1864話 脱兎のごとく

偽勇者は消えた。しかし周囲の景色は変わらない。クロノミーネの魔法のせいか荒れ果てていた。


「はぁ……はぁ……やっば……どうしよ……」


地面に膝をつき、うなだれるクロノミーネ。


「ついカッとなって……やっちゃったけど……いや、まだだし……諦めないし……」


クロノミーネは立ち上がり、無事な扉を開ける。そして中に入り、吹き飛ばされる。


「はぁ……きっつ……でも、残り一つ……」


ふらつきながらも最後の扉の前に立つ。


「ここに居なかったら……」


やや迷いを見せながらも扉に手を添えて魔力を流すクロノミーネ。そして扉は開いた。

一歩一歩、確かめるように中へと入る。今のところ弾き飛ばされる気配はないようだ。


「ドロガー……」


薄暗い部屋。声の響きが狭さを感じさせる。


いったっ……」


何かにつまずき、たたらを踏んだクロノミーネ。足元に目をやると……


「ドロガー!」


石のような床から鼻から上だけを出しているドロガーがそこにいた。


「はぁーよかった。もー! 心配させすぎだし! これやっぱりお仕置きするっかないし!」


目は開いているものの光はなく、まばたきもしない。そんなドロガーを見てもクロノミーネは平然としているようだ。

そしてドロガーの顔の前にかがみ脳天に手を当てた。


『魔力譲渡』


「あーもーマジきっつ……ほんっと……こんなのニンちゃん相手にだってやったげないんだよー? マジぎりぎりだし……あ、もうヤバい! そんじゃドロガー! 絶対目を覚ましてね! もし起きなかったら……あのこと話してみんなで笑いものにするから!」


部屋の天井は崩落し、床は水面のように沈んでいく。部屋から外に出てもそれは変わらず、景色は崩壊を始めていた。

そんな中クロノミーネは螺旋階段に沿って上昇していた。おそらくは全力で飛んでいるのだろう。残り少ない魔力を燃やし尽くす勢いで。

わずかに明るかった泉の周辺もどんどん暗くなり、やがてクロノミーネの視界は闇に覆われた。


それでもクロノミーネは上昇をやめない。一目散に来た道を戻ろうとしている。


やがて完全な暗闇がクロノミーネを覆った。一瞬だけ弱気な考えが頭をよぎったものの、遠くに見えるわずかな光を見つけた。螺旋階段のスタート地点がクロノミーネを奮い立たせてくれた。


「見えた! これなら間に合うし!」


そこまで戻れば今度は長い廊下だ。幸いまだ崩壊は始まっていないようだ。

飛ぶ方向を垂直から水平へと変え、さらなる猛スピードで進んでいく。


来た時と違うことに、両側に並ぶ扉が全て開いていることがある。これが何を意味するのか、もちろんクロノミーネは知っているのだろう。どちらからも距離をとり、廊下の真ん中を飛んでいる。


やがて……背後からは闇が迫り、上からは天井がぼろぼろと落ちてき始めた。


開かれた扉からは無数の白く細い糸のようなものが見え隠れしている。


「ちっ……ドロガーのくせに……」


クロノミーネは速度を緩める気はないらしい。上からの瓦礫が当たろうが、糸が手足に巻きつこうが。ただひたすらに飛び続けている。


「ふぅーー……ふぅはぁ……もう少し……あと少しで……」


クロノミーネの足にはいくつもの白い糸が絡まっている。それらをことごとく引きちぎりつつ飛び続けているのだが、速度が落ちるのは止められないようだ。しかも上からは瓦礫まで降ってくる。止まろうものなら後ろから迫る闇に囚われてしまうことだろう。

クロノミーネに飛び続ける以外の選択肢はない。


そしてついに……


「見えた! あれを越えたら……」


視界の果てに……来る時に通った正門が見えてきた。距離にして七、八百メイルといったところだろうか。


纏火まといび


まるでクロノミーネの体が炎と化したかのように真っ赤に燃える。必然的に巻きついている糸も燃え尽きていく。落ちてくる瓦礫も、命中したかと思えば焼失していた。


ゴールは目前。後は廊下を出て、正門をくぐるだけ。クロノミーネは飛びそうになる意識を無理にでもつなぎとめ廊下から飛び出した。

そして、その勢いのまま……閉じた正門へとぶち当たり……


……内側へと弾き返された……


「くっそ……ドロガーのくせに……生意気だし……」


クロノミーネの体はすでに元に戻っている。いや、服が焼失しており全裸となっていた。

廊下を含む建物は全て崩れ去った。現在クロノミーネがいる中庭のような部分も徐々に崩落を始めている。闇の底へと……


「ドロガー! 開けろ! ウチを殺す気!?」


激しく門を叩く。手の骨が砕けかねない勢いで。


「ドロガー! 聴こえてるんなら開けろし! もう半分起きてんだし! そのぐらいやれし!」


闇が迫る。


『ドロガぁぁぁ! 開けろぉぉぉ!』


おそらくは最後の魔力を振り絞った特大の拡声。闇の奥底にまで届けとばかりに、頑丈な正門が揺れるほどの大声が響き渡った。


「ドロガー……」


門にすがりつくも動きはない。クロノミーネの目から一筋の涙が流れた。


「はは……失敗か……ごめんニンちゃん……後頼むし……ドロガーのバカ……泣いても許さないんだから……」


溢れ落ちた涙は頬を伝い、正門を濡らし……そして吸い込まれた。


音も無く正門が開き、クロノミーネは門の外側へと倒れ込んだ。先ほどまで立っていた内側にはただ暗闇しか見えなかった。


そして門はゆっくりと閉じていく。


「もぉ……ドロガー……やっと……バカ……遅いし……バカ……」


クロノミーネの姿は光に包まれるようにして消えていった……

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