2.仲間

 沈みゆく太陽は夕焼けとなり、菌糸雲きんしうんを赤く燃やすように照らしていた。

 戦争中、大陸軍が菌糸雲を展開してからというもの、島々の勢力圏でまともな太陽が見られるのは、余程の事が無ければ菌糸雲の活動が鈍い日の出と日の入りの限られた僅かな時間だけとなっている。

 日中は活発になった菌糸雲の胞子で空が灰色に覆われ、たまに胞子の切れ間から太陽が見えたとしてもそれは菌糸雲そのものに遮られ地上からはひどくいびつな形に見える。

 栄輔が列車長に案内されて八裂駅の高床ホームに降りた時、どこまでも続く上り方面の線路の向こうに見事な円形の太陽が見えた。

 八裂駅の中に敷かれた幾本かの線路のうち、上り方面を前として最も右端の線路に黒塗りの武装貨物列車が暖機運転の状態で止められていた。

 編成は十四両、一番先頭にディーゼル駆動の機関車があり、『轟』と浮き彫りにされたエンブレムが貼られ、車体下部に獣除けのラッセルを履いたその姿を正面から見ると、シルエットはまるで出来損ないの古墳のようだった。

 その屋根には単装の防楯ぼうじゅん付き火薬機銃が一挺設置された機銃座があり、屋根へ出るための丸蓋を挟んですぐ後ろ、丁度車体全体から見て最後部には鉄パイプを組んで作られた二階半ほどの高さの見張りやぐらがあった。

 この櫓はいち早く危険を見つけるための工夫で、形は列車によって多少の差異はあるが、多くのトンネルが暗がりを好む異形変異生物の巣窟になり、戦後そのようなトンネルを使わないよう線路を引き直した島々で運行する列車共通の特徴となっている。

 機関車の後ろには旅客車りょかくしゃ改造の貨物車一両が続き、窓を塞いだ四角い跡が幾つか、車体そのものよりやや明るい黒で残っていた。貨物車の屋根には機関車と同じ仕様の機銃座が二つ、向かい合わせに置かれていた。

 貨物車のそのまた後ろにあるのは火砲車かほうしゃで、屋根には機銃座の代わりに台形の砲塔がまず前方に一つ、その後ろにも一段高くなってもう一つの砲塔があり、こちらはどちらの砲身も前方を向けて置かれていた。

 そこから後ろには旅客車改造の貨物車二両と火砲車一両という組み合わせが三つ連結され、最後に先頭二両を鏡写しにしたようにまず貨物車、殿に機関車という形で終わっていた。

 これが栄輔の新たな職場となる轟号とどろきごうの姿だった。

「どうだ、私の車は大きいだろう?」

 列車長は目線で自慢げに轟号を示しながら言った。

「ええ、とても」

 栄輔にはその威圧感に満ちた漆黒の車体はとても恐ろしく、また同時に非常に頼もしい物に思えた。

 高床ホームから更に線路へと降り轟号へ近づくと、高床ホームにいた時は車体の影になっていたせいで分かりにくかったが、すぐ側の道路に並んだトラックとの間を鳥脚歩行機とりあしほこうきが行き来し、荷物の積み込み作業が行われているところだった。

「この分なら暗くなるまでには済むだろうな。多いときは火砲車や機関車にも荷物を積まなければならなくなるし、機銃手や砲手にも積み下ろしを手伝ってもらう事になる」

 列車長が愚痴るように言った言葉は面接の時も聞かされていたので、栄輔は機銃で敵と戦うことの他に荷物の積み下ろし作業をしなければならないという事に特に抵抗感はなかった。

 栄輔が機銃手となる第一貨物車は先頭の機関車のすぐ後ろで、乗員用乗降口の引き戸を開けて入ると中は電気灯で薄暗く照らされていた。

 電気灯は何かの拍子に貨物車が揺れる度に消え入りそうに明滅し、市場街にあった頭がおかしくなりそうなほどきつい電気広告と比べると、芥村の腐蝕ガス灯と変わらないなと栄輔は思った。

 貨物車の中は思ったよりも床が高く、左右にあるロッカーと寝台以外はほぼ積み荷の格納スペースとなっているようだった。

 寝台は下にも積み荷が置けるよう高く作られ、そこへ上り下りするための梯子は左右どちらからでも天井の丸蓋ハッチからそのまま屋根へと出られるようになっていた。

 格納スペースは貨物車の中央を走るように通路が開けられており、貨物車後部にも同じように荷物ロッカーと寝台があるのが少しだけ見えた。

「栄輔、お前は右側の寝台で寝起きしてもらう。ロッカーも右側だ。何かあったら有線電話で私を呼んでくれ」

 列車長は辺りを詳しく見回す栄輔の様子から、こちらからは何も説明しなくても自分で覚えていってくれるだろうと判断したようで、連結口から機関車の方へ去っていった。

 栄輔は使っていいと言われた右のロッカーを開けると、中に入っていた新聞やポルノ雑誌がいきなり崩れ落ちてきた。

 紙類の中に一つだけ木椀もくわんが混ざっていて、拾い上げてどうしようかと迷っていると、不意に背後から「それはもう死んだ人の物だからあんたが使っていいぞ」と声が聞こえてきた。

 振り向くと反対側の寝台の屏風カーテンが開き、一人の女が身を乗り出してきた。

 見た目の歳は栄輔と同じか一つ二つ年下くらい、全体的に痩せ型で長い手足には程よく筋肉がついていた。

 癖がついてぼさぼさの短髪は先へ行くほど茶色くなり、それに縁取られた童顔で野性味を帯びた二つの目がぎらぎらと光っていた。

「話は列車長から聞いてる。新入りってのはあんたか?」

「ええ。芥村の久慈栄輔です」

「なるほど、じゃあおれがあんたの助手になるってことか。おれのことは雀と呼んでくれ。本名は訳あって言えない。あとこの口調は昔からの癖だから気にしないでくれ」

 雀と名乗った女が、自己紹介をしながら寝台から下りてきた。ひどく汚れたベージュ色の袖なしシャツと深緑色の七分丈しちぶたけを着ていて、梯子にぶら下がった時、シャツの脇から胸にサラシを巻いているのが見えた。

 栄輔は雀の本名を知りたくないわけではなかったが、様々な事情を抱えている人がいるこの時代、雀にも名を明かせない理由があるのだろうと思い、彼女の方から言うまでそっとしておくことに決めた。

 雀によると、助手というのは機銃手が目標への射撃に専念できるよう、弾薬を届けたり死角から近寄ってくる敵を追い払ったりするのが仕事で、轟号の場合は人員不足で助手が居ない銃座もあると説明した。栄輔が使うことになった寝台とロッカーは、彼が来る前雀が助手をしていた機銃手の物だった。

 その死んだ機銃手の少ない持ち物を雀の手伝いでロッカーに戻したところで、長い付き合いになるかもしれないからと栄輔は雀とがっちりと握手を交わした。雀の握力は華奢な指からは想像がつかない程、また栄輔が着ている防禦服の手袋の上からでも分かる程強かった。

「ところで、その防禦服は脱がないのか?蒸れて暑いだろう。ロッカーに掛けられるようになっているから」

 雀に指摘されて、栄輔はようやく気付いた。芥村を出てからほぼ一日中、防禦服を身に付けたままだった。

 栄輔は言われるまま防禦服を脱ぎ、ロッカーの内側に首吊りハンガーで引っ掛け、背嚢と裾付きメットもロッカーに押し込んだ。

 栄輔が防禦服の下に着ていたのは、首周りやや黄ばんでるくらいの白い袖付きシャツと山根染やまねぞめの濃い紺色の長ズボンだった。

 ロッカーに立てかけていた連装ばら撒き銃を持って梯子を上ろうとしたところで、様子を見ていた雀が口を開いた。

「栄輔、随分と綺麗な服を着てるが、芥村で一体何をしてた?」

「山狩師です。翁捨山に入って村の生活に必要な植物や動物を獲ってくる。もっとも、芥村では忙しい人の手伝いをする何でも屋みたいな扱いでしたけれど」

「さぞ稼ぎがいい仕事だったんだろうな」

「とんでもない。十年必死に働いても買えない物がある位です。シャツは山で獲れたアワフキコガネで洗濯してたし、ズボンだって根を集めて自分で染めたのなんですよ」

「そうだったか、山で獲れる物はタダだもんな」

 そう言って雀は白い歯を見せてカラカラと笑ってみせた。屈託のない笑みだった。

 改めて寝台へ上ると、そこは継ぎ接ぎだらけの毛布が一枚無造作に丸められているばかりの、ひどく殺風景な空間だった。通路側の縁には低い柵が設けられていて、寝返りを打った拍子に落ちてしまわないように作られていた。

 連装ばら撒き銃の安全装置が掛かっていることを確認して壁へ横に立てかけてから、体を通路側に向けると、反対側の寝台に入った雀と目が合った。

 落ち着ける場所を手に入れた栄輔は、ようやく緊張が解けたような気がして、得意げな顔の雀にそっと微笑みを返してみせた。

 寝台は起き上がろうとすれば顔が付いてしまうほど天井に近く、寝台そのものにはめ込まれている敷布団もあまり柔らかくはなかったが、それでも安心する定位置があるという事はとても嬉しいことだった。

 両手を枕代わりにしてごろりと仰向けになったところで栄輔はふと、下腹部に違和感を覚えた。何なのか理解してすぐに下へ滑り降り、隣の雀を呼んだ。

「雀さん、雀さん!便所はどこですか!?」

「ああ、それなら連結口のすぐ側だよ。札がかかっているからすぐ分かるはずだ」

 まだ顔がにやけている雀はそう言ってさっき列車長が去っていった方を指さした。確かに機関車へ行くための連結口の窓付きドアがあり、その左右の壁は四角く膨らんでいた。

 小走りで近寄ると連結口に向かって左側には有線電話の送受話器が取り付けられ、逆に右側には『御手洗』と書かれた札が付いた窓なしドアがあった。慌ててドアを開けてズボンと下着をずり下ろしながら身を滑り込ませた。

 轟号の便所は人が一人なんとか座れるほどの薄汚い小部屋で、壁の『火気厳禁』の札だけが異様に赤く磨き上げられていた。便座は冷たい金属製の椅子型便器で、底の方に水がないことから、排泄物を貯蔵器に溜めて後でまとめて処分する汲み取り式のようだった。

 排便に意識を集中させる中、その片隅で栄輔は不意に便所の外に人の気配を感じ取った。気配の主が向かいの有線電話を使っており、新入りがどうのという声からそれが雀であることに気付くまでそう長くはかからなかった。

 間もなく複数の足音が近付いてきて、栄輔が入っている便所の前で雀と何やら話し始めた。会話の中に時折数字が入ることから、栄輔は直感的に金の関わる話であると感じた。

 排便が一段落する頃、栄輔の集中を解きつつある意識が便所の中に籠っている空気の異様さを捉えた。その異様さが何なのか理解した時、栄輔は愕然とした。

 便所の中は無茶苦茶なまでに臭かった。便器の真下にある貯蔵器からの排泄物の臭いと便所の隅に申し訳程度に置かれた古いリングビーズ消臭剤の香りとが混ざり合い、息を鼻から吸おうが口から吸おうが見えない手が指を喉の奥へ突っ込んで、胃の中の物を無理矢理吐き出させようとしているような劇臭げきしゅうとなっていた。

 排泄をする場である以上、便所は臭くて当たり前だが、轟号の便所は常軌を逸していた。

 栄輔は思わず悲鳴を上げた。ドアの外でどっと笑いが起こった。どうやら便所の外にたむろしている者達が、栄輔がそうとは知らずに入った便所の臭さに悶絶している様を笑っているようだった。

 あまりの臭さに逃げ出すことを考えていた栄輔も、自分の間抜けさを笑われたことで却ってやけくそ気味の度胸が据わり、何が何でも用を足して出てきてやるという気持ちになった。

 腹の中を出し切り、備え付けの菅屑半紙で尻を拭って捨て、隅の手洗蛇口で手を洗い、顔はなるべく平静を保ちながら栄輔は静かに便所を出た。

「よっしゃ!おれの勝ちっと」

 便所を取り囲んでいた八人の男達の真ん中で、雀が歓声を上げた。男達が渋々差し出した紙幣を取り上げ、次々と懐に仕舞い込んでいった。どうやら栄輔が無事用を足して出てこれるか、途中で逃げ出すかで賭けをしていたようだった。

「雀さん、人の生理現象で賭け事をしないでください!」

「まあまあ、ここにいる奴はみんな、初めて来た時あんたと同じことをされてるんだ。おれだってそうさ。轟号流の歓迎みたいなもんだよ」

 栄輔が思わず怒鳴っても、雀は悪びれるそぶりすら見せなかった。

「しっかし、参ったねえ。今回は嬢ちゃんの一人勝ちだ。戦後生まれにも骨のある奴はいるもんだなあ」

 雀のすぐ側、有線電話がある側の乗降口にいた中年の大男が頭をポリポリ掻きながら言った。八人の男たちの中でも最年長のその男は、体格がとてもがっしりとしていて、両膝から下を筋電義足きんでんぎそくに置き換えていた。

 男はざらつく声で自分の名を名乗り、"鉄脚てつあし"と呼ばれているからそう呼んでくれていいと言いながら、栄輔に握手を求めてきた。

 鉄脚の手は千手ヤツデの捕食葉ほしょくばのように大きく、栄輔が上手く握り返せない程で、包むように握られて顔を上げると伸び放題の髭の間から優しげな瞳が見えた。

 鉄脚は栄輔たちがいる第一貨物車のすぐ後ろにある第一火砲車を持ち場とし、戦闘の際にその二門の七五ななじゅうごミリ砲を預かる火砲車長で、足は戦争中平たい畳石たたみいしに擬態していた大陸軍の徘徊地雷はいかいじらいで無くしたのだった。

「臭い思いをさせて悪かったな。旅客車から貨物車に改造する時、工事屋がしくじって便所の換気口を半分くらい塞ぎやがったせいであんなことになっちまったのさ。臭いだけじゃなくて、他にも危険はある。『火気厳禁』の札を見たろう。便所の中で煙草を吸って轟号を吹っ飛ばしかけた間抜けがいる」

 鉄脚の言葉に、寝台の側に前後に並ぶように立っていた二人の男の片方が肩をすくめた。

 二人はいずれも黒髪で、五分刈りにした頭に白い鉢巻を巻いていた。

 肩をすくめたのは栄輔から見て奥の方にいた男で、「轟号を吹っ飛ばしかけた間抜けってのは俺のことさ」と自嘲するように言った。

 彼をよく見ると、もう一人の男と腕の筋肉が発達しているその体格やだみ声、捏殻団子こねがらだんごのように丸い目鼻立ちが似ているので栄輔がそう言うと、前の男が自分達は双子の兄弟で、息がぴったり合うから"きね""うす"と呼ばれているのだと言った。

 二人の持ち場は第一貨物車後方にある第二機銃座で、右頬に茶色い火傷の跡があるのが弟の臼で、そうでないのが兄の杵だった。

「全く、駅に寄る度に貯蔵器の中身を吸い上げてもらう癖をつけておいて助かったよ。でなきゃ首を切られるのはぼくだからね」

 杵と臼の話題に、便所側の乗降口にいた三人の男の一人が口を開いた。髪は整髪油でのっぺりとしたぼっちゃん刈りで、雀と比べても明らかに痩せており、この場にいる他の者と比べて明らかに小綺麗な服を着ていた。

 雀は栄輔に彼は"飯炊めしたき"と渾名されいて、この第一貨物車の貨物係兼、乗員の食事を作るまかない役だと紹介した。

 貨物係というのは轟号の場合は他の仕事と兼任している者もいるが、各貨物車に一人づつ配置される積み荷の管理を行い、必要があれば積み荷を奪おうとする者と戦う責任者で、飯炊は渾名や見た目に似つかわしくない連弩れんど付きの手甲てっこうを左手にめていた。

「口うるさいってよく言われるけど、料理の腕は轟号で最高だよ。楽しみにしてな」

 楽しげに言う飯炊に、突然彼のすぐ横にいた男が突っかかってきた。

「おいおい、最低の間違いだろ。いつもいつも俺が食う物に螺旋牛蒡らせんごぼうを入れやがって!」

「落ち着きなよ九九きゅうきゅう。あんな美味しい物、嫌いだっていうのは君くらいのもんだよ。一度食べてみればいいのに」

 今にも飯炊に飛びかからんとしていた男をレオパード柄の髪をした男がたしなめた。その右肩には三行に渡って『超人公社一○四型/一一ニ四/青七番』と刺青いれずみがされていた。

 レオパード柄の男に九九と呼ばれた男の方は、老人のような灰色の髪をしていた。彼の肩にも同じように『超人公社一○一型/二○九九/青六番』と刺青があった。

 二人とも同じ赤黒い袖なしのレザースーツを着ていて、左耳の後ろにトグルスイッチが付いていた。

 そのスイッチに栄輔はふと思い当たるものがあった。

「あの、あなたたちって、もしかして……」

「そう!俺達は調整人間さ!」

 レオパード柄の男に宥められて機嫌を直した灰色髪が快く答えた。

「やっぱり!僕も何度か見たことはありますけど、こうやって話をするのは初めてです」

 調整人間とは戦争中、人間にそれ以外の動物の遺伝子を組み込んで作られていた人間兵器で、耳の後ろのトグルスイッチは通常モードと戦闘モードを切り替えるためのスイッチになっている。

 栄輔も芥村にいたころ、行商トラックに時々用心棒として乗っているのを見たことがあった。

 灰色髪の"九九きゅうきゅう"は狼の、レオパード柄の髪の"ニ四にーよん"は豹の調整人間で、それぞれ機関車の機銃手とその助手をしていた。

 二人とも見た目は二十代の若者のようだったが、調整人間は皆その位の見た目で生み出され、普通の人間とは違い死期が近付くと急激に老化が始まるというので、実際の年齢は栄輔には分からなかった。

「おれが近くにいない時に分からない事があったら九九に頼りな。ただ"きゅうじゅうきゅう"とか"くく"とか呼ぶと怒るから気を付けろよ」

 雀が栄輔に耳打ちをした。

「九九は世話好きなんだが、怒りっぽいのが玉にきずなんだ。培養棺ばいようかんにいた頃から知っているオレが言うんだから間違いない」

 その様子を見ていた、機関車への連絡口の前に立っていた男が口を開いた。

 頭を丸く剃り上げ、疣黍いぼきびの穂のように頭頂部の赤い髪だけを伸ばしている独特な髪形で、目には双眼式のベルトゴーグルをかけていた。

 彼は本名と共に"ゴーグル"と名乗り、見張り櫓を持ち場としていち早く危険の接近を伝える、いわば轟号の目となる重要な役目を負っていた。

 九九やニ四とは戦争中、同じ"青"部隊に所属していた戦友で、休戦と共に一旦任務を解かれた二人を轟号の戦闘要員に推したのもゴーグルだった。

 あだ名の由来であるゴーグルをかけているのは、戦闘用の電装義眼でんそうぎがんの暗視機能がいかれて止められなくなり、明るい昼間はまともに物が見えないからで、轟号で働いているのも修理代を稼ぐためだった。

「轟号乗ってる奴らは大抵、多かれ少なかれ戦争で何かを失くしている。鉄脚みたいに一生引きずるような傷を負った奴や、自分は怪我をしていなくても、家族や住む場所を失くした奴だ。ここはそういう奴らの居場所になってるんだ」

 そこでようやく、第一貨物車と機関車の間の渡しに様子を見るように立っていた髪の長い男が話を切り出した。

 暑いのに焦げ茶色のロングコートを着たその男はこの場にいる者達の中で一番背が高く、体つきも顔立ちも何もかもがほっそりとしていた。

 栄輔は男の顔に違和感を感じ、よく顔を覗いてみるとやはり細い目の白目の部分が錆びた鉄球のような赤色をしていた。

 どうしたのかと尋ねると、男は子供の時に毒ガスが目に入ったせいでこうなってしまい、今では"錆目さびめ"と呼ばれているのだと言った。

 錆目は自分は轟号の運転手兼無線手で、轟号が今まで生き長らえてきたのは自分の運転のおかげだとも語った。

「まあ、みんな第一機銃座の近くが持ち場になってる、おれ達のご近所さんってとこさ。名前を覚えておいて損はないと思うぜ」

 最後に雀がそう締めくくった。

 男達は姿は千差万別だったが、いずれも幾度となく鉄道貨物輸送を成功させてきた者に相応しい風格を兼ね備えていて、この仲間達になら安心して背中を預けられると栄輔は思った。


 鉄脚達が自分の持ち場に帰ってしまった後、栄輔と雀も再びそれぞれの寝床へと上がった。

 乗降口から差し込んでくる日の光は弱くなり、荷物の積み込み作業はいつの間にか終わってしまっていた。

 便所に関するドタバタが済んだところで、栄輔は八裂市に来てからまだ何も口にしていなかった事に気付いた。

 食事をする唯一の機会だった丼飯屋では迷っている間に面接が始まってしまったので、とうとう丼飯を食べられないまま轟号へ来てしまったのだった。

 そこで栄輔は寝台から降り、ロッカーに預けてある背嚢から膨張食料ぼうちょうしょくりょうを取り出した。

稲妻屋いなづまやフードバー蜂蜜風味』と書かれた菅屑半紙の包装を破り、一口齧ると湿った粘土のような食感と共に蕩けるような甘味が口の中に広がった。

 手元に残った方から漂う香りに食欲を刺激され、栄輔は膨張食料を夢中で頬張った。

 琺瑯びきが剥がれかけた水筒の水で歯にこびり付いた欠片を流し込み、ロッカーを閉めようとしたところでようやく、栄輔は背後の視線に気が付いた。

 振り向くと雀が栄輔を物欲しげな目で見つめていた。

 栄輔は背嚢からもう一本取り出し、雀に差し出しながら言った。

「あの、食べたいならあげますよ。賞味期限はとっくに切れてますけど、問題はないはずです」

 雀は無言で膨張食料を受け取り、包装紙を破って食べ始めた。

 それをあぶあぶとおっかなびっくり、先端から少しずつ食べていく姿はまるで穀盗鼠こくとうねずみ日陰葵ひみずの種を食べているようだった。

「雀さん、どうですか?」

「……でいい」

「え?」

「おれ達のことは呼び捨てでいいし、話す時はタメ口で構わないよ。ずっと思ってたんだが、こそばゆくって仕方ないや」

 そこでようやく、持ち場を与えられ轟号の面々に歓迎してもらえたにも関わらず、まだ疎外感を感じていた理由を理解した。

 その原因は彼らに歩み寄らなかった自分にこそあったのだ。

 軽く息を吸って栄輔は改めて雀に尋ねた。

「雀、味はどうだい?……こんな感じかい」

「ああ、それでいい……蜂蜜風味とあるが甘いな。蜂蜜ってのはこんな味がするのか」

「あくまで蜂蜜風味だよ。本物の蜂蜜はもっとさっぱりした味がするらしいよ。もっとも、僕だって本物は見たこともないんだけれど」

「見た事すらないのかい!」

 そこで栄輔と雀は顔を見合わせ二人で大笑いした。

「あんたとは上手くやっていけそうな気がするよ」

「僕もそう思う」

 ひとしきり笑い合った後、自分の寝台へと上がる前、栄輔は雀とそう言い合って互いの右掌を叩き合わせた。

 その日は日没と共に消灯となり、栄輔は芥村の外で過ごす初めての夜、充実した思いと共に寝台に入った。

 眠りに入る間際のまどろみの中で、格納スペースの通路で誰かが何か作業をしている音が聞こえた気がした。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る