四 探偵との取り引き

 店内はほぼ満員だった。朱路と同じ背広姿もいれば、喫茶店だというのに乾杯をしている振り袖姿の集団もいる。文化センターの建物に隣接する店だけに、おおかたはバスの時刻や迎えの車が来るのを待っているのだろう。

 森澄もりすみこん。渡された名刺に書かれていたのは名前と連絡先だけで、肩書きがなかった。一人掛けのソファに座る人物を、朱路はもう一度みつめた。ガラステーブルだから頭から爪先まで観察できる。緋色のツーピースにクロスタイ、そしてベルボトム。どこかの航空会社が新しく発表したキャビンアテンダントの制服だと言われたなら間違いなく信じただろう。

「探偵みたいなことをしています」

 鼈甲べっこう縁の眼鏡の奥で、瞼を細めながら微笑む。二十代後半といったところだろうか。長い黒髪が鎖骨まで伸び、明るい照明の下でも性別はよくわからない。

 やんちゃな新成人が暴れることもなく、古輪ふるわ市の成人式はつつがなく終了した。午後からは出身小学校での集まりがあり、バスで移動するつもりだった。ホワイエで旧友をみかけ雑談を交わしていると、男とも女とも判断のつかない美人に声をかけられた。野久洋司の事件について話がしたいと、この喫茶店へ誘われた。

「泥棒みたいなこともしてるのか」

 ハハハ。照れ笑いをしながら森澄はソファの上でのけぞった。

「参りましたよ。君のお父さんに懐中電灯で頭を割られそうになりましたからね。明日で成人という日に、かくれんぼや鬼ごっこをするとは思いませんでした」

 明日で成人という日?

「同い年なのか」

 森澄は澄ました笑みを浮かべている。そういえばこのキャビンアテンダントじみた格好、成人式会場の隅っこにみかけた覚えがある。ふと古い記憶が蘇り、朱路は声をあげた。

「ひょっとして、あの森澄となにか関係あるのか? 船上刑務所の事件を解決したとかいう」

 あれは何年前だったか、神戸で新興宗教団体の教祖が逮捕される事件があった。その事件解決に素人探偵が関わったという噂をずいぶん後になってからネットで見かけた。その素人探偵の名前が森澄ではなかったか。

 森澄は否定も肯定もしなかった。ただの大学生ですよ、頼まれ事があるとアルバイトのつもりで引き受けるだけで。弁解するように言い添える。

「納屋なら、警察が調べつくしただろ」

「ええ、そうなんですけどね。ちょっとだけ、どうしても確かめたいことができてしまって。ボクの悪い癖です。どうです? ご家族の様子は。さぞショックだったでしょうね」

「悪いが、知らん。俺は昨日、帰省したばかりなんだ」

 ふと視線がカウンターのほうへ吸い寄せられた。女性店員ばかり集まってジャンケンをしている。ポニーテールの店員がチョキを突きあげ、嬉しそうに飛び跳ねていた。

「電話では?」

「どうだろうな。ウチのお袋、あまり顔にださないたちだからな」

「昨晩はどうです?」

「話さなかった。あのな、察せよ。隣の家のご主人が行方不明になりました。我が家にずっと死体があったのに誰も気づきませんでした。後ろ暗いところはなくたって、そりゃ気まずいに決まってるだろ。晩飯の話題になんかできるか」

 失礼します、と声がかかった。ポニーテールの店員が立っていた。ブレンドコーヒーを二つとザッハトルテをガラステーブルに置く。ありがとうと森澄が告げると、店員は慌てたように顔をお盆で隠して立ち去った。

 森澄はコーヒーにミルクを入れ、スプーンで数回かき混ぜた。ゆったりとした動作で口元へ運ぶ。

「……あけびに、頼まれたのか」

 朱路は砂糖壺を手にとった。ひと匙の砂糖が黒い水面へ雪のように消えていく。

「アケビ? 高級食材のアレですか。昔は野山でいくらでも採れて、子供がおやつ代わりにした庶民的な果物だったそうですね」

 元の位置へ砂糖壺を戻そうとしていた手を止め、朱路はまっすぐ森澄の顔を見た。

「洋司さんの下の娘だ」

「あ、そうでした」悪びれない表情で、森澄がぺろりと舌先をだす。

 朱路はコーヒーカップを口元へ運んだ。普通なら、一介の高校生がプロの探偵に依頼するはずもない。だが、ついこの間まで自分と同じ高校生だった素人探偵なら抵抗感は薄いだろう。

 なるほど、あけびさんは他殺を疑っているんですね。コーヒーの香りを愉しむように森澄は顔を伏せていたが、やがて明るい表情で言葉を続けた。

「職業倫理上、依頼主は明かせません。とはいえ正直なところ困ってたんですよね。八年前ですよ? 小学生の頃に起きた事件なんて調べようがありませんよね」

 森澄はカップを受け皿へ戻した。かちり、と微かな音がした。

「そこで、です。取り引きしませんか」

「取り引き?」

「野久洋司さんが無断で納屋に入った、もっともらしい理由をでっちあげてください」

 カップを宙に浮かせたまま、朱路は口をつけるのを忘れた。なんだ、こいつは。

「さっき、職業倫理がどうとか言わなかったか」

「嘘をつけとは言ってません。それを聞いて、なるほどそうだったのかと満足する、ほどほどに意外で面白い話。それさえ提示できればいいんですよ。たとえば、お母さんの様子はいかがです。感情が不安定になっていたりは?」

 昨夜の食卓が脳裏を過ぎった。「なんのことだ」

「ありがちなパターンじゃないですか、不倫ですよ。あなたのお母さんはこっそり納屋で洋司さんと密会していた」

「おまえなあ……」

「これくらい不愉快でないと真実味がないでしょう? もちろん、あとで依頼主が簡単に嘘だと見抜けてしまう内容はNGです。それなりに裏はとっておくべきでしょうね」

 森澄がフォークを手にした。四角いザッハトルテの一隅を崩す。

「夕方、音楽が流れますよね。遠き山に日は落ちて」

「それがどうかしたか」

「夕夏さん、放送を止めさせようとしたことがあるらしいですね。ご存知でした?」

 なんのことだ。反射的に言い返そうとした。森澄は手首の内側に目を落とすと「そろそろバスの時刻ですね」と告げた。

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