1598話 逃走と治癒、そして……

「待ちなさい!」


アレクサンドリーネの凛々しい声が響く。どうやら正気を取り戻したらしい。コーネリアスの恩恵だろう。


「待てねぇ! もう時間がねぇんだよ! 俺らがちっとぐらい稼いでやっからお前ら逃げろや!」


「いいから! 全員乗って! クロミはこの上でカースを治癒して! 早く!」


「なるほどねー。金ちゃんやるじゃん!」


『浮身』

『風操』


カースほどの速度には程遠いものの、アレクサンドリーネとてミスリルボードを操ることはできる。


「コーちゃん!」


「ピュイピュイ」


ボードの操作に神経を集中させながらも、ポーションの蓋を開け、コーネリアスに差し出す。すると……


「お、おい蛇ちゃんが飲んでどうすん……なにぃ!?」


ポーションをたっぷり口に含んだコーネリアスはカースの口から頭を突っ込んだ。いつものように。


ただ、いつものコーネリアスと違ったのは一度頭を突っ込んだだけではなく、その後も何度か頭を出し入れしていたことだ。その動きに気付いた者はいなかった。




「よし! 背中の傷はふさがったし! 次! ヨッちゃん! ニンちゃんをひっくり返して!」


「お、おお!」


「金ちゃん! ここからは揺らさないで! ニンちゃんみたいにしっかり飛ばして!」


「分かったわ!」


悪食の速度を一とすれば、アレクサンドリーネがボードを飛ばす速度は三ぐらいはあるだろう。ひとまず、危機は去ったように思える。


だが……


「ガウガウ!」


カムイが何やら言いたいようだが、その言葉を理解できる者はいない。唯一、ドロガーが周囲を警戒するのみだった。


すると……


「全員伏せろおおおーー!」


その声に全員が身を伏せる。アーニャ以外の……


「くっ……」


目の前にあったのは横から飛び出た刃。迷宮の罠は依然として作動するらしい。


「やるじゃねぇか赤兜ぉ!」


腐っても騎士なのだろう。とっさにアーニャを引き寄せ、身の下にかばった。


「ちょっと金ちゃん揺らさないでって!」


「分かってるわよ!」


クロノミーネはよほど精密なことをしているのだろう。いつもの余裕を感じない。それはアレクサンドリーネも同様だった。


「金ちゃん! あいつを引き離したらどこかで止まって! どうしても揺れるし!」


「分かってるわよ!」


いかに普段カースがミスリルボードを巧妙に飛ばしているかが分かる。アレクサンドリーネもクロノミーネもボードに乗っていて不快な揺れを感じたことがなかったのだから。


「あの先まで行ったら止めるわ! 見通しがいいから!」


「ヨッちゃん! 今のうちにニンちゃんの服を脱がせるよ!」


「お、おお、いいのかよ!?」


「いいし! もう背中の血は止まったし! ここからはちょっと大変だから脱がさないと無理だし!」


「わ、分かった!」


長い直線の終わり。そこにアレクサンドリーネはボードを着地させた。


クロノミーネとドロガーがカースの服を脱がせたため、ボードの上にはおびただしい血に覆われた。


「カース! こ、こんなに……カース!」


今にもカースに縋りつきそうなアレクサンドリーネ。しかし、実行することはなかった。今、自分にできることはクロノミーネの邪魔をしないことだけなのだから。

目にいっぱいの涙を浮かべながら見守っていた。


「ピュイピュイ!」

「ガウガウ!」


コーネリアスとカムイはその血を舐めている。まるで一滴たりとも無駄にしないとでも言うかのように。


「さすがニンちゃんだし! やっぱさっきは脱がさないで正解だったし!」


クロノミーネは腹側の傷から内部へと右手を突っ込んだ。


「うわぁ……ヤバいし……金ちゃん! ウチも魔力ポーション欲しい!」


「え、あ、わ、分かった!」


「いつでも飲めるようにしといてね! そんじゃいっくよー!」


臓腑修癒ぞうふしゅうゆ


クタナツのギルドにて、カースに酷い目に遭わされた組合長ドノバンの内臓をイザベルが治した魔法と同じである。ただしイザベルはドノバンを一瞬で治したが、クロノミーネはそうはいかないようだ。


「金ちゃん魔力ポーション!」


「はいこれ!」


一息で飲み干したクロノミーネ。


『臓腑修癒』


「今度はニンちゃんにポーション飲ませて!」


「ピュイピュイ!」


アレクサンドリーネが取り出したポーションをコーネリアスが素早く口に含む。


「もう……少し!」


『臓腑修癒』


「ちっ! 悪食が来やがったぜ! ここまで二十秒ってとこだぁ!」


「金ちゃん! ウチが合図したら飛ばして!」


「分かったわ!」


「赤兜ぉ! てめぇはその女ぁ抱えとけぇ! 絶対落とすなよ!」


「あ、ああ!」


じわじわと近寄ってくる悪食。迷宮の道幅いっぱいにその身を広げ、四方を牙に囲まれた口を開けて。


「金ちゃん! ゆっくり飛んで! とにかく揺らさないで!」


「分かったわ!」


「ガウガウ」


カムイがボードから降りた。


「カムイ! 戻りなさい! いくらカムイでも!」


アレクサンドリーネの声など聴こえないのか、カムイは悪食の方をじっと見つめている。


「ちっ! バカ野郎がぁ!」


ドロガーも飛び降りた。


だが、次の瞬間……




『グゴオオオオオオオオオォォォォォォ!!』




カムイの『魔声』が響き渡った。それも、かつてない威力で。豊穣祭で会場中を震え上がらせた時のものでさえ比べものにならない。


すると……


……悪食が止まった……


「ガウガウ」


「お、お前、す、すげぇな……」


アレクサンドリーネはボードを止めない。カムイとドロガーはどうにかボードに追いつき、飛び乗った。




そしてカムイは……倒れた。

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