは当然、それくらいはやる。もちろん、君のお祖母さんが畑仕事で作った野菜の分も勘定した。そこまでやったけれど、うん、わからない。私の感触としては、君の家に貴音さんがかくまわれていた気配はなかったね。未だに行方不明のままだ。

 無実だとわかるまで、三年。長いようで短いし、短いようで長い年月だ。どこで、なにをしているんだろうな。名前を変え、職を変え、顔さえ変わっているのかもしれない。どんな心境なのか想像もつかないが、元には戻れない事情があるのかもしれんな。

 手配写真をね、覚えなくちゃならんから何度も見たんだ。夕夏さんがそのまま男装したような、姉弟とはいえ、双子みたいに瓜二つの顔でね。君の家を訪れて夕夏さんと会うたび、この人は天藤貴音の変装じゃないかって、馬鹿げたことをよく考えたよ。

 なんだって。ああ、それなら確かに盗品の一覧にあったな。たしか日本刀は二振りあったはずだ。それがどうかしたのかな。

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