1535話 その女、アーニャ・カームラ

物置き小屋から外に出る。


「おや魔王さん、お話しは済みやしたか。お嬢様の料理ができたようですぜ。」


「ああ済んだ。じゃあ先に食べるか。ついでだ、お前も食え。そしてその女にも少し持っていってやれ。」


「あ、ああ、すまない……いただこう……」


「あらら、ずいぶんと口が滑らかになってやすね。さすがぁ魔王さんでさぁ。やりやすね!」


誠意を尽くして説得したからな。これで後はのんびりアラキ島全域からローランド人を集めるだけだ。その上集めた人間はこいつに、えーっと名前はピ……ピエルだっけな、任せておけばいいし。




はぁー。最高だった。やっぱりアレクの料理は美味しいよなぁ。


「いつもありがと。おいしかったよ。」


「よかったわ。少しは元気が出たようね。」


「おかげでね。じゃあちょっとローランド人を集めてくるよ。アレクは適当に休んでて。」


「分かったわ。いってらっしゃい。」


アレクのいってらっしゃいと、ほっぺにチュッはセットなんだな。嬉しいぜ。




「こっちだ……」


建物が密集しているエリアへと足を踏み入れる。かなり雑多で汚らしいな……先ほど見た農奴たちの住居だろうか。


「ここだ……」


見た目は他と区別のつかない掘立て小屋だが、一歩中に入ると……やっぱりな……『浄化』

あの匂いだ……かなり臭かった。ここはそういう小屋ってことだな。


「あんたぁまた来たのぉ? 好きねぇ……」


「この子だ……名前はアーニャ・カームラ。太陽のような笑顔、オオガラスよりも美しい濡羽色の髪……それが今じゃあ誰が来ても同じ言葉しか言わなくなっちまってる……」


ちっ、エチゴヤめ……また一つ許せん理由ができたな……

こんな小屋で、服も与えられず……男が来るたびに股を開き……同じ言葉を吐く……

あまりにも不憫すぎる……やはりここはいっそ私の手で……


「あんたぁまた来たのぉ? あんたも好き………………カズマ……」


は!?


「カズマ……」


「お、おいアーニャ! い、今なんて言った!?」


「カズマ……」


なぜ、その名前を……

なぜ、私を見る……

なぜ……


「カズマぁーー!」


ガリガリの体は垢だらけ。股からは体液を垂れ流し、髪の毛はボサボサを通り越してガチガチ。そんな女が私に抱きついてきた。


「カズマカズマカズマカズマカズマ!」


『浄化』


「おい、カズマって名前に覚えはあるか? この女には想い人がいるって言ってたよな?」


「いや……ない。何度尋ねても教えてもらえなかった……正直、俺を袖にするためだと思わないでもなかったが……」


『快眠』

『洗濯』




『乾燥』


ふう。浄化だけでは汚れが落ちなかったため、昔を思い出して『洗濯』と『乾燥』を個別にかけてみた。昔は浄化に頼らずこうして洗ったりもしてたな。


とりあえず服……ボロキレしかないじゃないか……


「アレクを呼んできてくれるか?」


「あ、ああ……あの令嬢だな?」


「そうだ。頼む。」




カズマ……町辺まちのべ 和真かずま

前世での私の名だ。

それをこの女は呼んだ……

偶然なのか、それとも……


「カース、どうしたの?」


「ああ、わざわざごめんね。この女に服を貸してやってくれないかな。どうやらしばらくこの女の面倒を見ないといけなくなったもんでね……」


「いいわよ。あら……この子、酷い状態ね……」


『浮身』


身長こそアレクと同じぐらいだが、肉付きは比較にならないほど痩せている。それでもアレクは自らの下着を分け与え、服を着させてくれた。あれは……


「そのスカート、懐かしいね。」


「さすがにもうサイズが合わないもの。でもカースが作ってくれたものだし、大事にしてたの。役に立ってよかったわ。」


嬉しくなるじゃないか。クタナツはファトナトゥールで仕立てた赤黒チェックのミニスカートに王都で買ったラメ入り紫のキャミソールに薄い革ジャン。

そんな大事なものを私の頼みだからって見ず知らずの奴隷女のために躊躇いもなく着させてやるなんて。やはりアレクは最高の女性だな。


もっとも……こいつが本当にただの奴隷女で終わるかどうか……


「アレク……この女は正気を失ってた。治す方法に心当たりはある?」


私にはない……


「無理ね……私に分かるのはお義母様に診ていただくのが最上ってことぐらいかしら……それでも治るかどうか……」


「だよね……」


「そこまでアーニャの面倒を見てくれるのか?」


「ああ。ちょっと事情が変わったもんでな。こいつの身柄はもらうぞ。ただし、お前に治す当てがあるなら任せるが?」


「あるわけないさ……」


そりゃあそうだろ。クタナツなんかだと魔物に襲われてトラウマになった奴だって結構いる。そんな奴らは二度と冒険者をやれないし、戦えない。心の傷は治らない、治せないのが常識だ。長年クタナツに住んでいる母上からでさえ、そんな冒険者を治したって話は聞いたことがない。

どうすればいいんだ……




「カース、どうしてもその子を治したいの?」


はっ、しまった……

アレクに何の事情も説明しないままに……

そんなに心配そうな目で私を……だが。


「治したい。」


確信は持てない。

持てないが、もしかしたらこの女は……あいつかも知れないんだから……


「分かったわ。それなら一つ考えがあるわ。たぶんこれはお義母様でも治せないと思う。でも、神の力ならどうかしら?」


「神の力? そ、そりゃあ治るんじゃないかな……でもそんなのどうやっ……あ!」


「分かった? ヒイズルにはまだ二つ、場合によっては三つの迷宮が残ってるわ。そこを踏破すれば神の恩恵で治してもらえないかしら?」


さすがはアレク。その手があったか。カゲキョー迷宮はもう入れないが、最低でも二つ残っている。シューホー大魔洞とタイショー獄寒洞が。その二つで駄目なら潮吹きとやらも探してみればいいし、そこでも駄目ならイグドラシルでも登ればいい。山岳地帯にはもう四、五本のイグドラシルがあるからな。


「ありがとうアレク。こいつが僕にとってどんな女なのかはまだ分からない。長くなるからおいおい話そうとは思うけど、次の目的地はシューホー大魔洞かタイショー獄寒洞で。」


「もちろんいいわよ。カースがその女を正室にするって言わない限り私は許すわ。それ以外は全て瑣末なこと。だから気にしないで。」


「アレク……ありがとね……」


アレクの頼りがいが素晴らしい。こうもどっしりと構えられると私まで安心してしまう。さて、どこから説明したものか……

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