1538話 アレクサンドリーネの決意
農場を歩き回り、話を聞いてみる。
どうやら職人クラスはヒイズルの者ばかりらしい。替えの効く単純労働にローランド人を何人か見つけた。くそ、ムカつくな。
そして日没。広大な農園からわらわらと農奴が集まってきた。料理番も大忙しのようだ。少なく見積もっても五百人はいるな……この中にもローランド人が紛れてるんだろうな。どうしよう……一旦全員を解呪してから話を聞くか……無理だな。後回しにしよう。その辺りもビレイドに丸投げだ。うまくローランド人を見つけるよう厳命しておこう。
今、私が気にするべきは……
「カズマぁー!」
こいつが私の左腕にしがみついて離れないことだ。そこはアレクの場所なんだがな……
「アーニャのこんな嬉しそうな顔を見たのはバンダルゴウ以来だ。どうやら想い人とは君のことだったんだな……」
「どうなんだろうな。」
もし、この女があいつだとしても……なぜ私だと分かる? 自分で言うのもあれだが、前世の私はそこそこイケメンだった。今の凡庸な顔とは似ても似つかない。なのに、なぜ視界に入った瞬間『カズマ』だなんて……
増してやこいつの心はどう見ても壊れているのに……
まあいい。治せははっきりするさ……こいつの正体が……
もし、本当にあいつだったら……
結婚の約束を果たせぬまま死んでしまった私は……
どうすればいいんだ……
「はいカース。この子にも飲ませてあげてね。」
「う、うん、ありがとう。これ美味しいよ。」
先ほども飲んだアレク謹製のスープ。アレクにしては味が薄く、私の体を気遣って作ってくれたことが伝わる一品だった。たぶん、あの女たちにも飲ませることを想定していたんだろうな。さすがはアレク。
『水操』
スープを一口大の球状にして口に入れる。不思議そうな目で私を見るものの、きちんと口に入れ飲み込んでくれた。
「カズマ」
快眠の魔法から目覚めて以来、こいつはカズマとしか口に出していない。それも無邪気な笑顔で。もちろん私の知ってるあいつの顔とは全然似ていない。今の私より歳上だろうに、幼さを感じさせる高めの声。口もとの小さなホクロもないし、何ひとつ、あいつと共通するところがない……いや違う。
髪の色だけは、あいつの艶やかだった濡羽色とは似ても似つかないが黒は黒……
私は……
「カース、おかわりは?」
「あ、ああ。お願いできるかな。」
アレクの表情はいつも通りだ。いつもの自分の定位置を見知らぬ女が、最底辺の女が占領しているにもかかわらずいつも通り。
「カズマ!」
ん? 急に立ち上がり、私の手を引く。どこに連れて行こうとしてるんだ?
手を引かれるままに移動した先は……トイレか……
ちっ、すっかりスライム式浄化槽トイレに馴染んだ私としてはヒイズルの汲み取り式トイレは好きではない。
とりわけ、ここなんかはトイレと言えるレベルではない。仕切りすらなく……まるで肥溜めのような何かに尻を突き出して……ダイレクトに……
もうすぐ冬が来る今の時期ですらこの臭いだ。夏場なんか地獄だろう……
こいつ、そんな様子を嬉々として私に見せるなんて……どれだけ心が壊れたらこうなるんだよ! しかもケツを拭く藁や葉すら置いてないのかよ! まさか……なっ!?
目の前の水瓶から柄杓で水を掬って……? 手で直接洗ってるってのか……
なんてこった……『浄化』
「カズマ!」
なんだよその顔は……よくできたから褒めてと言わんばかりの……
「戻るぞ。」
あいつの手を引き元の場所に戻ろう。アレクがおかわりを用意してくれてるからな。
だが、こんな状態になっていてもトイレはできるんだな……本当に最低限のレベルだが……垂れ流しでないだけマシなのだろうか……
「カズマ!」
また私の手を引く。今度はどこに連れて行こうというのか……
ここは、昼にも来たこいつの掘立て小屋か。
「カズマ!」
やはり嬉々として私を中に引っ張り込むと……するすると服を脱いだ。
そしてノミだらけだったであろう布団に横たわり……
「あんたぁまた来たのぉ? あんたも好きねぇ」
唯一覚えているであろう言葉を口に出した……大きく股を広げながら……
『
快眠の魔法は最初に魔力を少しだけ込めておけば、後は適当なタイミングで目が覚める。
だが、永眠の魔法はある程度魔力を込め続ける必要がある。そして、私が魔力を込め続ける限り……目覚めることはない。
『浮身』
『浄化』
服を着せよう……
私にできるのか?
これから何日続くかも分からないこの生活が……
だが、やるしかない……こいつを殺すわけにはいかない。もしもこいつが、あいつじゃなかったとしても……私の名を呼んだ以上は全くの無関係ってこともないのだろう。
やるしかない……
「カース……」
「アレク……ごめんよ。おかわりを用意してくれたんだよね。」
遅くなったから心配して来てくれたんだろうか……
「そんなことはいいの……私、カースが辛そうなのに何の役にも立てなくて……」
なっ……アレクはそんなことを……
「そんなことはないよ。アレクはいてくれるだけでいいんだ。それだけで僕は勇気が貰えるんだから。」
もちろん本当だ。本気でそう思っている。だからもし……もし、こいつがアレクの悋気に触れたら私は……
「カース……もしね? もしもこの女が邪魔になったら言ってくれる?」
「ど、どうしたの?」
「私は知ってるわ。カースって根はお人好し。お義母様からあれだけ甘いと言われても全然治らないんだから。」
「そ、そうだね……」
母上からは身をもって指導されたが、治ってないのだろうか……
「だから、私がやるの。もしこの女が邪魔になったら私が殺してあげる。だからカースは気にせず好きなように振る舞っていいの。ね?」
「あ、ああ、そ、そうだね……」
こいつを……アレクが殺す……
前世で愛した……かも知れない女を、今……愛している女が殺す……
いや、大丈夫だ。絶対そんなことにはさせない。こいつは治す。そしてアレクの手も汚させない。
私はいつでもやりたいように……心の赴くままに……
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