九 響く銃声

 病室を警護していた警察官は桜木と名乗った。二十代後半だろうか。鍛えられた身体つきが制服の上からでも伺える。焦点のぼやけた目つきが不安要素だが。

 釈迦河と反町が駆けつけたとき、砧正輝ともう一人の男はすでに病室へ入っていた。いつでも撃てるようにしていてくれ。釈迦河が指示すると、桜木の表情に緊張の色が走った。

 扉に顔を近づけ、反町は耳を澄ませた。なにも聞こえない。自分の息をうるさく感じた。階段を全力で駆けあがってきたばかりだ。引き戸の取っ手に釈迦河が指先をかけた。目配せを交わし、一気に扉を開ける。両手で銃を構えた桜木が先に飛びこんだ。

「銃を捨てろ!」釈迦河の怒号が響いた。

 目に飛びこんできたのは、リノリウムの床に正座する砧正輝の姿だった。ベッドから秋保がそれを見下ろし、その横に小型拳銃を手にした青年が立っている。銃口は、まっすぐ秋保のこめかみを向いていた。背広のサイズが合っていないのか、袖から手首が覗いている。

「椚啓太」反町は静かに命じた。「銃を床に置け」

 感情のこもらない目つきで、啓太は桜木が構える銃を眺めていた。無精髭を剃り、髪には櫛を入れている。昨日、駐車スペースで藤沼春樹の証言に付き添ったときとは印象がまるで違う。反町がすぐには誰なのかわからなかったのはこのせいだ。

 努めてゆっくりと啓太は動いた。刑事たちを刺激することを恐れるかのように、極めて慎重に。空いている左手で秋保の腕をつかみ、そっと、その手に銃を渡した。

 意表を突かれ、釈迦河は口ごもった。被害者の手の中にある凶器。なにをするのか。なにをさせるつもりなのか。凍りついたように病室内の時間が止まった。

「俺が犯人だ」声が外へ漏れるのを恐れるように、啓太は小声だった。

「一昨日の晩、この人を撃った。でも、撃ちたくて撃ったんじゃない。そこにいる男に、砧正輝に命令されて襲った」

 もっと話したかったけど、無理みたいだな。啓太が腕を下ろした。

 今、小型拳銃は完全に、秋保の手の中にあった。夫に裏切られた妻は、手の平に収まる黒い金属の塊をみつめている。

「後は、好きなようにしてくれ」

 桜木が、釈迦河の顔を窺った。唖然とした表情になった正輝が気圧けおされたように床へ後ろ手を突いた。やめろ、と数人が同時に制止の言葉を投げた。

 銃声が轟いた。

 秋保が両手に銃を構えていた。まっすぐに伸ばした腕をベッドの傍らへ向けている。流血する太腿を抱えるようにして、椚啓太が崩れ落ちた。

 死ね、偽善者。砧秋保が言い放った。声が震えていた。ほくろのひとつさえ無い、まるで能面のような顔。

 釈迦河がそっと背後から抱きかかえるようにして腕を伸ばした。だが、硬直しきった女の手から銃を引き剥がすことは難しかった。

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