1684話 和真と綾子

私は綾子を捨てられない。だが、愛することもできそうにない。綾子が抱きついてきた時、胸に浮かんだ感情がそれだ。責任感を刺激されたとでも言うのだろうか。もしかしたら自らかけた契約魔法の影響かも知れない。不犯の誓いが身体だけでなく心にまで影響を及ぼしていたとしても不思議ではないし……

だからだろうか、はっきりと分かってしまった。私は綾子を女として愛せない。だが、この過酷な世界に放り出すこともできない。


ならばどうする……


「綾子。よく聞いてくれ。」


「な、なに……?」


一瞬で私の言いたいことを悟ったのか。たちまち表情が曇った……


「さっき風呂で見たよな。あの女の子が俺の最愛の女性、アレクサンドリーネだ。もちろん結婚の約束もしている。」


「そう……」


「そして俺たちの国、ローランド王国では平民だって何人の妻を持とうが自由だ。」


「知ってる……」


「結論を言う。俺は綾子を側室にすることはできる。できるが、子をもうけることはできない。理由は……俺には超強力な契約魔法がかかっているからだ。」


「え……何それ……」


「自分に誓ったんだよ。女は生涯でアレク一人だと。」


アレクにも綾子にも言うつもりはないが、前世では綾子より先に死んでしまったからな……その分までアレクを幸せにしたいと思ったんだ。どちらにも関係のない話なのに。


「そんな……」


「だからすまない。側室にすることはできてもその先は……無理だ……」


もし、この契約魔法を解除できたら私の気が変わるかも知れない。だがそんなこと私にも分からない。しかも今の私は解除をしたくないと思っている。アレク以外に愛情を向けたくないし、向けられる気もしないんだ……


「そっか……そうだよね……こうして出会えただけでも奇跡なのに……和真にはもう……はは、私、何を夢見てたんだろう……ばっかみたい……」


綾子……


「そこまでね。これ以上はいくら話しても不毛みたいよ。先に夕食にするわよ。詳しい話はそれからにした方がいいわ。」


アレク……


「あ、そ、その、ごめんなさい! 私なんかが和真に……」


「アーニャ……いや、アヤコと言ったかしら? 私はアレクサンドリーネ。あなたのことはカースから聞いているわ。まずは食べましょ。あなただってここがどこで自分がどうなっているのか不思議なはずだわ。そこも含めて説明するから。」


そりゃそうだ。ここが海を隔てた隣の国だなんて説明されてもそうそうは信じられないだろうしな。こんな時でもアレクは頼りになる。


「は、はい……」


アレクの上級貴族オーラにすっかり気圧されてしまってる。無理もない……村育ちの平民だったんだもんな……




客室係を呼び、夕食を頼んだ。


「す、すごい……お米がある……お味噌汁みそしるも……」


「こっちでは味噌汁まいそしるって言うらしいけどな。どこか懐かしくなる味だよな。」


お互いに現在の名前で改めて自己紹介。私のことはカースと呼んでもらい、綾子のことは今まで通りアーニャと呼ぶことにした。あれこれ他者に事情を説明するわけにもいかないからな。


「うっ……ふぐっ、ううぅ……おいしい……おいしいよぉ……」


ご飯と味噌汁を一口ずつ口にした綾子が唐突に泣き出した。無理もない……私だって初めて食べた時は泣きそうになったんだからな。この味はローランドでは食べられないもんなぁ。

何もかも前世の通りではないものの、やはり心にくるものがある。米はうるち米に比べると少し縦長で固い気がするし、味噌汁もわずかにスパイシーなんだよな。しかし、それでも郷愁を誘う味であることには違いない。




しばし続いた無言の食事。その後口を開いたのはアレクだった。


「アーニャ。確かめておきたいことがあるわ。あなたの中では今、王国暦何年なのかしら?」


私が生まれたのが王国暦三百三十年だったな。今は三百四十八年だが……


「いえ……分かりません……気にしたことがなかったので……」


あー、普通の平民はそうだよな。ましてや綾子は村育ち。学校に行ってたかどうかも分からない。


「そう。じゃあ目覚める前の記憶はどうなってる? ちなみにここはローランド王国じゃないわよ。」


「えっ!? じゃ、じゃあ和真、いやカースはローランド王国人じゃないの……ですか?」


「いやアーニャ、俺に敬語はやめろ。普通に話してくれよ。アレクにもタメ口で構わんから。そっちは難しいだろうけど。」


いくら私が許可してもアレクの上級貴族オーラの前には萎縮するのが当たり前だしね。


「そうね。あなたはカースの特別だし、好きに話していいのよ。」


「そ、そうですか、わ、わかった、ました。え、えっと私は確かバンダルゴウに籠を納品に来てて……えっ? それから……その後……わ、分からない……なぜ私、どうして!?」


「ここはバンダルゴウから東、海を越えた島国ヒイズルだよ。そこの首都イカルガだ。ピエルって覚えてるか? えーっと、ピエモンタン・ド・デルヌモンテって名前だったかな。」


エルネスト君の叔父にあたるんだよな。


「う、うん、もちろん知ってる。デルヌモンテ様。えっ、ここヒイズルなの!? なんで私こんな所に!?」


やっぱ記憶が残ってるわけないか。身体ごと全ての時間が戻ってるわけだもんな。ひと安心かな。あんな記憶なんてない方がいい。


「あなたは拐われたの。あなたのその顔で、一人でバンダルゴウを彷徨うろついてれば無理もないわ。今から五年前ぐらいの出来事みたいね。」


アレクを大輪の薔薇のように豪華な美しさとすれば、今の綾子は純白の百合のように静謐な魅力を持っている。前世では知的美人だったが今生でも魅力は健在か。そりゃあ拐われるよな。


「五年……前? え、いや、だって私……そんなことされてない……」


「そのあたりのことを説明するわ。カースが命懸けであなたを救った話をね。」


「救った……カズ、カースが……」


さて、ここからも長い話になりそうだ。私の方も色々と聞きたいことはあるが、まずは説明の後だな。

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