7.腓返

 朝、栄輔は全身のむず痒さと共に目が覚めた。

 既に轟号とどろきごうは走り出しているようで、不自然な揺れは第一火砲車の前部砲塔に霧脚きりあし鋏脚きょうきゃくが残っているからだろうとまだ眠気の残る頭で思った。

 寝台に仰向けになったまま毛布を捲り、目で全身を確認していくと、あちこちに赤い擦れ跡があった。特に太股の内側が酷く、膝の辺りまで長く擦り傷が繋がっていた。やはり昨晩下着の上に直に防禦服ぼうぎょふくを着たのがまずかったようだった。

 強張った関節をぎくしゃく動かし梯子を下りると、自分のロッカーを漁り背嚢はいのうから菅屑半紙すげくずはんしの蓋に硬筆の字で"万能軟膏"と走り書きされた壺を取り出した。

 これは栄輔が芥村から退職金代わりに持ち出してきて、八裂市で売らなかった品物の一つで、山狩師やまがりしをしていた頃からよくお世話になっていた膏薬だった。

 ロッカーの前にどっかり座り込み擦れ跡の一つ一つに軟膏を塗り込んでいると、第一貨物車の後部から両手で何かを抱えた飯炊めしたきがやってきた。

「もう起きたのかい、栄輔」

「いや、これじゃ嫌でも目が覚めるよ」

 栄輔は右股内側の擦り傷を指差しながら言った。そこの様子を見た飯炊は「それもそうだね」と言って苦笑いを浮かべると、抱えていた紙包みの一つを差し出した。

 受け取った栄輔が包み紙を開くと中には陸生藻類りくせいそうるいの一種である反故海苔ほごのりで包まれた、冷え切った雑飯ぞうはんの握り飯が二つ入っていた。

「今朝列車長から朝餉あさげは火を使わずに作れる物にしろって言われてね。こんな物になってしまったよ」

 飯炊の話を聞いた栄輔も「それもそうだね」と言った。煙が上がってもすぐには外に漏れ出さない旧駅舎の中なら兎も角、遮蔽物のない密林帯のど真ん中で火を起こせば煙が略奪者が轟号を襲う際の目印になったり、煙に驚いた異形変異生物が興奮して襲ってくるかもしれないというのは栄輔も考えていた。

 軟膏の壺に蓋をすると、乗員用乗降口前の段差に腰掛けるように座り直し、栄輔は握り飯に齧りついた。

 握り飯は細かく刻んだ青菜類を合成塩で味付けし、雑飯に混ぜ込んだのを握った物だった。相変わらず辛みのきつい合成塩としゃくしゃくと歯に磨り潰される青菜が昨晩の一仕事でまだ僅かに疲れが残る身体に活を入れてくれるのを感じた。

 その様子を見ながら飯炊は同じく握り飯が入っているらしいもう一つの包みを雀の寝台の梯子の側に置き、霧脚との戦いの時思ったより距離が稼げていた事、そのおかげで予定より早く午前中の内に腓返こむらがえりに着きそうな事、栄輔が眠りに就いた後霧脚の攻撃でぐらついていた第一機銃座の機銃がとうとう倒れて使い物にならなくなった事、午後の荷物の積み下ろしが始まるまでの時間を使ってその機銃を交換するという事を手短に話してくれた。

 栄輔がそれを聞き流しながら握り飯を貪っていると、何かを踏んだのかそれとも線路の継ぎ目を変な越え方をしたのか、第一貨物車の雀の寝台がある側ががこんと大きく揺れた。

 それを切っ掛けに寝台からがさごそ音がした後、唐突に屏風びょうぶカーテンが開かれ寝ぼけ眼を擦りながら雀がきまり悪げに梯子を下りだした。昨晩の疲れがまだ残っているようで、雀にしては随分と緩慢な動きだった。

 暫く飯炊と共に様子を見守っていたが、その足の行く先にある物に気付いた時、栄輔は思わず大声を上げた。

「雀、足元!足元!」

 栄輔の声にはっと目を見開いた雀が梯子の下にある物に気付いた時、雀の右足は梯子の最後の一段に掛かっていた。雀は迷わず梯子を蹴って飛び退いたがなまじ低い位置だった事が祟り、第一貨物車がまたどすんと揺れる程思い切り尻餅をついた。梯子の下で危うく踏まれそうになっていた物体は飯炊が持ってきた握り飯の包み紙だった。

 その様子があまりに滑稽だったため、まず飯炊が笑い出し、続いて栄輔も笑いに加わり、最後に雀が笑い出したため、その場が奇妙に和やかな雰囲気になった。

 ふと窓から外を見ると、活発化した菌糸雲きんしうんで空が灰色になりつつあるのが見えた。


 それから間もなくして轟号は飯炊の言った通り、太陽の位置がある程度分かる内に腓返に辿り着いた。

 八裂を出た時とは逆に密林帯からまず田園地帯に入り、街中に近づいていくにつれ建物の数が増えていった。

 腓返は八裂程の規模は無いがその分人が密集しているようで、周りがほぼ建物だけになると、線路脇の道路に暗い色ばかりの防水布ぼうすいふの屋根をした屋台が立ち並び、線路にはみ出さんばかりにたくさんの人が行き来するのが見えた。

 腓返駅が近づいてくると、線路が幾つにも分かれ出し、轟号は一番左端の線路に移った。

 速度を落としながら街と同じく八裂駅よりも小さな駅の構内に入ると、そこで待っていた四指よんしアーム式揚貨機ようかきが付いたトラックの横に轟号は停車した。

 栄輔が服を着ながら乗員用乗降口から外を見ていると、前部機関車の乗降口から降りてきた列車長がトラックの側や荷台の上にいた男の中の一人と二言三言言葉を交わすのが見えた。

 すると第一貨物車に水色の作業着姿の二人の男が入ってきて、梯子から屋根に上がっていき、作業が始まった。

 暫くの間栄輔は二人の男が使っているらしい電動工具が響かせる騒々しい音を聴き、それに併せて通路のただでさえ暗い電気灯が更に暗く消えかかるように明滅するのを眺めているだけだったが、ふと引き戸が開けっ放しの乗降口に目を向けると、トラックの側で作業員の棟梁らしい男と共に作業を見守っていた列車長に手招きされた。手招きされるまま栄輔は列車長の許に向かった。

 外に出ると、屋根の上でさっき第一貨物車に入ってきた二人の男が、工具を振るっては部品やそうだったらしい物体を無造作に下へ投げ捨てていた。

 機銃座を解体しているというよりは破壊していると言った方がしっくり来る音を背後に聞きながら、栄輔はトラックの荷台を覗き込んだ。

 そこにすぐにでも使えそうな状態で置かれていた機銃座に備え付けられた銃火器は、栄輔も驚く代物だった。

「これは、粒子りゅうし力線銃りきせんじゅう!」

 金管楽器に防楯ぼうじゅん付き銃身と銃把じゅうは銃床じゅうしょうを付けて無駄な部分を徹底的に削ぎ落としたような見た目の銀色に光る銃は、確かに粒子力線銃だった。粒子力線銃は片手で持って扱える物でも銃器としては最高峰の威力を持っているので、目の前にある栄輔の身長に迫る長さはあるそれが大きさ相応の威力を持っているだろう事は手に取るように分かった。

「軍がこれの実戦試験をやっていてな、うちにも一つくれと言ったらすんなり手に入った。前のと比べて安定性が増しているらしい。きっと良い銃だよ、これは」

 列車長が自慢げに言った。栄輔がそれを眺めていると、すぐに古い第一機銃座の解体が完了したことを屋根の作業員が告げ、続いて粒子力線銃の取り付け作業が始まった。

 トラックの側にいた作業員の有線リモコンの操作に併せて運転台と荷台の間に備え付けられた揚貨機が動き出し、アーム先端の四本の指が粒子力線銃を囲む防弾囲いを強すぎず弱すぎずの絶妙な力加減で掴んだ。そのままアームは幾つもの関節を伸ばしていき、轟号の屋根で待っていた作業員の笛が取る音頭に合わせて新しい機銃座を持ち上げ、古い機銃座のあった場所にゆっくりと降ろした。そこで作業員が何ヶ所か屋根に電気螺子ねじ巻きで螺子留めしたところでアームが離れていき、続いて作業員は工具を溶接機に持ち替えて橙色の火花を散らしながら機銃座を屋根に更にしっかりと溶接していった。

 この一連の流れの間にほんの少ししか経っていないと思っていたのだが、後できねに会った時「あんな物見てて面白いか?」と言われて、栄輔は実際にはかなりの時間がかかっていた事を知り、驚いた。

 作業を終えて屋根を下りた作業員の片割れが轟号から出てきて、栄輔と列車長にきつい訛りが入った声で言った。

「取りええず機関車の電源と繋いだで、撃っでみでくでせえ」

「だそうだ。やってみるか?」

「はい」

 列車長に一言答えて栄輔はもう一人の作業員とすれ違う形で屋根に上った。

 新しい機銃座に備え付けられた前よりも長くなった支柱には三つの関節が付いていて、銃身を支えるというよりは照準を合わせる手助けをする役目があるようだった。

 足元を見ると支柱の根元から少しだけプラグが出ており、すぐ側にある二つのコンセントのうち"機関車"と書かれたコンセントと繋がっていた。

「トラックの運転台の屋根に空き缶が置いてあるから、点検が済んだら威力最弱で試し撃ちしてみてくれ」

 下から列車長の声が聞こえた。

 栄輔に与えられた粒子力線銃は銃の後ろに立つのではなく、左側に立って銃床を肩に押し当てるように持つタイプのようだった。

 粒子力線銃は普通、正しい構え方をすれば目の前の左側面に制禦盤せいぎょばんが来る。この制禦版から粒子力線銃の威力から危害範囲まで全て設定できるようになっている。

 制禦盤も栄輔が使ったことがあるタイプだが、威力と危害範囲を調整する二つのツマミは"オフ"と1から10までの十一段階で、その点でも手持ち式の六段階までとは格段に破壊力の差がある事が分かった。

 取り敢えず栄輔は列車長の言う通り、点検から始めることにした。

 粒子力線の点検は分解する場合としない場合があるが、分解しない場合の手順はこうである。

 まず主電源と吸排気系の電源スイッチを入れ、直角レバーを倒して吸気口を開き、引き金を引いて回る吸気扇に異物が引っ掛かっていないかを確認する。続いて引き出しレバーを引き出して排気口を開き、また二、三度引き金を引いて異音が出ていないかを確認する。

 今回は威力最弱で撃つので吸気口を閉じて更に引き金を引いて入念に排気だけを行った。

 次に加速系の電源スイッチを入れ、制禦盤に付いている銃の温度や粒子貯蔵量といった稼働状況を示すランプが全て正常を示す緑であることを確認し、制禦盤の反対側を開けて加速器本体も目視で確認する。

 もっと高価な銃は稼働状況を数値で詳しく表示してくれると聞いた事があったが、栄輔はそういう粒子力線銃の実物を見た事は無かった。

 最後に射出系の電源スイッチを入れ、威力と危害範囲のツマミを設定し、加速器に接続していない状態で銃身の付け根にあるレーザー発振器から赤いレーザーが異常なく真っ直ぐ出ているかを確認する。

 威力と危害範囲のツマミは最弱で撃つので"1"に設定したが、危害範囲の方は後から変えながら撃つつもりだった。これなら吸気口を開けていないのも手伝って、人に当たってもチクリと刺すような痛みがある程度のはずだった。

 最後に加速器前部にある持ち手を押してレーザー発振器に接続し、安全ボルトを引いて射撃準備が完了した。

 さあ撃とうと銃本体を貨物車横に向けようとしても上手く動かないのでどういう事かと調べていると、粒子力線銃下部と支柱を繋ぐ円盤関節に付いていた電源スイッチが切れたままだったので、すぐにスイッチを入れて気を取り直してもう一度銃をトラックがある方に向けた。関節付き支柱のおかげで恐ろしく大きい粒子力線銃を栄輔は軽々と振り回すことができた。

 トラックの運転台の屋根には列車長の言う通り、空き缶が並べられていて、すぐに試し撃ちができるようになっていた。

 栄輔は一番左端に置いてある空き缶に目玉型照準器で狙いを定め、引き金を引いた。

 途端に銃口から粒子力線銃特有のジガという独特の発射音と共に青白い光線が発射され、空き缶が高く舞い上がって道路に落ちた。

 残りの空き缶も正確に狙いを付けて一本一射で吹き飛ばしていった。

 道路に落ちた空き缶を作業員が拾って屋根の上に並べ直してくれたところで今度は引き金を引いたまま空き缶の列を右から左へ薙ぎ払った。

 今度はジガジガジガと言う忙しない発射音と共に空き缶がリズミカルに飛び上がり、心地よい落下音が五度道路で上がった。

 この後も栄輔は作業員や列車長に空き缶を並べ直してもらいながら、危害範囲のツマミを切り替えては色々な撃ち方を試していたが、何度も撃っているうちにある事に気付いた。新しい粒子力線銃は何度撃っても動作不良を起こさなかった。

 栄輔が使ったことがある粒子力線銃は、二、三発撃っただけで何かしらの不具合を起こす代物だったが、こんなに撃っても動作不良を起こさないなら、これから先どんな敵が現れても必ずこの銃は確かな結果を残してくれるだろうと栄輔は心強く思った。


 粒子力線銃を取り付ける作業をしたトラックが去った後、捨てられてしまう葉菜ようさい類の茎等を利用した再生ふりかけを乗せた雑飯と、合成肉と螺旋牛蒡らせんごぼうの入った味噌汁の昼食を栄輔が後一口で食べ終わるという時、不意に轟号の中が慌ただしくなった。

「栄輔、仕事だ。急げ」

 読んでいた服飾雑誌を枕元に置いて寝台から下りてきた雀に急かされ、栄輔は雑飯と味噌汁をまとめて口の中へ掻き込み、アルミ箱を飯炊に返して飯炊、杵、うすの三人と共にすぐに第一貨物車前部に戻って来た。

 第一貨物車と前部機関車の連絡口前には雀の他に列車長、九九きゅうきゅうニ四にーよんが居た。

 開け放たれた乗降口から外を見ると、駅構内の道路に入るための検問ゲートにバンボディのトラックが止まっているのが見えた。市街地巡回用なのか、そのトラックは非武装だった。

「よし、みんな揃ったな。最初は第一貨物車だ」

 列車長はその場にいた轟号の乗員達にてきぱきとやる事の指示を出していった。

 間もなく検問ゲートを抜けたトラックが第一貨物車に横付けし、上り方面から手首を胸の前で垂らしているように見えることから、"機械の幽霊"と通称される型の拡張かくちょう外骨格がいこっかくに乗った駅員がやって来た。

 続いてフラットボディの屋根なしトラックが入ってきて、これは第一貨物車のすぐ後ろに連結されている第一火砲車に横付けした。

 栄輔の仕事は雀や九九、ニ四や拡張外骨格と共にトラックと貨物車の間を行き来し、荷物の受け渡しをする事だった。

 側面に派手な衣装を着た男が荒々しい筆致で描かれたトラックの、箱型荷台から降ろされてくる荷物を受け取り、貨物用乗降口の開けられた第一貨物車内の列車長や飯炊や杵や臼に渡し、逆に第一貨物車から降ろされる荷物を受け取ってトラックの乗員に渡した。

 トラック側で栄輔達に荷物を渡す作業をしていた背中に電気銃を背負った猪だという調整人間ちょうせいにんげんが、たまたま暇ができた時、霧脚の鋏脚をくっつけたままの第一火砲車の砲身を見て「おたくも派手にやるもんだねえ」と呟いた。

 本当はもっと作業員を増やせばもっと速く作業が進むのだが、鉄脚てつあしを始めとする第一火砲車要員は砲身の交換作業の為に参加できず、運転手兼無線手の錆目さびめは無線番の為に、見張員のゴーグルは昨晩玉トンボが持ち帰った情報の解析が終わらない為に作業から離れていた。

 その後もトラックがやって来ては轟号に横付けし、貨物車と荷物の受け渡しをし合い、時々栄輔達はそれに合わせて積み下ろし作業の手伝いに向かった。

 特に大変だったのは第一貨物車から遠く離れているうえに乗員が貨物係兼機銃手ともう一人の機銃手の二人しかいない第六貨物車で、その上に積み下ろしする品物がどれもこれも一段と重い物ばかりで、そこでの作業だけでもう栄輔は全身汗だくのへとへとに疲れ果てていた。

 便所の汚物を吸い出す汲み取り車と弾薬を載せた補給車の作業を見ながら次のトラックを待っていると、九九がやって来た。

「轟号は『法が定める武装貨物列車の一両当たりの乗員数』を満たせている貨物車は第一貨物車だけらしいぜ。俺もどういう事なのかさっぱりだけど」

 九九がそう言いながら栄輔に『水虎すいこ・グレープフルーツ&ハーブ風味』と大きく書かれたパック飲料を渡してくれた。よく冷えていて防水コーティングされた菅屑半紙製のパック表面に水滴が付いていた。

 パック上部の三角形になっている部分を開けて一口飲んだだけで、さわやかな酸味と昨晩飯炊が淹れてくれた粉湯をきつくしたような香りが喉を流れ落ちていった。きついとは言ってもしつこいほどではなく、むしろ身体に活力を注いでくれるような香りだった。


 そうこうしている間にその日最後のトラックがやってきて荷物を積み降ろしを終えるともう、空が夕焼けで赤く染まり始めていた。

「列車長だ。自由時間に入る前に知らせておきたい事が二、三ある」

 第一貨物車に栄輔と雀が戻ってきたところで、急に列車長の放送が入った。

「まず昨晩霧脚の攻撃で損壊した旧市街の駅舎だが、これは腓返駅が修復の為の決死工作隊けっしこうさくたいを編成して出してくれることになった。工作隊の出発は明朝だが、下りの際の心配はいらないだろう」

「決死なんて大袈裟な……」

 栄輔はそう呟いたところではっとなった。自分達が霧脚に襲われたように、腓返から旧市街までの道程には様々な脅威が待ち構えているのだから、命懸けで修復に向かうのは分かり切っていた事だった。

「路線を守ることに命を懸けてくれる奴がいるから、おれ達も安心して轟号を守ることに命を懸けられる」

 雀が無感情な目つきでスピーカーを見つめながら言った。列車長の放送はまだ続いた。

「続いて有脚ゆうきゃく作業車さぎょうしゃについての続報だ。昨晩偵察に行かせた玉トンボが持ち帰った情報の解析が完了した。その結果、我々が旧駅舎に停車していた時、そう遠くはない場所に有脚作業車が居た事が分かった。おそらく狙いは轟号の積み荷。腓返から野衾市のぶすましの間で仕掛けてくると考えられる」

 列車長の言葉が途切れるのに併せて栄輔が雀の方を見ると、雀が無言で視線を合わせてきた。明日は間違いなく略奪者との戦いが待っている。どちらかが、あるいは両方が死んでもおかしくない。覚悟は出来ているか、とその目で伝えていた。

「最後にそれに関してもう一つ。玉トンボが帰還途中、有脚作業車の方へ向かう霧脚の姿を確認している。昨晩交戦した霧脚と同一個体と見て良い。有脚作業車から攻撃を受けて錯乱し、轟号の方へ向かってきたと思われる」

 栄輔の中で全てが繋がった。霧脚が現れる直前聞こえたあの破裂音は、有脚作業車の銃撃音だったのだ。

「今夜は明日に備えて早めに就寝し、万全の態勢で輸送に当たってもらいたい。以上!」

 そこでぷつりと放送は唐突に終わった。同時にどっと車内が騒がしくなった。恐怖からのざわめきと言うよりは、緊張が解けてこれから自由に騒げるという喜びからのざわめきだった。

「雀、今、列車長が有脚作業車が来るかもしれないって……」

 栄輔は不安げに言った。

「そんな事今気にしてどうする。どうせ羽目を外せるのは今夜で最後かもしれないんだ。明日の事は考えずに今夜を楽しもうぜ」

 そう言って雀はさっさと第一貨物車を出ていってしまった。右側の乗降口から外を見ると、多くの乗員が次々と轟号を下りているのが見えた。

 第一貨物車に一人だけ残された栄輔はしばらくの間立ち尽くしていたが、やがて雀の言う事ももっともだと思い直し、轟号を下り、線路を横切って高床ホームへ上ると、丁度駅名標の側に第一貨物車要員と雀の言う"ご近所さん"の面々がたむろしていた。

「おう栄輔ぇ、こっちだあ」

 鉄脚に呼ばれて栄輔もその塊に加わった。

「今夜これから俺達はどうするか相談しててな、売春窟ばいしゅんくつへ行く奴らと銭湯へ行く奴らとに分かれた所なんだ。お前はどっちへ行きたい?」

 すぐ隣に来た臼が言った。詳しく話を聞くと、杵、臼、ニ四、その他第一火砲車の砲手らしい四人が売春窟へ行き、残る七人が銭湯へ行くという事だった。鉄脚も火砲車の仲間と一緒に行かないのかと訊ねると、鉄脚は「俺ぁもう女遊びをするような歳じゃあねえんだよ」と笑って答えた。

 栄輔は丁度良い機会なのでここで女遊びを覚えるのも悪くないと思っていると、その背中を押すように杵が「俺達に付いていくなら良い女を紹介してやるぞ?」と言った。

 それじゃ僕も売春窟にするよ、と言いかけたその矢先、ニ四が耳打ちをした。

「あいつらの目を信用しない方が良いぜ。一におっぱい、二におっぱいで顔や器量やあそこの具合なんててんで気にしない奴らなんだ。ロクでもない女を紹介するに決まってらあ」

 それを聞いた栄輔はその杵と臼がすぐ目の前に居るのも手伝って、自分の表情が曇っていくのを感じた。それと反比例するように杵と臼の顔がみるみる赤くなっていった。

「おい二四、栄輔に何を吹き込みやがった!?」

「君達の美的感覚に対する個人的な評価をちょっとね」

「俺達の女を見る目が節穴だってか!」

 顔を真っ赤にして食って掛かる杵達とそれに対して毒を含んだ言い回しで返す二四の口喧嘩と共に、腓返は夜の帳を下ろしていった。

 結局栄輔は売春窟ではなく銭湯に行く方を選んだ。


(つづく)

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