3.発車

 轟号とどろきごう第一貨物車だいいちかもつしゃ第一機銃手だいいちきじゅうしゅ久慈栄輔くじえいすけが轟号で迎える最初の朝は、騒々しい金属音と共に始まった。

 昨日は色々な事があったが、早くに眠ることができ、また芥村で山狩師をしていた頃のように夜中に起こされるという事もなかったので、すんなりと目を覚ますことができた。

 狭い寝台に寝転がったまま、どうにか背伸びをし屏風カーテンを少しだけ開いて様子を窺うと、貨物係兼賄い役の飯炊めしたきが通路に立って浅底の大鍋を玉杓子たまじゃくし銅鑼どらのように叩き鳴らしていた。

「おーい、できたぞう!」

「うるせえぞ飯炊、鍋は楽器じゃねえんだよ」

 第一貨物車の後部から、寝ぼけ気味で不機嫌そうな声が聞こえてきた。第二機銃座を持ち場とする双子のきねうすのどちらかだろうと栄輔は思ったが、声だけでは判別がつかなかった。

 下着姿で通路へと下り、自分のロッカーに預けてある背嚢から着替えを一組取り出した。「洗濯はできる時にやっておいた方がいい」とは助手で轟号では先輩の雀の言ったことだが、少なくとも八裂市にいる間はその必要はなさそうだった。

 朝の新鮮な空気が浴びたくて、着替えを腕に引っかけたまま自分の寝台側の乗降口の引き戸を開けると、既に活動を始めたらしい菌糸雲の胞子で靄がかかった太陽が見えた。

 ズボンを履きながら視線を下へ向けると、第一貨物車の側、後部乗降口近くの砂利の上にドラム缶を半分に切って作った炭焜炉すみこんろが二つ置かれ、一つでは串に刺さった様々な魚の塩焼きが、もう一つでは汁物が入っているらしい鍋がそれぞれ火に掛けられていた。

 よく見ると轟号の後方まで熱を加えるための調理器具の集まりが全部で六ヶ所、元が何だったのか推察できる物できない物、もともとそのために作られたらしい物が混在して置かれていた。

 間もなく第一貨物車後部の乗降口が開いて、顔を覗かせた飯炊が貨物車の中を指差し、栄輔を手招きした。

 どういうことなのか理解し、格納スペースの通路を通って貨物車後部へ向かうと、飯炊はそこの乗降口の前でキドニー型の飯盒はんごうの中身を一生懸命掻き混ぜている所だった。

 すぐ近くに飯盒が幾つも置いてあり、それらの中に彼が賄いを担当している者の為の飯が入っていることは想像に難くなかった。

「おはよう、飯炊」

「おはよう栄輔。今日は君が一番乗りだ」

 栄輔が昨日と打って変わって急に砕けた口調で話しだしたにも関わらず、飯炊は昨日からそうだったように応えた。

 皿代わりらしい二つに仕切られたアルミ箱の片方に雑飯ぞうはんを盛り、もう片方に焜炉で焼かれていた魚の塩焼きを載せて栄輔に差し出した。

「ほら、こいつはサービスだ」

「ありがたい」

 飯炊が選んだのは、特に丸々と太った栄輔が見たことのない見た目をした銀色の魚だった。

「ああっ!一番でかい奴を栄輔の分にしやがって!」

 寝台から様子を見ていた双子の片割れ、右頬に火傷の跡がある臼の抗議にも「もたもたしてる君がいけないんだよ」と飯炊は全く取り合わなかった。

「ところで栄輔、汁椀は持ってるかい?」

「汁椀?昨日雀から使っていいって言われたのなら……」

「なら早く持っておいで。味噌汁を入れてあげるから」

 栄輔はすぐにアルミ箱と共に自分のロッカーへ引き返し、それをロッカーの側に置いて、死んだ前の機銃手の物だった木椀と元々自分の物である箸を持って飯炊の元へ戻ってきた。

 鍋を鳴らすのに使った物と同じ玉杓子で木椀に掬い、手渡してくれた。

 椀の中で対流を成す味噌は、様々な種類の豆類をごたまぜにして発酵させた赤黒い雑豆味噌ざっとうみそで、具は何かの根と葉のようだった。

 味噌汁をこぼさないよう慎重に通路を通り、再び前部へ戻ってくると乗降口の前で雀が両腕を上に伸ばす運動をしている所だった。

「おはよう、雀」

「おう、おはよう」

 軽く挨拶を交わし、視線を合わせる、栄輔と雀にそれ以上のやり取りは必要なかった。

 栄輔は雀がいる方とは反対側の乗降口の段差に腰掛け、先程のアルミ箱を膝の上に乗せて朝食を食べ始めた。

 まずは串の両端を持って合成塩が振られた魚の腹に齧りついた。

「!」

 魚の身とは違う、粒々としたものが栄輔の口の中にばら撒かれた。それは噛む度に歯でぷちぷちと潰れた。

 味はまろやかで、辛味のきつい合成塩とのつり合いが舌に心地よかった。

 手元を見ると齧られた部分から白い粒の塊が覗いていて、今食べたのが魚の卵だというのはすぐに分かった。

「おっ栄輔、子持ちとはいいものをもらったな」

 強化陶製きょうかとうせいの汁椀を持って後部へ行こうとしていた雀が、栄輔の手元に気付いて言った。

「うん、今日は僕が一番乗りだからって飯炊が」

 まだ粒々とした卵が残る口で栄輔が応えた。

「ところで雀、これは何という魚なんだい?」

「そいつは要魚かなめうおというんだ。とても綺麗な水にしか住めないらしい。おれも泳いでいる所を見たことはないや」

「なるほど、道理で翁捨山にいなかったわけだ。あそこは蒸留や濾過や薬剤消毒をしないと飲めない水ばかりだったからね」

「小石を組んで頑丈なくせに石一つ外しただけで崩れる精巧な巣を作るから、そういう名前が付いたそうだ」

 要魚について軽く解説しながら立ち去る雀を見送り、栄輔は味噌汁を飲んだ。具の根と葉は芥村でもおなじみだった螺旋牛蒡の根と葉で、根の土臭い素朴な味とさっぱりとした葉の味が口の中に残った魚の滓を洗い流してくれた。

 朝食をとっている間にも、機関車の乗員が栄輔に挨拶をしては通り過ぎて行った。

 見張り員のゴーグルを始め、調整人間の九九きゅうきゅうニ四にーよん、運転手兼無線手の錆目さびめ、最後に大きな胸に巻いたサラシと白い襦袢だけという目のやり場に困る姿で列車長が悠々と現れて後部へ行った。

 また後部からも飯炊とやり取りをする声が聞こえてきた。

 話し声には第一火砲車長の鉄脚てつあしや機関車の面々、その他栄輔が初めて聞く声も何人か混ざっていた。

 朝食を受け取った者から持ち場へと戻っていくようだったが、栄輔の前に最初に戻ってきたのは意外にも列車長だった。

「栄輔、ちょっと話がしたい。隣いいか?」

「どうぞ」

 栄輔が段差の端によると、列車長は空いた場所にどっかりと座りこみ、食べ始めた。

「昨日は大変だったようだな、栄輔」

「ええ、賭けの対象にされるとは思いもしませんでしたよ」

「うちではあれ位の事は日常茶飯事だ。度を越せば流石に咎めるが、嗜む程度ならうるさくは言わないさ」

 列車長の言葉に、もう少し賭け事を楽しめるようにならなければならないなと栄輔は思った。

 その時、第一貨物車の後部から怒鳴り声が聞こえてきた。味噌汁に螺旋牛蒡を他人より多く入れられた事に怒る九九のようだった。

 それを笑う雀の声にふとある疑問が生まれ、栄輔は列車長に尋ねた。

「列車長、雀の本名を知っていますか?」

「雀の?実を言うと私も把握していない」

「列車長も……」

「ああ、面接の時ですら雀としか名乗らなかった。轟号であいつの本名を知っている者は誰一人いないだろう」

 列車長はそこで一旦話を切り、味噌汁を飲んで再び口を開いた。

「ただ、雀の事情を推察することはできる。お前は隠れ里の話を知っているか」

「いいえ」

「この国のどこか……険しい山奥かもしれないし、離れ小島かもしれない……とにかくそこに外界との関わりを断った部族の集落があり、そこに住む人々は皆、先だけが茶色い髪をしていて、本名を隠し鳥から取った通り名で呼び合うという話を聞いたことがある」

 栄輔は雀の先へ行くほど茶色くなっていく髪を思い出した。

「まさか、雀はその隠れ里から来たと言いたいんですか?」

 列車長は栄輔の問いには答えず立ち上がった。

「栄輔、お前が来るまで轟号にいた戦後生まれは雀一人だけだったんだ。仲良くしてやってくれ」


 列車長が機関車へと去って暫く後、栄輔が朝食を食べ終わった頃、彼女の声の車内放送で「発車準備」の号令がかかり、轟号の中はにわかに慌ただしくなった。

 機関車を持ち場とする残り四人が小走りで栄輔の前を通り過ぎ、最後に雀がやって来た。空の汁椀を持って口をもがもが動かしていることから、朝食は後部で食べてきてしまったようだった。

「箱は後で飯炊に返してきな」

「ああ」

 ついさっき列車長から聞いた言葉が栄輔の頭の中でまだえんえんと響いていた。

「雀、僕が列車長と何を話したのか、聞かないんだね」

「お前だって、おれの本名についてしつこく聞かなかったろう。これでおあいこさ」

 機関車の発動機音が一段と高まり、藻類燃料が燃えるドブ臭い匂いも一回りきつくなった。

「もうすぐ出発だ。置いてかれちゃ困る物があるなら今のうちだぜ」

 そう言って雀は梯子を上り、寝台に潜り込んでしまった。

 乗降口の引き戸の窓から外を覗くと、飯炊が急いでいる様子で焜炉を片付けているのが見えた。

 他にやることもないので貨物車の後部へアルミ箱を持って行くと、焜炉がある側に出る乗降口とは反対の乗降口の前に、栄輔が持っているのと同じようなアルミ箱が塔のように積み重ねられていた。

 火砲車への連絡口から聞こえてくる声は鉄脚とその他何人かの第一火砲車を持ち場とする砲手達のようだったが、発車準備の指示が出たら、持ち場がある車両から必要が無い限り出ないようにと言われていたので、詳しい様子は分からなかった。

 積み重ねられていたアルミ箱の一番上に自分がもらった箱を置き、自分の寝台まで戻ってくる途中、焜炉を貨物車に上げ終えたらしい飯炊が小走りで追いかけてきた。

 そのまま格納スペースの狭い通路でぎゅうぎゅうに詰められた荷物に身を平たく押し付けて止まった栄輔を、同じように身を押し付け背中合わせで追い抜いて行った。

 飯炊は貨物車前部にある有線電話を手に取り、送受話器に「第一貨物車、準備完了」と言った。

 有線電話からかすかに列車長の声が漏れ聞こえてきて、それは栄輔には「機関車了解。飯炊、今朝はお前がドべだ」と言っているように聞こえた。

 ドべとはどういう事なのか分からなかったが、送受話器を置いて後部へ戻っていく飯炊が若干残念そうな顔をしていたことから、決していい意味ではないという事は理解できた。

 それからすぐ、前方で機関車の発動機音がかつてないほどに高まり、連結器が噛み合うがこんという音と共に引き戸の外の風景が動き始めた。いよいよ武装貨物列車轟号が動き出すのだ。

 まず確かめるようにそろりそろりと数メートル走り、続いて大胆に急加速した。

 揺れに足を取られて転びそうになる体をロッカーに手を掛けて支えながら、改めて引き戸の窓を覗いた栄輔の口から出たのは、幼い子供のような「わあ……」という感嘆の声だった。

「そうか、栄輔は列車に乗るのは初めてなんだな。なら列車長の放送が終わったら屋根に上ろう。もっと気持ちがいい物が見られるぜ」

 寝台の屏風カーテンを開け、栄輔の反応を窺っていた雀が満足げな顔で言った。

 八裂駅の広告が並ぶ薄暗い構内を抜けて間もなく、轟号が幾つもの線路から一本を選んだ頃、車内のスピーカーに電気が通る音が聞こえ、続いて列車長の良く通る声が響き渡った。

「おはよう、列車長だ」

 栄輔と雀は第一貨物車中央部の天井にあるスピーカーに視線を向けた。

「知ってのとおり、轟号はこれから東進し旧市街と腓返こむらがえりを経由して野衾市のぶすましへと向かう。差し当たっては、諸君には現在判明している脅威について列車長として警告しておかねばならない」

 列車長はそこで一旦言葉を切った。

「まずは八裂駅やつざきえきからの情報だが、八裂田園帯を抜けてすぐ、密林帯に入っておよそ三キロの場所に網行列あみぎょうれつが大規模な巣をかけていることが分かっている。武装軌陸車ぶそうきりくしゃを出して駆除したいところだが、一台しかないそれがエンジンが故障して出せなくなり、斥候が入ってこないようにするのが精一杯になっているとのことだ」

 栄輔は網行列の事はよく知っていた。群れで行列を作って移動し、一度巣をかけると周囲の植物の悉くを食べ尽くすまで止まらない。また、巣を構成する糸には毒の毛が編み込まれていて、万が一人が住んでいる場所に巣を作られてしまうと防禦服ぼうぎょふくなしでは外を出歩けなくなるので、芥村にいた頃は新たな餌場を探す斥候役が村に入ってきていないか見回ることが毎朝の日課になっていた。

「それからもう一つ、こちらは政府筋からの情報だ」

 また列車長の言葉が途切れた。ひどく言いにくい事のようだった。

「八裂市北西にある耳無埠頭みみなしふとうで摘発された密輸業者が、大陸から有脚ゆうきゃく作業車さぎょうしゃの部品を運び込んだ事を自白した。間違いなく国内で組み立てが行われていると見ていいだろう。またこれは同時に、我々が有脚作業車を装備する略奪団と交戦する可能性があることを意味する」

 列車長はそこまで一気に言い切り、最後に付け加えた。

「だがそれでも、轟号が止まることは断固として許されない。我々の積み荷を必要としている者がいるからこその我々であるという事を肝に銘じ、輸送に臨んでほしい。以上!」

 そこでぷつりと唐突にスピーカーが止まり、放送が終わりを告げた。誰も何も言わず、動こうともしなかった。轟号の中は静まり返り、ただ車輪を回す発動機音と車輪が継ぎ目を踏み越える音だけが支配していた。

 数時間のように感じられる恐ろしく長い数秒が過ぎ、雀が重たげに口を開いた。

「有脚作業車か……死人が出るな、こりゃ」

「死人が出る……」

 雀の口から出た不穏な言葉を、栄輔は鸚鵡返しに言った。

「それについてはまたすぐに話す。今はとにかく屋根に出よう。おれ達の出番は割と早く来そうだからな。いくら銃を扱った経験があるっても、いざって時に『初めて使う銃です』はお前だって困るだろう?」

 そう言い残して雀は寝台から身を乗り出すと、一度も床に足を着かないまま器用に梯子にぶら下がり、あれよあれよという間に天井の丸蓋を開けて屋根に出ていってしまった。

 栄輔も雀の後を追って自分の寝台側にある梯子をのそのそ上り、開け放たれたままの丸蓋から顔を出した。

「振り落とされたら轢かれてミンチだから気を付けろよ」

 街中を走る轟号の進行方向を前として、丸蓋のすぐ後ろから雀の声が聞こえた。なるほど、雀の言う通り確かに車体がよく揺れる上に轟号が走る勢いで起きている風で、気を抜けばあっという間に落ちてしまいそうだった。

 栄輔はおっかなびっくり全身を屋根に出し、すぐに真後ろの機銃座に身を滑り込ませた。雀が待っていたのは機銃座の中だった。

 機銃座はほぼ円形の防弾囲いを屋根にアーク溶接しただけの簡素なもので、底部には何かを出し入れするためらしい蓋が、中央には防楯付きの火薬式単装機銃が置かれていた。同じ物が屋根中央の丸い輪の付いた円形の出っ張りを挟んで貨物車後部にも同じような機銃座があるのが見えた。

「まあこれがあんたの商売道具さ。口径は一三ミリ、束帯給弾そくたいきゅうだん、発射速度は毎分八五〇発……説明書の受け売りだけどな」

 雀が横から銃身を軽く叩きながら説明した。

 機銃の最後部には平仮名の"つ"を丸い部分を下にして立てたような持ち手が左右に計二つ付いていて、その持ち手に併設されている発射柄はっしゃへいのどちらかを握り込むことで発射する仕組みのようだった。

 雀は更に栄輔に機銃を扱う際の注意事項を詳しく説明した。

 弾薬は必要以上に屋根の上に出さない事、撃つ時はたまに束帯弾倉そくたいだんそうを手繰って上手くもつれないようにする事、途中で弾が出なくなったら無闇に銃口を覗いたり発射柄を引いたりしない事。

 それらのアドバイスを受けつつ弾を込めずに狙いをつけて撃つ練習を繰り返していると、栄輔は右手にべたつく感触があることに気付いた。取っ手から手を離すと、右掌が赤黒く汚れていた。

「ああ、まだそんな所に付いてたのか。もっとよく拭いておきゃよかった」

 雀が穿いている七分丈のポケットから汚れた布を取り出し、拭き取ると布には栄輔の掌と同じ色に染まった。

「雀、それって、血じゃ……」

「そうだな。前の機銃手の、な」

 自分が触っていた物が何かを理解した栄輔に、雀はそれがさも当然であることのように答えた。

「丁度いいからさっきの事について話してやる。死人が出る、って話だ」

 栄輔はすぐに列車長の放送の後、雀がそうぼそりと呟いたのを思い出した。

「おれ達の敵は大きく分けて二ついる。異形変異生物と略奪者の二つだ」

 栄輔はそういう物と戦う可能性があると面接で聞かされていた。その辺りの危険性は山狩師だった頃と変わらないので特に拒絶もなく了承していた。

「生物の方はまあ、礼儀を弁え、誠意を示せば向こうから襲ってくることはあまりない」

「礼儀? 誠意?」

「生態をよく理解し、無駄に刺激するなって事さ。それでも『あまりない』だけどな。うちはその辺しっかりしてるから、死人が出ないことの方が多い。問題は略奪者の方だ」

 そこで雀は急に難しげな顔になった。

「連中はこちらが幾ら気を使っていても確実に向こうから死ぬ気で襲ってくる。当然こちらも死ぬ気で応戦する。そこに礼儀もへったくれもない。るかられるかだ」

 言葉の最後になると、雀の目は栄輔ではなく轟号の進行方向を見つめていた。機関車の見張り櫓の根元にはアーチ状の通路が開いていて、行く手をよく見ることができた。

「ねえ雀、僕の前の機銃手って、略奪者に殺されたのかい?」

「いや、違う」

 ふと口に出た栄輔の疑問を、雀はあっさりと否定した。

「八裂に来る途中で山賊苔猿さんぞくこけざるに殺されちまったんだ。里からおれに付いてきて色々世話を焼いてくれたいい奴だったんだが、最後は運が悪かった。警戒のために機銃座に着いてたら、暴発して群れの一匹に当たった。で、その後は緑色の影に頭の後ろを一撃さ」

「……」

 似ている、と思った。死んだ親の代わりに育ててくれた人を不運な肺茸病はいたけびょうで亡くした自分と、故郷にいた時から世話を焼いてくれたという人を不幸な偶然で失った雀が。

 二人の間にしばらくの間沈黙が流れた。お互いに失った者の記憶を辿り、その思い出に浸っているという事は想像に難くなかった。

「悪いな。湿っぽい話したりして。周りを見てみろよ。良い景色だぞ!」

 雀に促されて、ようやく栄輔は轟号の周囲に意識を向けた。轟号は二本ある線路の左の路線を走っていて、その両側には様々な大きさ、様々な形の建物が立ち並び、時には市場街で見たような電気広告や、絵や立体物による電気を使わない看板広告が貼り付いていた。

 それらの広告は旅客車りょかくしゃ向けなのか、第一貨物車の窓ほどの高さに多くあり屋根から見ると少々見づらかったが、それでも風を感じながら見る広告は歩いている時や乗り物の中から見た時とは違うな、と栄輔は感じた。

 轟号が駅を出てからだいぶ経っていたが、どこまで行っても建物と踏切と線路ばかりでまだ街を出る気配は無かった。

「しかし、大きな街だね、八裂市は!」

 線路が曲がってにわかに向かい風が強くなり、吹き抜ける音でうるさくなったのでほとんど叫ぶように栄輔は言った。

「このくらいで驚くなよ。これから行く野衾市はもっとでかいぞ!」

 雀も着ている袖無しシャツをばたばた震わせながら応えた。

「でかいってどれ位!?」

「野衾の中だけを走る列車がある位さ!」

 そこで轟号は不意に反対側の路線を走る貨物列車とすれ違った。菌糸雲で太陽が遮られていても分かるほど鮮やかな銀色に光るそれは、先頭の機関車がラッセルを履いている所は轟号とよく似ていたが、構成している車両の屋根には機銃や火砲がまるで鉄砲雲丹てっぽううにのようにびっしりと置かれていた。

 また機関車に見張り櫓はなく、代わりに折り返し点らしい轟号とほぼ同じ長さの辺りに連結された貨物車一両を丸ごと使って、巨大な見張り櫓が置かれていた。

「この貨物列車も大きいね!」

「だろうな。轟号よりずっと大きい貨物列車なんて、この国にはいくらでもいるぜ!」

「どのくらい?」

「貨物列車が集まっている所へ石を投げたら十中八九そういうのに当たる」

 貨物列車が去ると共に風が少しだけ弱まり、まだ大声を出す必要はあったが叫ぶほどでもない、という程度にはなった。

 つい昨日まで八裂市や轟号より大きい物はないと思っていた栄輔だったが、上には上があるという事を聞かされて驚くと同時に俄然興味が湧いた。

「でもな、轟号にだって他の貨物列車に自慢できる事がある」

 雀がすぐ前方にある見張り櫓を見上げながら言った。

「それはな、轟号はこの国で一番古い武装貨物列車の一つって事さ。栄輔、あんたはこいつがいつ頃から走ってるか知ってるか?」

「僕が赤ん坊の頃から、とか」

「とんでもない!」

 あてずっぽうに言ってみた栄輔の言葉を、雀は信じられないという風に否定した。

「おれや栄輔が生まれるずっと前、大陸と戦争をやってる真っ最中の頃からだ!"ふたやぐら轟号とどろきごう"つったらこの手の仕事をやっている奴らの間では有名なんだぞ!」

「へ、へえ……」

 芥村の外については曖昧な事しか知らなかった栄輔は轟号の凄さの想像がつかず、ただ相槌を打つことしかできなかったが、様々な人達が乗り継いでこの国の陸上運輸の一端を担ってきた歴史ある武装貨物列車の一員になったという事はいずれ芥村にいた頃の仲間達に会った時、素直に自慢できるだろうと思った。

「さあ、もういいだろ。まだ風に当たっていたいんなら残ってもいいが、おれは中に戻るぜ」

 雀が防弾囲いに足を掛けながら立ち上がった。

 栄輔も機銃座にこれ以上の用はなかったので、第一貨物車の中に戻ることにした。

 まず雀が丸蓋に足から入りそのままするする梯子を滑り降りていった。

 つづいて栄輔も梯子に足を掛けると、下から雀が「最後に入った奴がロックしておけよ」と言うのが聞こえた。

 栄輔は機関車の見張り櫓を名残惜しげに一瞥すると丸蓋を閉めてハンドルを捻った。


(つづく)

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