4.密林帯

 いびつな太陽が空の頂に差し掛かった頃、止め処なく続くと思われていた建物はその数を減らし、轟号とどろきごう長閑のどかな田園地帯に差し掛かった。

 昼食は朝の残りの雑飯ぞうはんと火を使わずに調理できる水で戻した味付きの合成干し肉で、干し肉はたれで甘辛く、それだけで食べると舌が暫く使い物にならなそうになるほど濃い味だったが、箸を使って雑飯を包むようにして一緒に食べると、淡白な味の雑飯が上手く釣り合いを取ってくれて、いくらでも食べることができた。

 轟号の左右には水が張られ、鮮やかな緑色をした藻が浮いている沼畑ぬまばたけが広々と広がり、行く手には密林帯が黒々と待ち構えていて、それらの更に向こうには菌糸雲きんしうんを背にいくつもの大きな山が鎮座していた。

 休戦した現在も、大陸から石油を輸入できない島嶼連合では、乗り物を動かしたり電気を起こしたりするのには藻類燃料が最も多く使われている。その原料となる藻を栽培する沼畑の事を"油畑あぶらばたけ"と呼ぶ。

 栄輔は油畑を見たのも初めてだったが、その広さにただただ圧倒されるばかりで、芥村を出てから驚いてばかりだなと思った。

 第一機銃座での助手で先輩格の雀といえば、外の景色には目もくれず、雑飯と合成干し肉の入っているアルミ箱に顔を突っ込むようにして食べ物を掻き込んでいた。

「雀、良い景色だよ。見ないの?」

「こんな景色、楽しめるのも今のうちだぜ。貨物列車に乗ってると見過ぎてうんざりしてくらあ」

 雀が飯粒を唇の端に付けたまま言った。彼女は口は悪いが面倒見のいい人だという事はよく分かっていた。

 第一貨物車の乗降口の窓の外を流れる景色を見ながらも栄輔の気持ちは、轟号の今回の最終目的地だという野衾市のぶすましに向かっていた。

 八裂市から遠く東へ向かった所にあるという野衾市、そこは朝から列車を走らせてようやく出られた八裂市よりも遥かに大きく、野衾市の中だけを走る列車がある程だというのが、野衾市について栄輔が知っている限りのことだったが、だからこそどんな場所なのか色々な方向に想像力が働いた。

 その道のりに様々な危険があるからこそ轟号は武装しているというのも理解していて、自分ができることならばどんな事でもやってやろうと決意を新たにした。

 また同時に、轟号の中でも自分の持ち場に近い場所の仲間達にも思いを馳せた。

 轟号の一切を取り仕切る列車長、第二機銃座の双子のきねうす、第一貨物車の貨物係兼賄い役の飯炊めしたき、第一火砲車長の鉄脚てつあし、見張員のゴーグル、前部機関車の機銃手で調整人間の九九きゅうきゅうニ四にーよん、運転手兼無線手の錆目さびめ――そこで栄輔はふと、調整人間の九九とニ四はともかく、轟号の乗員はほぼ皆通称で呼ばれていて、自分はまだそれで呼ばれていないことに気付いた。

 そのことを雀に言うと、雀は「野衾市に着くころにはあんたも渾名あだなをもらえてるだろうさ」と待ち遠しげに答えた。

 間もなく轟号は果てしなく広がる田園地帯から鬱蒼と生い茂る密林帯へと入っていった。

 左右の景色も毒々しい様々な色をした植物群に変わり、窓に顔を押し付けるように外を見ると進行方向に向かって一本の線路がどこまでも続いているのが見えた。

「さあ、そろそろ防禦服ぼうぎょふくを着よう。いつ戦闘配置の指示が出てもおかしくない頃だ」

 栄輔は密林帯に入ってそう遠くない場所に網行列あみぎょうれつが巣をかけているという話を思い出した。いよいよ自分達が戦う時が来るのだと思うと身が引き締まった。

 雀が空になったアルミ箱を持って立ち上がった。栄輔も合成干し肉の最後のひと欠片を口に入れて立ち上がった。

 まず第一貨物車の後部にアルミ箱を返し、前部に戻ってすぐにお互いに自分のロッカーを開けた。

 防禦服セットは大きく分けて手袋、ブーツ、本体、裾付きメットに分かれている。

 まず両手に手袋を嵌める。続いて上下一体となっている本体に足を通し、内側の肩紐を引っ掛けてから袖に腕を通す。袖口から手袋の裾を出したら、紐を強く引いて口をきつく絞って隙間を無くし、本体前面の二重ジッパーを上げたら次はいつも履いている作業靴の上からブーツを履き、側面の留め具三つをかけて閉じる。最後は裾付きメットを被り、これを本体首元の輪と接続する。

 これで様々な脅威から身を守るための防禦服が完成する。

 栄輔と雀はほぼ同時に防禦服の装着を完了し、互いに顔を見合わせた。

 栄輔の防禦服は光沢のある白で、裾付きメットは潜水服のような丸い覗き窓から外を見るようになっていた。一方雀の防禦服は鮮やかな青色で、裾付きメットの覗き窓は頭の半分ほどはある大きな口のような形をしていた。

 二人が着終わるのを待っていたかのようにブザーが二度鳴り、「総員、戦闘配置!」という列車長の声が貨物車内に響き渡った。

「さあ行こう!初仕事だ」

「ああ!」

 雀はロッカーから取り出した刃物入りのホルスターを腰にベルトで括り付けた。

 栄輔も寝台の壁側に立て掛けてあった火薬式の連装ばら撒き銃を引き寄せ、ロッカーから菅屑半紙すげくずはんし製の弾薬箱を取り出したところで雀がそれを渡してくれないか、というような仕草を見せた。

「その銃はおれが使ってもいいか?」

「いいよ。どうせ機銃を使ってたら撃てないしね。使い方は分かるのかい?」

「鉄脚に教わってるから大丈夫だ」

 栄輔は両方とも雀に渡した。

 弾薬を防禦服太股のポケットに詰められるだけ詰め込み、栄輔から受け取った連装ばら撒き銃を肩に提げ、雀は一気に梯子を上り丸扉から屋根へと姿を消した。

 残された栄輔も少し考えた後、ロッカーに預けてある背嚢から折りたたみ警杖けいじょうを取り出し、ポケットに突っ込んで梯子に足を掛けた。

 開け放たれていた丸扉に近づくと、雀が顔を出し手を差し伸べてくれた。栄輔が手を握ると力強く握り返され肩が外れそうになるほどの勢いで屋根に引き上げられた。

 轟号の周囲の景色はいつの間にか様変わりしていて、周囲の植物は葉をあらかた失くして枝には代わりに白い綿屑のような棚網たなあみが掛かり、行く手には更に天幕のような棚網が濃く線路を塞ぐまでになっていた。

 振り向くと雀が足元のあの蓋から取り出したらしい弾薬束帯だんやくそくたいを機銃に装填していた。

 第一貨物車の後部では後部丸扉から出てきた杵と臼らしい黄色い防禦服を着た二人の人間が第二機銃座に着き、第一火砲車は二つの砲塔をのんびりと、だが重々しく旋回させ始めていた。

 進行方向に視線を向けると、見張り櫓の上でごつごつした長銃を構える影が見え、根元のアーチの向こうには赤黒い袖無しレザーを着た二人の人間と紫色の防禦服を着てその身長ほどもある巨大な銃器を携えた一人の人間が屋根に陣取っていた。

 栄輔が機銃座に着くと、最後に前部丸扉から黒い防禦服を着た人間が背負っている物体にチューブで接続された銃器のような物を持って出てきて、丸扉を閉じた。

「みんな準備はいいか?来るよ」

 黒い防禦服を着た飯炊が銃器を構えながら言った。その先端には青い炎がぽつんと灯っていた。

 栄輔は連装ばら撒き銃を構える雀と背中合わせで機銃の持ち手を握り、進行方向を前として左側にゆっくりと機銃を向けた。

 糸で煙って遠くまで見通せない棚網の向こうから、細長い影が津波のように押し寄せてきた。

 身を波打たせ、ぎいぎいと威嚇音を立てながら轟号に迫る網行列は、背筋に沿って無数の半透明の毛を生やし、黒地にどぎつい赤と焦げ茶色の斑模様を付けた、中型犬ほどの大きさはある巨大な毛虫だった。

 これは五齢幼虫の特徴で、この後は繭を作るため幼虫だろうという事になっているが、成虫の姿は未だに確認されていない。

 栄輔は轟号の一番近くまで迫っていた一匹を目玉型照準器の中央に捉え、発射柄を引いた。

 途端に銃口から赤い破線が迸り、網行列を頭から順に吹き飛ばし、辺りに淡い黄緑色の体液を飛び散らせた。

 その栄輔の一撃が皮切りになったかのように、轟号のあちこちで銃砲撃が始まった。

 貨物車と機関車の機銃が火線を伸ばし、次々と網行列を血煙に変えていった。

 雀を始めとする機銃座の助手達も銃火器で武装しているようで、時折明らかに機銃の物でない弾が飛ぶのが見えた。

 火砲車は多くの砲塔が榴弾りゅうだんを選択したようで、信管の感度を高く調定された弾は糸に触れただけでも炸裂し、爆風が群れの一塊をまとめて押し潰した。

 飯炊が銃器の引き金を引くと、銃口からは弾丸ではなく点火された可燃液が飛び出し、網行列を植物や棚網諸共炎上させた。

 見張り櫓の天辺からは赤い光線が伸び、相手の身体に正確に赤い点を付けた瞬間緑の穴を開けた。

 見張り櫓の向こう側では、調整人間の九九とニ四が車体に纏わりつく毛虫達を素手で引き裂き、あの紫色の防禦服を着た人間が抱えた銃器のラッパ型の銃口を斜め後方に向け、撃つのが見えた。

 次の瞬間、栄輔の目の前を目には見えない巨大な何かが通り過ぎ、網と植物と網行列の体の一部を丸く削り取りながらどこまでも直進していった。

「今のを見たか?あれは波動銃だ。列車長が波動銃を撃ったらしい!」

 雀が興奮気味に栄輔に叫んだ。ところが、衝撃波が放たれたのは前にも後にもこの一度きりだった。

 栄輔も他の銃砲座に負けてはいられないと機銃を撃ちまくった。

 横一列で迫る網行列を栄輔が撃った機銃弾が一気に薙ぎ払った際は、背中合わせの雀が栄輔の背を肘で軽く小突き、裾付きメットの覗き窓越しに片目を瞑って見せた。

 見張り櫓が線路の上に張り出した枝を押しのけた拍子に落ちてきた一匹を、雀の連装ばら撒き銃が空中で撃ち落とし、第一貨物車の屋根に肉片と体液の雨を降らせた時、栄輔は雀の背中を小突き、軽く振り向いた雀に見えるように親指を立てて見せた。

 栄輔が機銃の弾を撃ち切り、その事をすぐに雀に伝えると雀はすぐに機銃座の底にある蓋を開けて弾薬束帯を取り出し、装填してくれた。

 一方雀はばら撒き銃をきっかり二発撃つ度慣れた手付きで銃身を開けてポケットの弾薬を詰め込み、また撃った。

 その間も轟号は線路を塞ぐ棚網を破りながらぐわぐわと着実に進んでいった。

 網行列の方は何匹かがなんとか車体によじ登ろうとしていたが、大きな群れが最初の方で倒されてしまったようで、先に進めば進むほど数が減り、棚網が薄くなるころにはもうほとんど襲ってはこなくなった。

 もう機銃を撃つ必要はないだろうと思い始めた頃、突然栄輔の目の前、機銃の銃身の丁度真上に一匹の網行列が落ちてきた。

 その目のないはずの顔と栄輔は目が合ってしまった。これほどの距離で網行列を見るのは初めてのことだった。だからこそ毛の一本一本の生え方から斑模様一つ一つの並び方まで詳しく分かり、そのおぞましさに栄輔は呼吸すら忘れる程に竦み上がった。

 次の瞬間、青く光る刃物が網行列の首を刎ね飛ばした。その暗く青みがかった鋼色の、栄輔が見た事のない色合いの剣鉈けんなたを持っていたのは雀だった。

「どうも!」

「油断するなよ」

 雀のおかげで危機を脱することができたと実感し、覗き窓が曇るほど栄輔は深く息をついた。


 糸が無くなり再び植物が葉を付けるようになってきても暫くの間栄輔達は機銃座に着いていたが、間もなく列車長から拡声器で「戦闘配置解除」の指示が出て機銃座から出ることができた。

 それでもまだ防禦服を脱ぐことはできず、一緒に前部の丸扉から屋根の下へ降りた杵と臼を合わせた、第一貨物車の五人は大型噴霧器の中和剤で防禦服と武器を良く消毒してやっと裾付きメットを脱ぐことができた。

 そこから更に飯炊が点呼を取り、第一貨物車の乗員が誰も欠けていないことを確認し、有線電話でそのことを報告してようやく栄輔は一息つくことができた。

 長い緊張から解き放たれてずるずるとロッカーにもたれ掛かって間もなく、栄輔は轟号が速度を落としているのを感じた。

 不思議に思って乗降口から外を見てみると、森の中から空に向かって何かが三つ打ち上げられ、色つきの煙の花を咲かせた。赤が二つに黄が一つの信号弾だった。

 それに応えるように轟号の機関車からも同じ物が四つ、青が一つと赤が三つで打ち上がり、そのまま轟号は止まってしまった。

 信号弾の不思議なやり取りの後、草木や大型の茸をなぎ倒しながら、全身に厳めしい装甲を纏い、タイヤの代わりに履帯を付けた武装トラックが現れた。

 すぐに有線電話が鳴りそれに応対した飯炊が裾付きメットを被り直し、天井の丸扉から屋根に上半身だけを出して両腕で何やら合図を送り、すぐに下りてきて栄輔達に言った。

「じゃあみんな、ちょっと手伝ってくれ。栄輔は開けるまでは見てるだけでいいよ」

 まず飯炊から鍵を受け取った杵が雀のロッカーの奥に手を突っ込み、鍵が入る何かを操作した。

 続いて臼がその前の床板をロッカー下へ押し込み、空いた場所へ隣の床板をずらす、そのまた空いた場所へ側の床板をずらす、という事を繰り返しながら通路へと向かっていった。

 最後に雀が飯炊からもう一つ鍵を受け取り、通路の床板の一枚をずらすと、そこに引き戸が現れた。

「雀、みんな何をやっているの?」

「まあ、おれ達の裏稼業ってやつさ」

 そう意味深に応えながら雀は引き戸に鍵を入れて開けると、そこに床下への入り口がぽっかりと口を開けた。

「よし栄輔、今から出す物を乗降口まで持って行ってくれ」

 杵が床下へ体を入れて次々と大きな袋を出してきた。菅屑半紙製のそれは特に何も書かれておらず、持ってみて辛うじて中に何か粉が入っているという事だけが分かった。

 すぐに雀と臼との三人で乗降口まで粉袋を運び出し、そこからは飯炊一人が武装トラックまで運んでいくという形になった。

 袋を置く時軽く外を見てみると、武装トラックの周囲や轟号との間で火薬銃や粒子力線銃で武装した人間が警戒についていて、その間を飯炊一人で何往復もしていた。

 あまりに効率が悪そうなので栄輔が外に出て手伝ってもいいかと聞くと、雀は「機銃手と助手は外に出ちゃいけない事になってるんだ」と説明してくれた。

 粉袋は思ったより少なく、栄輔が最後の一袋を杵から受け取ったところで杵は一旦引き戸を閉じて鍵を掛けた。

 袋を乗降口に置いた後は見ているだけになり、栄輔は汗だくの防禦服を脱ぐ気力もないまま座り込んだ。

 そこでふと見た目の割に厳重に保管されていたあの袋の中身が気になり、雀にそのことについて尋ねた。

「ねえ雀、あの袋の中身は何なんだい?」

「中身?眩惑剤げんわくざいだよ、眩惑剤」

「眩惑剤!?」

 保管のされ方がされ方である以上、見つかっては困る物である事は察しがついていたが、雀の答えに栄輔はやはり驚いてしまった。

 眩惑剤は医薬品として街の大病院で主に痛みを和らげるために使われているのだが、一度に大量に摂取すると強い依存性のある一時的な快楽と重い後遺症を一生引き摺ることになる危険な薬なので、政府が流通を厳しく管理している品物の一つだという話だった。

「もう一つ聞くよ。あれは政府の流通許可を得てるのかい?」

「許可?そんなもん得てないよ」

 そこで栄輔の中で全てが繋がった。雀の言う轟号の"裏稼業"とは、政府の認可を得ていない荷物を運ぶ密輸業だったのだ。

 雀は他にも同じく流通が厳しく管理されている高級愛玩動物や禁止指定動物の肉、そもそも所持することが禁止である偽札や違法改造武器を運ぶこともあると栄輔に言った。

 最後の眩惑剤が武装トラックに運び込まれ、飯炊がその運転席に合図を送ると黒い革製のトロリーケースを持った人間が機関車の方に向かっていった。

 栄輔が連絡口から機関車を覗いてみると、列車長がトロリーケースを受け取って開き、一緒に受け取った紙と中身を照らし合わせるようにじっくりと確認した後、紙にサインをして渡すのが見えた。

「金は普通の運輸業が目じゃない位入る。賄賂やなんかで減ることもあるからそっくりそのままとは行かないが、給料日に轟号の皆と山分けさ」

 隣にやって来た臼がほくほくの笑顔で言った。

 列車長に金を渡した人間が武装トラックに戻っていくと、代わりに第一貨物車に戻ってきた飯炊が杵に言った。

「杵、空調の温度を落としてくれ。次は生ものらしいから」

「はいよ」

 杵が引き戸を開けて、中にある何かを操作した。

 続いて武装トラックのコンテナから高級品のビニールで包まれた人の身長ほどはある赤と白の混ざり合った塊が二人がかりで四つ、運び出されてきた。

 栄輔達はこれを乗降口で受け取り、あちこちに引っ掛けたりぶつけたりしながらどうにか床下へ運び込んだ。

 塊はひんやりと冷たく、手触りは妙にぶよぶよとしていた。

 これもやっぱり初めて見る物なので、何の肉なのか尋ねてみると床板を閉じる作業を始めた飯炊が答えてくれた。

「聞いて驚くなよ。こいつは牛肉さ」

「ぎゅっ、牛肉ぅ!?」

 見た目や手触りから何かの肉だという事は察しがついていたが、その答えに眩惑剤の時以上に栄輔は驚いてしまった。

 牛は禁止指定動物の一種で、異形変異生物や胞子雨ほうしうから守る為に戦前の環境が再現されている地下農場でごく少数が飼育されているという話だったが、自分には一生縁がないと思っていた物にこんな所でお目に掛かれるとは運が良いのかもしれないと栄輔は思った。

「まあ今日の晩飯を楽しみにしていなよ。良い物を作ってやるからさ」

 密輸する品物が牛肉であることと夕食が楽しみに待つような物になることにどういう関係があるかどうかは分からなかったが、栄輔は飯炊の言葉を信じることにした。

 床下への入り口は板を被せてしまうともうそこにあるとは思えない程になり、今度は杵が雀のロッカーに手を入れて床板を固定する鍵を掛けた。

 武装トラックは外にいた人々を収容し、再び植物を薙ぎ倒しながらバックで来た道を折れたり潰されたり倒されたりした草花でできた道を残して引き返していった。

 その姿が方向転換して密林帯の奥に消えたのを見届けたかのように轟号も再び動き出した。

 線路は密林帯をどこまでも真っ直ぐ貫き、先が霞んで見えない程だった。

 真横に視線を移すとあの武装トラックがまだ並走しているようで、目を凝らすと微かに木々の間に道が見えた。

 いつもこういう所で密輸取引をしているとは限らないのだろうが、自分の道程を残してしまって大丈夫なのだろうかと思っていると、それを察した臼が栄輔に言った。

「この辺りの植物は生命力が強くてね、この位じゃ半日で元通りになっちまうよ。それに、よっぽどの重装備をした略奪者しかこの辺りまで来ないんだ」

 臼の言う通り、倒れた植物の中にもう起き上がろうと躍起になっている物が早回しのフィルム映像のように蠢いているのが動いている轟号の中からもよく見えた。

 栄輔は芥村で山狩師をしていた頃にもそういう光景を見たことがあったが、密林帯の植物の生命力の強さに改めて感心すると同時に、略奪者については確かにそうかもしれないと思った。

 略奪と言うからにはする側にもされる側にも死人が出ることになるが、もしこういう場所で荷物を運ぶ乗り物を襲い人を殺せばその血の臭いに惹かれてキバコガネやへコキトカゲといった肉食の異形変異生物や待手待手まてまてのような遊根性ゆうこんせい食獣しょくじゅう植物しょくぶつが集まってくることは容易に想像がついた。

 あの植物を食い荒らしてていたアミギョウレツの巣は夢にも思えない程遠くなり、武装トラックも轟号から離れて行ってしまった頃、密林帯の中に自動車や看板、家や電柱といった人工物がぽつりぽつりと現れた。

 その植物で潰れかかった建造物群の手前に、白く透き通った細長い袋状の物体が、線路に沿って横たわっているのが見えた。太さは少なくとも轟号のそれの三分の二程はあり、長さも間違いなく轟号以上はあるようだった。そんなものを残す生物は、少なくとも栄輔が知っている生物には一種類しかいなかった。

甲竜こうりゅうの抜け殻だ……」

「ああ、それにかなり新しい。もしかしたら近くにいるかもな」

「恐ろしい事を言わないでくれよ」

 雀は冗談めかして言っていたがその眼は明らかに戦慄の色を帯びていた。

 戦争中に使われた生物・化学兵器の影響で激変した島嶼連合の生態系の頂点に立つ異形変異生物が甲竜である。

 栄輔は山狩師をしていた頃、一度ごく若い甲竜と戦ったことがあった。

 栄輔達の親方が用事で留守にしていた晩、宿舎にしている廃業した民宿の戸を叩かれたので一番年上の山狩師が応対すると、それは近所の武器屋の主人で、家の地下室に甲竜が居るので、どうにかしてほしいとのことだった。

 起こされた栄輔や他の山狩師たちが武器屋の家に行ってみると地下室では棚が倒され、甲竜がのたうち回ってあちこち噛みついていた。壁に穴が開いていてどうやら土を掘り進んでいるうちに地下室に迷い込んでしまったようだった。

 甲竜も生きていることに変わりはないのでまずは捕まえて外に出してやろうとしたが、思いのほか力が強く栄輔達山狩師六人がかりでも全く動きを止められず、逆に一人が噛まれて怪我をしたので、仕方なくばら撒き銃を持ってきていた栄輔と元々地下室にある物に詳しかった武器屋が銃の台尻で甲竜の頭を叩き割って殺した。

 その時抵抗する甲竜が苦し紛れに目から高圧圧縮した血液を噴射し、地下室の壁にもう一つ穴を開けた。

 あとで栄輔が覗いてみると穴は手持ちランプの光が届かない程奥まで続いていた。

 栄輔達が仕留めた甲竜は目の周りに隈取のような模様があったので幼体の甲竜だという事は一目で分かったが、後で長さを測ってみるとそれは三メートルあった。

 その時幼体でもそれだけ大きいのに、成体の甲竜はどれだけの大きさになるだろうかと想像していた栄輔だったが、今栄輔の目の前に現れた甲竜の抜け殻はあの甲竜よりも遥かに巨大だった。

 抜け殻の主が轟号をあっけなく脱線させ、乗員たちを喰らう場面を想像して、栄輔は思わず身震いがした。

「この分なら日が暮れる前には旧駅舎に入れそうだな」

 隣で外を見ていた雀が呟いた。栄輔は朝の放送の時、旧市街を経由するという列車長の言葉を思い出していた。

 やがて轟号の行く手に植物に覆われた縦長の直方体の巨大な建物が現れた。


(つづく)

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